林家源平

初代林家三平師匠の弟子。古典と創作落語を体いっぱいに表現する落語家。最近は、介護や多くの分野にチャレンジ。70歳になっても、明るく、元気に、一生懸命、そして楽しく、みんなと一緒に楽しい落語を一つでも多く演じたい。落語の殻をやぶり、初代林家三平師匠のような高座を理想とする。

林家源平

初代林家三平師匠の弟子。古典と創作落語を体いっぱいに表現する落語家。最近は、介護や多くの分野にチャレンジ。70歳になっても、明るく、元気に、一生懸命、そして楽しく、みんなと一緒に楽しい落語を一つでも多く演じたい。落語の殻をやぶり、初代林家三平師匠のような高座を理想とする。

最近の記事

弟犬ジョンと僕の大冒険

「さあー、山を降りようぜ。」 と、父が弁当箱をかたづけ、僕に言ったから、もって帰る、松の木の枝の方に行くと、ジョンが父や僕のところを行ったり、来たりしながら、もう帰るのぉ?って名残り惜しそうな顔で僕をみてくる。もう帰らないと。みんなが待ってるよって、僕が目で話すと、ジョンは真っ先に走り出した。 「オイ、そこは、オラが担ぐけん。お前は、根っこの方を担ぐんぞ。」 と、父が、僕のいる所へ来るから 「とうちゃん。根っこは重たいけん。オラは後にするけん。」 「後はむずかしいぞ

    • 弟犬ジョンとの山登り2

      弟犬ジョンと僕の大冒険 いよいよ、大きな山へ入ったのか、木がおおい繁っていて、空が見えなくなり、なんだか夢の中に居る気分で、どこかの土地へ、まよい込んだみたいに、さびしく感じた。 「ハァー、ハァー、」 と、舌を出し、息をしながら、再び僕の前にあらわれたのが、弟犬のジョンであった。  ジョンは、僕の気持ちを解っているのか、側についていてくれ、どうしたの?疲れた?山登りの時は歌いながら行くと楽しいって、五月ちゃんが言ってたよ。なんか歌うかい? よせよ〜、僕は五月ちゃんの

      • 弟犬ジョンとの山登り

          林家 源平 弟犬ジョンと僕の大冒険 愛媛に落語をと考え、師匠三平のような噺、サザエさんのような噺を考えると故郷を思い出さずにはいられない。 愛媛で育ってきた多くの出来事が自分がしてきた勉強で、それが今の自分を支えているような気がする。毎日毎日起こる出来事を通じて、今の落語がある。 僕の創作落語は、このような勉強から得たものから、着想され、そして、練り上げられている。だから、四国の落語、サザエさんのような落語を考える時、思い出と江戸落語とに思い馳せ、筆をとるのである

        • 円窓師匠と扇橋師匠はコーチングが上手

          林家 源平 噺家は哲学者  僕に仕事をくださった三遊亭円窓師匠は、帰りの車中で、思案をしている様子で、僕の顔を見ながら、うーーーーんと言わんばかりに、悩んで 閃いた様子で、おもむろに 「源平。すべての落語を、四国の舞台にしたらどうだい。何も江戸でなくてもいいんだから。場所と人物を、そうだな、例えば田舎に置きかえて、好きな故郷を思ってさ、そうだ四国編の落語もいいんじゃないか。」 と、真剣に心配をしてくれるのであった。 僕もそんな考えがあるのか。と思いながら、一方で、ど

          訛る落語家のチャレンジ

          小三治師匠から教えを受け、真打になる前どうだったか。 自分が真打試験を受けるときのことを思い出していた。 その当時、ただ素晴らしい落語家を見ていると、 なんとなく自分も同じようになれるんではないかと錯覚していた。 そんな時、真打試験という制度が出来上がったのだ。 落研出身の方をはじめとした層々たるメンバーがそろっている中で、 田舎者で、しかも言葉が訛り、江戸落語に似つかわしくないような 僕は、周りの方から 「源チャンは、ナマルから、受ける前に、落ちるだろうネ」 と

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          コーヒーと小三治師匠の教え

          林家 源平 噺家は哲学者  真打昇進という、落語家の夢を求めて、ガムシャラに突き進んだ末。昭和五十年九月六日に、幸運にもパスポートをつかんだ。  真打になってみると、芸の怖さが身にしみるのだったが、僕は 「もう、俺は、こんなもんでいいや。」 心の中で安心をするようになった。 食べる程の仕事があれば、それで満足と思って、ノンビリとかまえた。  喫茶店で、コーヒーを飲んでいたら、外でバイクがとまる音がした。颯爽と一人の男性が喫茶店のドアを丁寧な調子であけた。 ふと

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          やっぱり落語を愛している談志師匠。

           林家 源平  噺家は哲学者 師匠たちに教えていただけきながら、落語を勉強していたが、なかなか落語がうまくならないので、そうだ、落語を体全体で表現しようと考えついた。そこで僕は反対車という落語を噺はもちろんだが、えーいい高座と寄席の周りを走ってしまえーーー。と考えつき、浅草演芸ホールで高座をつとめる際、本当に浅草演芸ホールの高座と寄席を走り回っていた。 ある日、それを見ていた立川談志師匠が、僕の高座の後に上がった後、お客様に向かって 「けしからんもんで、あんないい落語

          やっぱり落語を愛している談志師匠。

          噺家は哲学者。円楽師匠。

           林家 源平  自分とは全然違う人物を考え、三遊亭円楽師匠に面会を申し込むのであった。 「師匠、お願いにやって来ました。」 「おや、源チャン、なんだい。」 「あのうーー 無礼なお願いですが」 「アッハハ。源チャン。僕のとこへ来るのがもう無礼だよ。」  円楽師匠は、ニコニコしながら、僕の願い事である、落語稽古して頂いたのだった。  そして、いろんな人生について話して下さったので、僕は聞いてあみた。 「師匠、落語がうまくなるのは、どんな稽古がいいんですか。」 「

          噺家は哲学者。円楽師匠。

          噺家は哲学者。三平師匠と円蔵師匠

          林家 源平  夢にまで見た東京は、愛媛県旧広見町から家出同然の僕など、誰も相手にしてくれなかった。  夢破れ、コンクリートジャングルに彷徨い、やっと見つけた、寄席の世界。 そこで、僕の人生の、先生でもあり、師匠でもある、初代林家三平師匠に、巡り逢えたのであった。  「真面目に努力をしている人は、お天道様がほっとかないよ」  「やっぱし、ほっときませんか?」  「あたりまえ、もし君がほっとかれたら、あきらめるんだネ。人間は、あきらめるのがかんじんだから、アッハハ、ダ

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          源ちゃんの思い出。師匠のお母さん

          初代三平師匠のお母さんは優しいおばあちゃんだった。私が入門する前、師匠三平宅で、なかば強引に弟子になるべく立っていたころからのお付き合いとなった。  最初は顔が怖い、そりゃそうだ、まるでフランケンシュタインのような顔つきで、故郷愛媛県宇和島市の山で育ってきたせいもあり、肌が黒く、ほほがこけていて、ちょっと怖かったと言われても仕方ない。そんな私をおばあちゃんは、当初野良犬を追っ払うようにしっしと私をあしらっていた。  幾日が過ぎたころ、おばあちゃんは私に、あら意外にも目が優

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          源ちゃん牛丼を買いに行く

          浅草の寄席の帰りには腹が減る。家に帰って何か食べたいのだが、迷ってしまう。駅を降り家路につくその方らわらに、我らが牛丼屋が手招きをしているような錯覚に陥る。  牛丼。肉と米をバランスよく食べたい。今日は多くない寄席の割が手元にある。牛丼を買うには十分な金額だ。なんなら、野菜をつけてもいい。牛丼屋はドレッシングも豊富で、特にフレンチドレッシングは好みだ。そうこう悩んでいると足は勝手に牛丼屋へ向かっている。 駅の改札おり、右手に曲がり、目の前に噴水があるターミナルを横目に見な

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