噺家は哲学者。三平師匠と円蔵師匠
林家 源平
夢にまで見た東京は、愛媛県旧広見町から家出同然の僕など、誰も相手にしてくれなかった。
夢破れ、コンクリートジャングルに彷徨い、やっと見つけた、寄席の世界。
そこで、僕の人生の、先生でもあり、師匠でもある、初代林家三平師匠に、巡り逢えたのであった。
「真面目に努力をしている人は、お天道様がほっとかないよ」
「やっぱし、ほっときませんか?」
「あたりまえ、もし君がほっとかれたら、あきらめるんだネ。人間は、あきらめるのがかんじんだから、アッハハ、ダァーン。」
笑いの中にも、チラッと本音を入れて、修業中の僕に、落語界の世界を教えて頂いた師匠三平は、昭和五十五年、九月二十日、遠くへ旅立って行きました。
師匠三平だけを見ていれば、なんとかなるだろうと、入門して十三年間を気楽に暮らしていたが、屋台骨が無くなって、むなしく感じた
「やれるところまで、ぶつかってみよう。」
こう決心した僕は、少ない寄席の高座へ、真面目に取り組んだ。
師匠三平の、弟弟子になる八代目橘屋円蔵師匠(初代月の家円鏡師匠)が、新宿末広亭で、僕の落語を聞いた後
「オ、マ、エ、ナマルよ」
と変なアクセントで、僕の側へ近づいて来ると
「源平、お前の噺おもしろいよ。会話に変化をつけると、もっとおもしろくなるよ。」
「そうでしょうか?」
「変化をつけるんだな。」
げんごを発しながら、円蔵師匠は真剣にアドバイスをして頂いたが、僕は、円蔵師匠のげんごが、おかしくて仕方がなかった。
まだ師匠三平が高座に上がっていたころ
僕は、円蔵師匠が、円鏡時代の落語が好きになって、ナンセンスの早口で喋るのを真似していたら、ある時
「源平や、平井(円蔵師匠)の落語は、昨日今日の芸じゃないんだよ。第一、平井は江戸っ子、アーーン。もう少し考えて。」
僕の喋りを聞いた師匠三平は、一度だけ、こう言った。