源ちゃんの思い出。師匠のお母さん
初代三平師匠のお母さんは優しいおばあちゃんだった。私が入門する前、師匠三平宅で、なかば強引に弟子になるべく立っていたころからのお付き合いとなった。
最初は顔が怖い、そりゃそうだ、まるでフランケンシュタインのような顔つきで、故郷愛媛県宇和島市の山で育ってきたせいもあり、肌が黒く、ほほがこけていて、ちょっと怖かったと言われても仕方ない。そんな私をおばあちゃんは、当初野良犬を追っ払うようにしっしと私をあしらっていた。
幾日が過ぎたころ、おばあちゃんは私に、あら意外にも目が優しいわねと言ってくださったのを今も思い出す。目を見て優しさがわかるって戸惑いがあったのも事実で、どうしてそう思ってくれたのか今は確認しようがない
そんなおばあちゃんのおかげなのかどうか。おかみさんは半ばしょうがないとおもったのか、突然、
「明日から裏のお勝手から入るんだよ」
って言ってくれた。
当初私は何を言っているのかわからず、言われたのではいと答えて。言われた通りお勝手から師匠の家に入るとおばあちゃんがいた。
「どうしてお勝手から入ってくるんだい。」
「おかみさんがお勝手から入るようにって。」
「香代子が言ったのかい。本当かい。」
「はい。」
「そう香代子がねえ。しょうがないね。しっかりやるんだよ。」
おかみさんは私を弟子に認めてくれた。弟子は玄関からでなく、お勝手から入るのがきまり。なんと弟子として私を扱ってくれた
その日から師匠三平宅に住み込みの弟子になったのだ。
今思い返してみると楽しい毎日だった。おばあちゃんは苦労してきた人で、食べることが大変であることをよく知っていた。そんなおばあちゃんは私を不憫におもったのか、しっかり食べれてないだろうと、ことあるごとに私に食べ物を進めてくれた。
お饅頭や食べきりれない量のおかずなどとてもおいしかった。師匠三平宅に来ていたお手伝いさんもおばあちゃんに刺激されたのか、アジの開きの作りを私に教えて、しっかり食べるんだよって応援してくれているのではとも思っていた。
師匠三平宅での私は住み込み、文無し、頼りなし、そして顔がフランケンシュタインときていて、ふつうは誰も寄り付かない。田舎者で都会の洗練された礼儀作法、特に伝統芸能での礼儀作法などからっきしわからない。そんな私に師匠は、なんでも一生懸命やるんだよっと教えてくれた。そしておばあちゃんは、師匠を大切にするんだよっても教えてくれた。これだけは守っていこうとひたすら動いてみた
師匠三平は朝が早い。師匠が起きる前に、玄関掃き掃除、庭の掃除、広間や階段などの掃除、そして言われればなんでもやるようにした。夜は師匠三平のお客様が広間にいらっしゃるので、おかみさんの指示に従いながら、下足番から配膳やら、なんなりと毎日が目まぐるしく動いていた。風呂に入る余裕もない。庭の水道でささって体を洗い、夜中、広間で寝るのである。ただ広間で寝るのが忍びなくなり、階段下にあるスペース、一畳ほどで寝起きをするようになった。
おばあちゃんは
「フランケンさんが階段したにねているよ。ねぇやっちゃん」
と師匠三平に話しかけると
「だーん、なんでここにねているの」
「一畳あればねれますし、ここだと気兼ねしないんで」
と答えると、おばあちゃんは
「不思議な子でしょ。でも優しいのよ」
また、私を優しいと言ってくれるのだ。そうして、お饅頭を私に差し出して
「さぁ食べなさい。さぁ」
頂きますっと言って、おばあちゃんの優しさを受け取るのであった