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訛る落語家のチャレンジ

小三治師匠から教えを受け、真打になる前どうだったか。
自分が真打試験を受けるときのことを思い出していた。

その当時、ただ素晴らしい落語家を見ていると、
なんとなく自分も同じようになれるんではないかと錯覚していた。

そんな時、真打試験という制度が出来上がったのだ。

落研出身の方をはじめとした層々たるメンバーがそろっている中で、
田舎者で、しかも言葉が訛り、江戸落語に似つかわしくないような

僕は、周りの方から

「源チャンは、ナマルから、受ける前に、落ちるだろうネ」

と言われるぐらい、答えがすぐにでているようだった。

田舎者でも、言葉が訛っても、何とかくらいついていこう。
真打試験の一年前から、できることはやってみよう。
そう思い、教えてもらった落語をさらに高めよう。

師匠たちの高座を食い入るように見て学び、自分なりに研究した。
自分では気づかないこともあるから、図々しくも名人たちに教えて貰い。
そして時には高座で試して、振り返り、試行錯誤をしていた。

その日も、国立演芸場で、三遊亭円丈師匠に教えて貰った幇間腹という落語を高座で演じていた。

幇間腹を終え、楽屋で待機をしていると、トリ(一番最後に出る人)
の三遊亭円歌師匠が僕の落語を聞いていたのか、
たまたま早く楽屋に入ってきたからなのか、

おもむろに

「へえーー、落語を知ってんだ」

 円歌師匠に、突然、落語知ってんだと言われ
 なにか恥ずかしいやら、嬉しいやら、もじもじしてしまった。

「喋れるんだけです」
 と、必死に絞り出した。

「うん、なんとなく三平に似てんナ」

「本当ですか?」

 名人の円歌師匠から、しかも師匠三平をよく知る方から
 尊敬する師匠三平に似ているといわれ、舞い上がるようだった。

 師匠三平をよく知る円歌師匠から、似ていると言われると
 そりゃーーそうでしょ、師匠の芸は見て覚えていますから。

 なんなら、三平師匠のことは何でも聞いてくださいよって思えるぐらい
 師匠三平の後ろを必死に追いかけていたので、とても嬉しかった。

「ああ、ナマんなきや、もっといいぞ」

と円歌師匠に、批評していただいた。

やはり、課題はナマルことなんだと思ったので
自分なりに訛らないように日々の言葉を意識するようになっていた。

円歌師匠の言葉を胸に、頂いた高座で演じていたら
三遊亭金馬師匠が、おもむろに

「源平、メリハリをつけて喋んなよ。もっーーと、良くなるぞ」

「もう喋るだけで精一杯です」
 訛らないで喋るのに意識を集中しているので、なかなか他のことに
 気が回らな。もう悲鳴を上げていると

金馬師匠はすかさず

「うん。自信をつけな」

と、僕が課題である訛りを克服しようとしていることに気づいてくださり、
さり気なく、エールを送り、そして、もっと頑張るように励ましてくださった。

さらに金馬師匠は、細部まで僕の落語を見ていたらしく、具体的にアドバイスをしてくださった

メリハリをつけるとはどういうことなのか。
目の前で演じるそぶりをしながら

「いいかぁ、」

「欧米に於いては、百獣の王とうたわれています
 東洋に於いては、百獣の一とうたわれています
 当代の両雄が相見えると言うのは何かの因縁かと思います

とメリハリをきかせながら、喋ってくださった。
さらに

「本日は、特別大サービスといたしまして
 間の鉄柵を取り払い、どちらの猛獣が月桂冠を得るか
 猛烈なる闘争をご覧にいれます」
 ババーン ババーんと演じてくださった。

「はい」
と言うしかかったが、必死に目に焼き付け、口ずさんでいた。
ナマルな、ナマルな、と呪文を唱えながら、そして、アクセントだ。
おうべいにおいて、、、、なんだっけ、そうそう百獣の一???
違う違うといった調子で、実演していただいたものを得ようとしていた

「源チャン、そんな肩肘はらず。ゆっくり覚えていけばいいよ」

と言って、笑顔で僕を見ていてくれた。

僕のようなものが名人に身振り手振りを交えて頂きながら
教えて頂けるとは、とても幸運なことで、感謝しかなかった。

そんなことを思い出していた僕は、真打になっても、あの時のように
壁に何度もぶつかっていき、一つづつ、もう一度チャレンジしようと思ったのであった。

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