【読書感想文】東浩紀「ゲンロン0-観光客の哲学-」(再投稿)
こんばんは!
郵便的マルチチュード!小栗義樹です!
本日は読書感想文を書かせて頂きます!僕が読んだ本、好きな本を題材に感想文を書く試みです。本感想文を通じて、題材にした本に興味を持って頂けたら嬉しいなと思っています。
本日の題材はコチラ
東浩紀「ゲンロン0-観光客の哲学-」
です。
こちらの本は少し前に感想文を書かせて頂きました。
今回改めてこちらの本を題材にした理由は、上記の感想文があんまり気に入っていないからです。上手く踏み込み切れなかったなという気持ちがあります。それは、僕自身が思想書の読み方を分かっていなかったということと、著者がどのような活動をしてきたかを理解していなかったことが大きかったなと思っています。ということで今回は、この本を読むために少しだけ勉強をしてみました。
こちらの2冊が補強のために読んだ本です。思想の歴史・思想の読み方・個人、ゲンロンの歴史・ゲンロンという本への意気込みなど、題材本を読むために必要な最低限の知識を頭の中に入れることが出来ました。
最初は補強のためという目的で購入した本ですが、上記2冊の本もめちゃくちゃ面白いです。詰まっている情報量が多いので、読んでいてとても有意義でした。詳細は感想文記事の中にまとめています。オススメですので読んでみてほしいなと思います。
まずは僕なりの思想書の読み方を簡単に書かせて頂きます。もしかすると、もっと深く味わい・楽しむ方法があるのかもしれないのですが、そこまで専門的でなくても大切なのは達成感を味わうことだと思います。書いてあることが分かって楽しかったとか勉強になったと思うことができれば、それだけで達成感は味わえるはずです。今回は、思想書におけるそんな満足感を得るための読み方をご紹介させて頂きます。
必要なことは2つ
・文章にツッコミや疑問を持ち込まない
・キーワードを押さえる
です。
ビジネスや自己啓発などの実用書に近い読み方だと思います。思想書は書き方が抽象的で難しい言い回しが沢山出てきます。ただ、単語自体は決して難しくありません。もちろん外国語の翻訳本を読む場合は話が変わってくると思いますが、日本人が日本語で書いた思想書であれば、基本的には言い回しが複雑なだけのものが多いです。だからこそ、漠然とでいいので意味を捉えることだけを意識した方がいいと思います。
逆に読んでいる途中に「どういうこと?」とか「それは違くない?」などのセルフツッコミを入れてしまうと、言い回しが複雑なのでついていけなくなると思います。
僕が思うに、思想書とは名前のついていない概念に名前を付ける行為です。その名前に説得力をもたせるために、過去の思想を引用し、過去の思想から生まれた言葉を参照・参考にし、現代の様々な事象において、説明しきれていない部分・考え方などに名前を付けていっている印象を受けました。名前を付ける理由は、名前が付くと輪郭がはっきりするからだと思います。相手が概念なので、その説明が抽象的になるのは当たり前だと思います。今から割り切れない割り算を無理やり証明しますと言っているようなものです。
だからこそ、つっこみを入れずにひたすら読み進めることが大切です。思想書とは壮大な現代人の議題をまとめた書物なのだなということが、今回色々と読んでいて見えてきました。議題なのですから、ツッコミを入れるべきは読み終わった後が適切だと思います。漠然とした全体像に対して「そうだったorそうじゃない」とか「この考えを利用するとしたらどうなるのか?」などと思考の範囲を広げていけばいいでしょう。
それだけで十分に有意義な時間を過ごすことが出来ます。
とはいえ、本の中に出てくるキーワードは押さえておいた方がいいです。キーワードを押さえるだけで、本の中身がかなり明確になります。思想書の多くは、過去の思想の引用で紡がれますが、当然本としての整合性を保つためには、引用元に関する簡単な説明、読み手が初手で理解できる程度の概要は記されています。場合によっては引用元及びその詳細な概要を注釈として補完しているものがほとんどです。どうしても気になる場合は、注釈を読めば引用元の情報もある程度理解することが出来ます。当然ですが著者は、本の中身を読み手に理解してほしいと思っています。だからこそ、大切なキーワードは何度も登場させます。次章に突入する冒頭で、前章の要約を織り交ぜたりするのはそのためです。
思想書を読むうえで、そこに何度も登場するキーワードの意味を押さえておけば、章を経るごとに理解が深まっていきます。実際、そういう構造になっているものが多いです。
これは小説でいうところの「テーマ」に近いと思います。例えば、五木寛之さんの「雨の日には車をみがいて」では「日本の発展」や「当時の若者が抱くカッコいいや憧れ」なんかがテーマになっています。だからこそキーワードとして、時代を象徴する「外車」や「年代」「仕事の仕方」などが説明過多なのでは?と思うくらい執拗に説明されています。
思想書は小説と違い、そこに物語はありません。だからこそ読み進めるのが大変な分、キーワードは見つけやすいと思います。しっかりと押さえれば、どんどん明快になっていきますので、読み終わった後の達成感は大きくなると思います。
随分と長い前置きになってしまいました。しかし、これらを踏まえて読む観光客の哲学は、明らかに1回目に読んだ観光客の哲学よりも面白かったです。ですので、これらの情報をまとめて書くのは、この感想文を書くための大切な儀式だと思い書かせて頂きました。上記を踏まえ、観光客の哲学の感想文の再投稿を始めさせて頂きます。
この本の内容は、国境を越えて多くの人が消費を楽しむ側面と国境を超えずに国家を主体とする側面の二層構造の世界において、新たな思想を見出すというものです。もう少し簡単な言い方すると、経済の国境はなくなりつつあるが、政治の世界は国境を強めている。2つの構造が重なり合った現代において、従来のどちらかの側面に強い影響を受けただけの思想はうまく機能していない。だからこそ、この2つの矛盾が重なり合う世界における新しい思想を考えようというのがこの本の狙いです。
著者である東さんは、この議題において大切になってくるのが「観光客」であると言っています。この本でいうところの観光客とは、一般的な旅行をする人の事だけではありません。すごくザックリとした言い方をすると、もっと概念的なものになります。
観光客とは、消費社会の代表であり政治的な思惑などを意に介さず人との関りを持ち、土地の誇りとは関係のないところを自由に動き回り、住民の狙いとは関係のないところで感情が動いたりする存在です。
消費を楽しみながら政治的な連帯感を持たずに他者と関わり合うことが出来る存在。こんな風に捉えると観光客という存在は、政治と経済の二層構造の隙間から出てきた新しい概念に見える。そして、そこについてはまだ本格的に議論がなされていない。だから今議論し考えなければならない。それが
この本の主張です。
この本は2017年に出版されていますが、現代の状況と重ね合わせてみても「確かに」と思える部分がいくつもあります。特に社会の全体像です。確かにこの世界は今、経済と政治が全然違う形で重なっているように僕には見えています。
我々は、SNSなどを使って世界中の人間を相手にお金を動かしていくことが当たり前になってきましたが、例えば、今でも日本人の規定やルールは日本国が定めています。
youtubeは米国企業のサービスですが、僕たちはyoutubeを使っていても日本国のルールから逸脱すればきちんと裁かれます。極端な物言いかもしれませんが、そういうことです。
前提がしっかりしているからこそ、そこから展開される議論には説得力があるなと思いました。これが僕が観光客の哲学に対して抱いた最初の所感です。そういう可能性について考えていることはとても大切なことだなという風に思いました。
人って解決したい生き物だと思うんです。スッキリした状態で安定と安寧のもとに生きていたいと思う生物だと感じるわけです。それはやっぱり言葉である程度状況を説明できてしまうから。そうなると、今の比較的複雑な世の中において、この世界は〇〇であるというスッキリとした解答って、なかなかでないと思うんです。個人レベルにまで落とし込んでしまえば、1つ1つの行動にはいつも矛盾が隠れている。誹謗中傷やデモなんかは、そういう所から生まれてくるのではないかと思っています。それこそ、SNSなどに溢れる意見なんかは言葉の限りを尽くした反抗なのではないかと思うのです。
では、そういった事物を解決するために必要なのは何かというと、従来の考え方とは違う、新たな考え方になると思います。人間OSをアップデートするという言い方も出来ると思います。
観光客の哲学は、複雑な時代の新たな人間OSになりうる可能性を持っている。非常に期待値の高い本なのではないでしょうか?
ちなみに、思考書には終わりがありません。本の中では一応の結論が存在します。しかし、哲学というのはその考えが現実世界において立証される、つまり再現されて現象として現れるまでには、いくつかの手順を踏む必要があります。
観光客の哲学では、観光客の哲学が形になるためには、拠所として家族の存在になってくるだろうと書いてあります。しかし、肝心の家族については拠所となる可能性を持っているというだけで、この本内では証明まではなされていません。
家族の可能性については書籍内に重要な文献とその考察・批評も掲載されています。そこにはまだ発掘されていない発見が沢山あるわけです。
そこまで踏まえた上で、僕としては、この哲学が導入されたされた世界がどのように変化するのかを楽しみにししたいと思っています。
また、この本では観光客という概念は誤配から生まれたものだと定義づけています。誤配とは簡単に言えば、歪みの中から生まれた偶然の産物です。それくらいの認識でいいと思います。
この本を読んでいると、誤配という現象が今の社会にとって必要な、救世主的か立ち位置であるように思えてなりません。
では、観光客以外にも誤配から生まれる新たな可能性がというものが存在するのではないか?とそんな事を感じます。
世界がどのように変化していくのか?
また今後誤配から新しい可能性が生まれてくるのか?
僕は今後、このあたりを頼みにしながら社会をじっくり観察していこうと思っています。
やっと書きたいことがある程度書けました。とはいえ、まだまだ感じたことを全てぶつけられてはいません。わかったこと、気づいたことが出てきたら、あるいは、それを新たな言葉で表現できるようになったなら、もう一度この題材で感想文を書きたいなと思います。
というわけで、本日はこの辺で失礼致します。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
また明日の記事でお会いしましょう!