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【読書感想文】石原慎太郎「弟」

こんばんは!
究極の他己紹介であり至高の私小説。小栗義樹です。

水曜日は読書感想文を書かせて頂きます。僕が読んだ本・好きな本を題材に感じたことを自由に書く試みです。

本日の題材はコチラ

石原慎太郎「弟」

昭和の大スターであり、石原慎太郎さんの弟でもある、石原裕次郎さんのことを書いた私小説となっています。

作家自身と弟である石原裕次郎さんの共通の思い出である幼少期から、各々が才能を発揮して、補い合いながら時代を掴み取るまでの物語です。その裏で、弟の怪我や病気、破滅的な生活を、兄として、家族としての視点で書いています。

前半の幼少期の思い出はダイジェストのようでありながら、弟である石原裕次郎さんの人柄が分かるようなエピソードをピックアップしているように感じます。作者と弟の性格の比較や、弟単体のエピソードを兄の視点から見ながらその感想を述べたりと、とても読みやすく心を掴まれていくような感じがあります。

それは、石原裕次郎さんがスターになるべくして生まれた人である事を証明するかのような文章だなと思いました。

愛とか絆がどーのこーのというよりは、誤解を恐れずに言うと、ちょっと異物というかすごいものに触れるような描写が多めに感じるんですよね。ただそこに嫌悪感みたいなものはなく、それは兄弟という不思議な人間関係を表しているようにも読めます。

この小説には、海とヨットの話が沢山出てきます。慎太郎さんと裕次郎さん兄弟の共通の趣味がヨットだということもあり、舞台として採用されるのは当然の事なのだとは思うのですが、ここでも兄弟2人で冒険したとか、海から見える朝日をみたとか、そういったエピソード的な話はでてきません。むしろ、乗り方に関する方針が明確に分かれたことや、弟に焚き付けられた事で、多少無茶な船乗りをやった話などが書かれていて、この先の将来におけるそれぞれの特技や特徴を活かして助け合っていく事の布石となっているような気がして、読んでいると単純にこれからの展開にワクワクしました。

この私小説は、今までの石原兄弟の人生を書きながら、同時進行で石原裕次郎さんの体調や怪我に関する話が書かれています。

それはの昭和という時代の大スターになる事と引き換えに降りかかった宿命のように思えて、破天荒という言葉の意味のリアリティを感じずにはいられませんでした。

最後のがんを隠す周囲の心境、兄である慎太郎さんの所感みたいなものがポツポツと漏れてくる感じはなんとも言えず堪りませんでした。ここで病気を隠さないと、石原裕次郎というスターは迷わず自ら命を絶つだろうという周囲の判断は、まさに石原裕次郎だから言わせる事が出来たのではないかと思います。それくらい壮絶な病気と怪我を掻い潜り、それくらい大きな影響力と伝説を残したという事が、この時の周囲の人間の判断に表れていると思うのです。

総じて言えることは、石原裕次郎が本当にスターだったという事を、この私小説が物語っているということだなと思います。

時代はこの兄弟のためにあった。それが自慢ではなく、事実であるという風に文章に落とされている事がよくわかるのです。

石原兄弟は、後の時代に繋がるいくつかの大きな功績を残していることが、この本を読むとわかります。それは、現代では当たり前の手法として存在するものばかりです。新しい価値観、新しい可能性を提示するというのは、それこそ歴史的な問題であると僕は思います。時代がこの兄弟に追い風をもたらした。その追い風の正体が、この本に記されている。そういう本って、あんまりというかほとんどないんですよね。だからこそ、ベストセラーになったのではないかと思います。

僕はこの本を読みながら、弟について考えていました。僕にも7つ年が離れた弟がいます。特にリアルだなと思えたのは、弟という血を分けた存在の不思議さです。前述しましたが、当たり前のようでもあり、奇跡とは思わないけど実は奇跡のような存在で、奇妙でもありありがたみもありという、他者とも近しい人間とも違う間柄。

それを大切な人間である事を尊重しながらも、このある種の不気味さをエピソードにのせて文章にする。表現のうまさみたいなものに惹き込まれながら、最後はきっちり涙することが出来ました。

子供の存在と家族の在り方、兄の家族との関わり方と叔父という立ち位置。様々な角度からみる昭和の大スター石原裕次郎を読むことが出来ます。

すごくオススメの一冊です。ぜひ読んでみてほしいなと思います。

というわけで、本日はこの辺で失礼致します。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
また明日の記事でお会いしましょう!





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