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徒然エッセイ まとめ

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旅とか本とか音楽とか、徒然に書いたエッセイまとめ。
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#エッセイ

10年前に作ったふすべ餅が、友達の家の正月料理になった話

10年前に作ったふすべ餅が、友達の家の正月料理になった話

 私の地元には、ふすべ餅という食べ物がある。みなさん、ご存知だろうか。同じ町内でも知らない人もいるので、食べられている範囲はとても狭いのかもしれない。

 ふすべ餅は、ごぼうをすりおろし(この作業が意外と大変)、鶏肉と一緒に炒め鶏ガラスープで煮込み、醤油・酒・みりんで味付けし、七味を振ったスープの様なものに、お餅を入れて食べる、お酒の肴にピッタリの餅料理である。元々はドジョウで出汁をとっていたらし

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大雪なので、おうちコーヒー蜂蜜入り

大雪なので、おうちコーヒー蜂蜜入り

 私はコーヒーが好きである。でも、詳しいわけでも、強いこだわりがあるわけでもない。好みのコーヒーが美味しく頂ければそれでOKと言う、至ってシンプルなやつだ。毎日飲む様になったのは、昔住んでいたラオスがコーヒー豆の産地だったから。お店では東南アジア特有の甘ーいコーヒーばかりだったので、自分で淹れる様になった。ラオスのコーヒー豆については、以前の記事を読んで頂けると嬉しい。

 そんなワタクシ、先週東

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最後の出社日、今更寂しくなった話

最後の出社日、今更寂しくなった話

 1月14日が最後の出社日だった。とは言っても休業中の為、社長面談とオフィスの片付けの為に会社へ向かった。

 2020年4月から今まで、休業が開けることはなかった。そして、そのまま希望退職に応募し、社長面談と最後の出社。前に1日だけ研修で会社に行ったけど、最後まで支店全員がそろって会う事も出来なかった。

 勤務先は、旅行会社である。コロナ禍で苦境に立たされている。もちろん、旅行会社だけが大変な

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名前で呼ばれると言う事

名前で呼ばれると言う事

 20代の頃の職場は、苗字ではなく名前で呼ばれる所に長く勤めていた。それから渡ったラオスでも名前で呼ばれ続けていたし、海外の旅行先でも、日本人の苗字は長いからと言う理由で名前で通して来た。

 だけど、Uターンをして宮城に戻ってからは、苗字でしか呼ばれなくなった。30代のおばさんになった私は、日本の職場だしそれが当たり前なんだ、と全く気にも留めていなかったけれど。

 最近、副業解禁で働き始めたコ

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猪苗代湖畔で、小原庄助になる日

猪苗代湖畔で、小原庄助になる日

 「小原庄助」と聞いてピンとくるのは、どうやら東北人らしい。みんなが知っているとばかり思っていたが、そうではないみたいだ。猪苗代湖の湖畔でゆるゆるとビールを飲みながら、友人に「えっ、誰?」と言われ驚いた。会津磐梯山の小原庄助さんだよ、知らないの?小学校で習わなかった?そんな庄助さんがタイトルになっている、私の大好きな大人の文化祭「オハラ☆ブレイク」について、少し書きたいと思う。

 オハラ☆ブレイ

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5ヶ月振りに出社した日、街は動いていた

5ヶ月振りに出社した日、街は動いていた

 4月の頭から現在まで、絶賛休業中である。旅行業の為、コロナ禍の影響をモロに受けているのだ。支店は支店長がワンオペで回し、それでも事足りる状況で、まだまだ復帰の目処は経っていない。どうなるんだろう、と思う反面、自宅での生活を満喫しつつある最近は、逆に社会復帰が出来るのかが心配にさえなっている。

 そんなある日、システム研修の為1日だけ出社を、と連絡が来た。これまでもオンラインでの研修は多々あった

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ラオスのコーヒー豆と日本で再会する夏

ラオスのコーヒー豆と日本で再会する夏

 今年もタリーズコーヒーから、「ELEPHANT RUBY LAOS」と言うコーヒー豆が発売された。昨年に続き、私が購入するのは2年目だ。水色ベースにピンクの象の顔が可愛らしいパッケージ。LAOSと名前に付く様に、ラオス産のコーヒー豆だ。私がかつて暮らしていた、ラオス・チャンパーサック県パクセー市から程近い、ボラベン高原産のコーヒー豆。日本でこの名前を聞く事が出来るとは。懐かしさと共にラオスの思い

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ケセンロックと私。

ケセンロックと私。

 2015年から毎年、海の日の3連休は岩手の種山高原へ帰ると決めている。天気はだいたい雨で、長靴とレインウェアが正装だ。そんな中、私はそこでキャンプをする。テントを張って。大好きな田舎の夏祭り、KESEN ROCK FESTIVALに参加する為に。

 昨年開催10回目を迎え、今年はフェス自体が力を蓄える為に前向きなお休みをしている所だった。コロナ禍で今年の音楽フェスはことごとく中止になる中、例年

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都内で少しだけ旅気分を味わった話

都内で少しだけ旅気分を味わった話

 2月4日から、ダイヤモンド・プリンセス号で9日間のクルーズに出発する予定だった。しかし、だ。私が乗る予定だった船は、出港する事は出来なかった。残されたのは有給。半年以上前から根回しをしていた休暇はそのまま取得することになった。そして、一緒に乗船予定だった東京の友達を訪ねた。
 せっかくだから、少しでも旅行気分を味わえることをしよう、そんなテーマで動くことになった。いつもだったら友達宅に泊めてもら

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旅をする本

旅をする本

 江國香織の「神様のボート」を初めて手にしたのは、今から20年近く前のプラハのバックパッカーズだった。1泊だけ一緒だった、日本人の女性が帰国する際、活字が恋しくなるよ、と持っていたこの本をくれたのだった。

* * *

 フランクフルトの空港に着いた後、そのまま夜行列車でプラハに向かった。海外で列車に乗るのも、コンパートメントの車両も、真夜中に国境で列車内にて出入国の手続きを行うのも全てが初めて

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