目、耳よりも“心”で「美しい」と感じるものが好き。
もしかしたら自分は
感覚的に「美しい」「綺麗だ」と
感じられるものが
好きなのかもしれない と
ふと思いました。
たとえば
雰囲気や世界観、
人の感情、感性、
考え方など。
(目や耳ではなく)
「心で美しいと感じるもの」
というのでしょうか……。
雰囲気ゲームなどが
好きなのは
まさにこれなんだと
思います。
(目で見たり耳で聞いたりして
綺麗なものも好きなので、
目・耳・心のどれにとっても
綺麗なのに越したことはないんですけれどね)
「具体的な優れた点は挙げられなくて、
雰囲気が良いとしか言えないんだけど、
でもたしかに好きだと感じる」
というのは
もしかしたら
“心で美しいと感じている”
ということなのかも
しれないですね。
この感覚はきっと
思ったよりも大切で
自分に潤いと安定を
与えてくれるものを
見つけるための
大切な指針に
なるのだと思います。
具体的ではないから
といって
というよりもむしろ
具体的でない、
説明も習得も難しい感覚
だからこそ
蔑ろにしたりせず
大切に持っておくべき
感覚なのではないかなと
思います。
ない人にはない感覚だと
思うんですけれど
ある人には
ある感覚ですので
そういう人にとっては
“その感覚”……
つまり
“その感覚で
いいなと感じるもの”が
生きる上で必要である
ということだと
思いますし
(もし完全に必要のない感覚なら
進化の過程ですでになくなっているかと思います)
直感など
なんとなくの感覚は
知識だけでは
判断しきれない物事を
本能や感覚で判断して
伝えてくれているという
ことだと思いますので
たとえ世間や他人には
軽視されることが
多くても
自分のために
大切に持ち続け
活かし続けたいなと
思います。