昔話なお宿 ~鶴の間~
前回はこちら。
古めかしい老舗旅館に、
泊まりに来た男性。
宿の独特なサービスに、
戸惑うことばかり。
客室には風呂トイレなし。
トイレだけはと、
お願いしたところ…
庭に穴を掘られる始末。
果たして今回は…。
お庭。
「では、私は次の準備がありますので、
これで失礼いたします。
トイレはご自由にお使い下さい」
「…はい」
女将は、
スコップを持って行ってしまった。
「……。
……ここでするの?
これ…ただの穴だよね。
広い庭の真ん中で、
仕切りも何もないし…。
いくら離れで人が来ないからって…。
本館から丸見えじゃないの?
まあ、食事で本館に行った時、
トイレを済ませればいいだけか…。
まあいいや」
男性は部屋に戻ってきた。
「疲れた~。
何だろう…。
チェックインして、
2時間しか経ってないのに、もう寝たい。
身体が休みたがってる…。
色々有りすぎなんだよ…この旅館」
疲労から椅子に倒れ込む男性。
「今から夕食かぁ…
温泉もまだだしなあ。
旅館のド定番を、
何も楽しめてないのに…」
シャーコシャーコシャーコ
「ん?何だ?
何か聞こえるぞ」
シャーコシャーコシャーコ
「どこからだ?
ん…隣?」
男性は静かに部屋を出ると、
ソロリソロリと隣の部屋へと近づいた。
シャーコシャーコシャーコ
「絶対ここだ。
鶴の間?
今日、この部屋には、
宿泊客はいないって、
女将言ってたよな」
シャーコシャークシャーコ
男性はそっと扉の隙間から、
中の様子を覗き見た。
明かりの点いてない室内は、
真っ暗で何も見えなかった。
カタッ
目が慣れ…
暗闇に微かに動く人影が見えた。
そして…
突然、ギラリと白く光る刃物。
シャーコシャークシャーク
暗がりで刃物を研ぐ手が、
急に止まる。
「あれほど覗かないでと言ったのに…
あなたは見てしまったのですね」
人影が急に振り返り、
男性の方を見た!
光に照らされ、
浮かび上がった鬼の形相!
「ギャーーー!!
って、あれ?
さっき見たよ、その顔」
関節照明を浴びた女将が、
出刃包丁を握っていた。
「なんで女将が、
ここにいるんですか!
一体、何してるんです?
こっちは、
誰もいない部屋から音がして、
怖かったんですから」
「それは失礼いたしました。
料理の下準備があったのを、
思い出しまして。
ここでしかできない、
作業だったものですから」
「ここでしか?
女将、自ら?
旅館って、料理人の方いますよね?」
「ええ、おりますけど、
何分、ここには来たがりませんし、
みんな嫌がるものですから」
「ん?何かこのやり取り、
何回もしましたね…」
「さて下準備も終わったので、
私はこれを調理場まで持っていかないと。
今日は美味しいムニエルです。
お客様。夕食、楽しみにしてて下さい」
「ムニエル?
ここでしか?
それって……まさか!
サメ!!
ええ~~~!!!
女将、自分でサメ獲って、
捌いたんですか?!」
「では、新鮮なうちに、
持っていかないといけませんので、
これで私は失礼いたします」
女将は大きなクーラーボックスを抱え、
池を跳ねるように飛び越えていった。
「あの人の存在は…
昔話を超越してるな」
つづく。