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「七草粥の起源と歴史、効能について」
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七草粥の歴史について
七草粥の起源や背景には、自然崇拝や季節の節目を大切にする文化が深く関わっています。その歴史を時代ごとに概観していきます。
1. 古代中国の「人日」と若菜摘み
七草粥の直接的な起源は、中国の「人日」の節句にあります。「人日」とは、正月の7日目に人の運勢や健康を占う日とされ、薬草や七種類の野菜を入れた羹(あつもの)を食べる風習がありました。
この風習には、自然の生命力を取り入れるという意味が込められており、中国では古代から薬草や野菜を「医食同源」の観点で重視していました。
2. 奈良・平安時代の宮中行事
日本にこの風習が伝わったのは、奈良時代の遣唐使が持ち帰った唐文化の影響と考えられます。当初は宮中の貴族社会で、儀式的に春の若菜を摘み、それを粥にして食べる「若菜摘み」の行事が行われました。
平安時代になると、この若菜摘みが「人日」と結びつき、五節句のひとつとして七草粥が作られるようになります。この時期には、若菜を摘む行為自体も邪気払いの儀式とされていました。
3. 室町時代~江戸時代:庶民への広がり
室町時代には、宮中行事としての七草粥が武士階級にも広まり、江戸時代には庶民にも広がりました。江戸幕府が五節句を公式行事と定めたことで、1月7日の七草粥は年中行事として定着しました。
この頃には、七草を歌に詠み込みながらリズミカルに包丁で刻む「七草叩き」の習慣も生まれ、正月の家族行事としての側面も強まりました。
4. 現代における七草粥
現代では、スーパーマーケットなどで「七草セット」が販売されるようになり、簡単に作れる形で親しまれています。伝統的な意味を知らなくても、健康食として食べる家庭も多いです。
また、地域によっては七草を使わず、地元の旬の野菜を入れて七草粥をアレンジする風習も見られます。
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