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#エッセイ
essay #15 情熱
「自分を信じられる限りやるとかじゃなくて、騙せなくなるまでやるってことだと思うんだよね」という言葉を、ずっと覚えている。
10代の終わりから20代半ばにかけて、将来を担う子どもたちを笑顔にすると本気で願い、NPOのリーダーをしていた。捻れた自己認識をひとつひとつほぐし、愛情を受けていいと教えてくれ、前に進む気持ちを否定せずに、厳しくも優しく育ててくれた私の第二の実家のような場所だ。今も理事として
essay #14 幸運
映画「any day now」(邦題:チョコレートドーナツ)を観た。
人間にしかない、他の動物では起こり得ない、社会構造のなかにしか見いだせない苦しい出来事を描いた、観るべき映画のひとつだった。
友人は嗚咽するほど泣いたと言っていたし、映画が描いていた衝撃はとても大きなものだったけれど、感傷に浸るというよりは、社会に対する重たい鉛のような懐疑心が心臓に残る気持ちで、表情筋をなかなか、動かせない
essay #13 忘却
忘れたくない、と思うことがある。
変わりたい、前に進みたい、と思うことも多々あるけれど、同じくらい、刻んでおきたい、無かったことにしたくない、と思うことの多い人生だ。
昔はひとからもらった愛を、忘れたくないと思っていたようだ。
思い出ボックスと呼ぶにふさわしい箱を持っていて、小学校の頃に友人からもらった手紙やプレゼントに入っていたカードなんかをぽんぽんと保管していたその箱は、今でも自室のクローゼ
essay #5 涙腺
一番泣きたい時に泣けないほうだ。
今すごく悲しいなとか、今すごく嬉しいな、と思った時ほど、出てきてほしい涙が出てこなくて、ただ心臓に来る重みみたいなものを、噛み締めている。
泣けば許されると思うなと言われて育ってきたからかもしれない。
リーダーが人前で泣くのは無しだよと先輩に言われたことがあるからかもしれない。
相手に気を遣わせる行為だから、技として使っていると思われたくないというのもあるかも
essay #4 凡庸
人は人をカテゴライズすることで安心するけれど、自分のことをカテゴライズされるのは喜ばしくないものだ、と本に書いてあった。
多くの人が「30代男性、独身、サッカー好きなどとカテゴライズは出来るけど、そうはいっても自分には人と違うこんなところがある」と思いたいものだそうだ。
確かにそうだな、と納得した。
高校生の頃は自分が凄く醜く、碌でもない人間だと頭の片隅で常に考えていて、きっと自分はうまくい
essay #3 友情
異性との友情は成立すると思っている派だ。
なぜなら、グラデーションで存在する感情に友情という概念をつくったのは人間である上に、人間は自分の選択によって人生の舵を切ることができるから。
つまり本人の意思次第じゃない?え?違う?みたいな感じだ。
男女の友情は成立しないと言っている人のしたり顔を見ていると、なに自分の意思ではどうしようもない大いなる力によって漏れなく恋しちゃうみたいなこと言っちゃってる
essay #2 出自
気づいたら産まれていた。
産んで欲しいと思ったことはない。
女性に産んでほしいとも、母子家庭に産んでほしいとも、姉が欲しいとも思ったことはない。
気づいたら23区の、古い日本家屋で、祖母を含む女4人暮らしが始まっていた。
幼い頃から「育ててやっているのだからこの家では母親の言うことを聞きなさい」と言われてきた。
「従うのが嫌なら出ていきなさい」
「お前みたいな奴は役立たずだから野垂れ死ね」