essay #2 出自
気づいたら産まれていた。
産んで欲しいと思ったことはない。
女性に産んでほしいとも、母子家庭に産んでほしいとも、姉が欲しいとも思ったことはない。
気づいたら23区の、古い日本家屋で、祖母を含む女4人暮らしが始まっていた。
幼い頃から「育ててやっているのだからこの家では母親の言うことを聞きなさい」と言われてきた。
「従うのが嫌なら出ていきなさい」
「お前みたいな奴は役立たずだから野垂れ死ね」
「死なれたらそれはそれで面倒だから消えて無くなってくれ」
「産まなければよかった」
あたりの言葉は忘れようと思っても難しい。
母を大切に思っているけれど、和解してからも20代前半は呪いのように脳裏に浮かぶ鋭利な記憶が心臓に刺さっているようだった。
今思うと、おかしな話だ。
やりたいことや生きたい道に向き合うことができずに、愛する人と結婚していく周りに焦り、それでも結婚したい人を見つけ、子どもを持つ幸せを知りたいと、未来を選び取ったのは紛れもない母自身だ。
無数の選択肢から自分の未来を選び取り、どんな自我、どんな病気を持った人間が生まれてくるかも分からないのに子どもを作ることに決めたのは、彼女なのだ。私ではない。
そう思ったら、背負っていた自責の念がガラガラと落ちていって、非常に身軽になった。
自分の意志で産んでおいて、望み通りの子どもじゃなかったから産まなければよかったとは、なんとも身勝手な発言だよなあ、なんてすこし笑える。
けれども今、穏やかで慎ましい本来の性格を取り戻した母を眺めながら、あの異常だった期間を振り返ると子育てとはほんとうに大変なものだったんだろうなあとぼんやり許している。
もう自分を責めなくていいよ、私はしあわせだからね。
自分の選択の連続が人生だよと、10代で知れた私は幸せ者だ。
そして、出自は誰にも選べないものだということも、思い出すことができている。
見えない未来でいいから、こっちに進みたいと決められるようになってから、人生は楽しくなる。
自分で選べない範囲のことは、自分のせいにしなくていい。