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essay #7 敬遠

テレビを持っていないのであらすじは知らないけれど、ドラマ「いちばんすきな花」の夜々ちゃんの姿をショート動画で観て、泣きそうになった。

自分がどれくらいの見た目のランクなのかは、20年以上生きていればよくわかっているつもりだ。
あくまで一般人の範疇において、ある程度外見のアドバンテージを享受して生きてきた方だし、性別においてもどちらかというと、得する側の扱いを受けてきたように思うから、その点において自分の環境に文句を言うつもりはない。

それでも図々しいことに、一丁前に傷つくこともある。

ショート動画を見ていて、夜々ちゃんが女友達をご飯に誘ったとき、「夜々なら誘えば来る男、いっぱいいるでしょ?」と断られるシーンがあった。

どんな文脈でそのシーンがあったのかは知らない。
けれども、それだけで心に刺さるものがある。

上手く言えないけれど、ひとは、外見やスタイル、収入やステータスによって、友達と同じ話ができない時があるみたいだ。
それも、話した上で波長が合わないとかではなく、話にそもそも入れてもらえない時がある、という意味で。

ニキビができて落ち込む。
目標のスタイルから遠ざかって落ち込む。
好きな芸能人のコスメが似合わなくて落ち込む。
着たい服が合わなくて落ち込む。
好きな人に冷たくされて落ち込む。

そういった場面には、多くの人がぶつかるはずだ。

大小はあれど、似たようなことで一喜一憂しては、こんな小さなことで悩んでいてはいけないと、自分を奮い立たせて一歩前に進む。
あるいはそんな時に、同じような出来事を経験した「友達」と感情を共有して、ひとりじゃないなら、と頑張れたり、今日くらいはこの子達と楽しもう、と自分をあまやかしたりする。

そういう会話って、
自分の体重が50kgで落ち込むひと、
70kgで落ち込むひと、
100kgで落ち込むひと、
いろんな価値観を持つ人がその垣根を越えて、
「何キロにせよ、なりたい自分になりきれない自分って悔しいよね」
と、フラットに交わせるものだと思っていた。

どうやらこの社会は、そういうひとばかりではないみたいだ。

私は自分が太っても、
ニキビができても、
浮腫んで目元がぱんぱんでも、

いつも1人でそれを感じ、1人でそれを解決しなければいけないのだろうかと、感じる事がある。

みんなより痩せてるんだからそういうこと言うのやめなよ。
いつも可愛いからだいじょうぶだよ。
誰も見てないし気づかないから平気だよ。
むしろそういう発言すると嫌われるよ。

そんなふうに何度も何度も嗜められてきた。

贅沢な悩みと言われてもしかたないとわかっている。

それでも。

どうしようもなく、ああ、ひとりだなあ。
と思わざるを得ない時もあるのだ。

思わず口から出て、誰かに甘えようとしたとき、ふと前に言われた言葉が脳裏をよぎって、口をつぐむ。
わたしも誰かに嫌なやつだと思われたくない、一般的な女性にすぎないのだ。

本当に心からこぼれた雑談を何も考えずできる相手って、たぶん限られている。

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