見出し画像

essay #15 情熱

「自分を信じられる限りやるとかじゃなくて、騙せなくなるまでやるってことだと思うんだよね」という言葉を、ずっと覚えている。

10代の終わりから20代半ばにかけて、将来を担う子どもたちを笑顔にすると本気で願い、NPOのリーダーをしていた。捻れた自己認識をひとつひとつほぐし、愛情を受けていいと教えてくれ、前に進む気持ちを否定せずに、厳しくも優しく育ててくれた私の第二の実家のような場所だ。今も理事として籍を置いたまま、当時の仲間とたまに顔を合わせては、温かい空間に感謝している。

そのNPOに自他共に認めるほどのめり込み青少年教育に取り組んでいたころ、活動を届ける先は地方だったが、都内でもPRや手伝いの機会に恵まれ、いくつかのイベントを手伝っていた。その中の一つが区で行われるスポーツ大会のスタッフだ。
私が所属していたのは300人を超える大所帯のNPOだったため、中でも地域活動に興味を示した学生を引き連れて、年に数回10名ほどで手伝いに行っていた。

スポーツ大会の運営のひとりに、40代の区議会議員がいた。私たちの活動にも理解を示し、何度か一緒に飲んだりするうちに定期的に情報交換をする仲になっていた。
彼は当時で2期目か3期目だったが、研究職上がりで論理的な部分と、人情に熱い部分を持ち合わせており、親しみやすい人だった。年齢が他の議員よりも近く、話がしやすかったのもあるし、自身も父親であり子どもを起点にしたまちづくりには思うところがあったようで、意気投合したのだと思う。

ある時スポーツ大会を終えての飲み会で、仕事や活動に対する姿勢の話になり、日々、心無い言葉や反対勢力に怯むこともあるだろうに、どんな風に政治家としてのモチベーションを保っているか、という話になった。
こちらはNPOの運営者だけれど、300人が集まる組織は一つの町のようなもので、何度ルール作りや研修をしても想いが伝わり切らないもどかしさや、町の人の温度感とのギャップに苦しむこともあった。
顔と名前がはっきりと見えないチームの後ろの方から飛んでくる刃のような言葉に一喜一憂したり、慎重に選んだはずの言葉が誤解され訂正に辟易したり、子どもの笑顔というイメージしきれないゴールに向かう終わらないマラソンの途中で、学生の自分には背負いきれない重圧を捨てたくなることも多かった。
当時の自分は、その状況は政治家に通じるものがある、と感じていたのかもしれない。

彼はビールを飲みながら、赤い顔で
「自分を騙せなくなるまではやるってことなんだと思うんだよね。信じようってのは強すぎるから、そのくらいに思ってやってる。綺麗事じゃんって思ってても、自分を騙せるうちはきっとまだ頑張れるんだよ」
と言った。

真正面からその仕事が楽しいと、毎日言いきれるわけがない。
もちろん、自分で決めた道を、心から信じて歩みたい。
誰かが喜び、味わい、幸せになってくれることだからやっている。
だけど、正しいかどうかも続けるべきかも本当は掴めたわけじゃない。

でも、組織が掲げている熱いビジョンは結構悪くないし、共感するところがある。
未来にはそれが腹落ちするかもと思えば、朧げな光に向かって今日のところは走れたりする。

きっと政治家が掲げる町の理想像も、似たところがあるのだろう。

それを生涯かけて目指したいんだ、とまでは胸を張れなくても、毎日自分を騙せるなら、自分の気持ちとして話すことに違和感がないなら、その気持ちはもうこの瞬間、ノンフィクションだ。
きっとその時に語る言葉は少々カッコつけていて、後から聞いたら恥ずかしいのだろうけれど、決めた道をしばらく走ってみることで見える次の世界へ、わたしを連れて行ってくれる。そんな気がした。

彼はそれ以上親しくなることは特になくイベントで顔を合わせるくらいで、この一節以上に記憶に残るやり取りは、正直なところほぼない。
私もNPOの仲間たちもそれぞれの道に進み、連絡こそ取っていないが、たまに彼の議員事務所からメルマガが届くので、4期目か5期目に入る政治家生活を、なんだかんだ続けているのだろう。ということは、彼もまだ目指すべき町の姿を思い浮かべ、自分を騙せているのかもしれない。

自分を鼓舞して、騙しているときがあってもいい。

気持ちが0%になり、自分を騙せなくなった時が辞め時だ、それまでは浮き沈みも受け入れて騙し騙し続けてもいい。

そう思ったら不思議と迷っている時間は短くなり、前を向いて走れるようになったのを覚えている。

いいなと思ったら応援しよう!