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薮の中の山帰来(さんきらい)の赤い実ほど美しいものはない … 特殊な名の山帰来は次のような名前の由来があります。 山で病気になった人がサルトリイバラ(別名)の根をかじって病気が治り、山から帰ることができたことに由来しています。 以前は見つけると直ぐに取ってクリスマスリースに利用した時期もありましたが、家の中に入れると途端に表情が変わるようで…薮中に見る山帰来の方が何倍も綺麗だと思うようになりました。 暑い夏が過ぎて木々がもち耐えることが出来るのか心配していまし
朝陽の反対側の連山。夕焼けより優しい… お天気に誘われて、かねてから気になっていた「馬頭町広重美術館」の老朽化を見に行く。 世界的に名を馳せている建築家隈研吾氏設計です。 美術館全体は、地元産の八溝杉による格子(ルーバー)に包まれ、時間とともに移りゆく光によってさまざまな表情を見せます。内装にも地元の材を使い、壁は烏山和紙、床は芦野石を使用しています。 15年前に観た時は潔い竹と屋根と空の面積に驚いた。 しかしながらこの度見ると、灯りの和紙は光焼けし、八溝杉はと
紅葉葉楓(モミジバフウ) 北米原産で、別名アメリカフウやアメリカソゴウコウノキともよばれる。 中国原産のフウのなかまで、葉がモミジのように5裂から7裂するのが特徴で、和名の由来にもなっている。公園樹や街路樹にされる。 出会っていても名前は分からない事が多い。 ユリノキと同様に大きくなりすぎて家庭の庭で見かけた事はありません。ユリノキの実生を庭のすみに植えたところその成長の速さに驚き植木やさんに注意されました。 道の駅「明治の森・黒磯」 / 栃木県那須塩原市の駐車
秋色とは"秋心"とも置き換えられる。人恋しくもある前に自身の心を取り戻して次の一ページに繋ぎたい。 オレンジと紫を合わせるのはグラフィックデザインを勉強し始めた頃(まだ図案と言う言葉も残っていた)は勇気が入りました。 エメラルドグリーンが垢抜ける。 入試の実技試験に敢えて使った記憶あり…
不思議な"birthday present"を貰いました。 『キャリー・ザ・サン(CARRY THE SUN)のバッテリー寿命は、使用環境によって異なりますが、Mサイズで一晩12時間(弱モード)使用した場合、約8年間使用が可能です。 また、電池寿命は約500回繰返し充電が可能です。』 科学的で合理性に適って、それでいて太陽の下に小人さんの落とし物のような形状のパネルを太陽光(10時から15時の間)で充電できる。 すると不思議な「キャリー・ザ・サン」 魔法の絨毯
暑すぎた夏のせいか?理由は分かりませんが落ちた葉(落葉)が美しい秋です。 古い話…欅の正方形の額縁が欲しくて二つ作って貰いました。 「片付け」は記憶の整理です。 ガラスの絵のマットの下から恩師に頂いたと記憶する『島崎藤村』の版画文字が出てきました。師はその時、どんな思いで渡されたのでしょう。 丁寧にお礼を言った記憶はない。 厚かましくも自作の布の上に重ねた。島崎藤村(1872〜1943)と言えば… 『まだあげ初《そ》めし前髪《まえがみ》の 林檎《りんご》のもとに見
日本のパッケージを紹介される時、必ずこの"卵パッケージ"が本に出ていた時代がありました。 この度、検索して岡秀行氏(1905-1995)のデザインだと知りました。 木、藁、笹の葉などの自然素材を使った日本の「包む文化」に注目し、伝統パッケージの収集・研究をしたデザイナーで、国際的にも広く知られています。実は、NDS(日本デザイナー学院)の四代目校長先生だったそうです。 山形市に移り住んだ時、新庄まで実物を見に出かけて購入。 時間が経っても藁は劣化しなかったのですが、中
バガス(フランス語:Bagasse)はサトウキビ搾汁後の残渣。年間約12億トン生産されるサトウキビからは約1億トン(乾燥重量換算)のバガスが発生する。 主に紙や衣料品の原料、ボイラー燃料、建築資材、家畜飼料などに用いられる。 温めたご飯にカレールーをかけてレンジで加熱した。食事をして洗ったトレー 『長時間熱い食品を入れるなどご使用方法によって容器が柔らかくなったり、食品が染みたりする場合がある。』 カレーは少人数家庭においては鍋も皿も洗う事が負担になってきます。
「彼は最近亡くなりました。」 「彼は安らかに亡くなりました。」 未亡人という言葉の起源は、古代中国にあります。 『夫が亡くなった後に、妻も共に殉じるべきという厳しい習慣に反し、残された妻が自らを「未だ亡くならない人」と謙遜して名乗ったことが由来です。』 この表現は当初、女性自身が自分を指して使う言葉でしたが、次第に他人からも使われるようになりました。 「未亡人」と「寡婦」は、どちらも夫を失った女性を指す言葉ですが、その使い方やニュアンスには違いがあります。 「未亡人」
東京電力エナジーパートナーから「重要封書」が届き全電化住宅割引が2025/03/31で終了。 深夜電力の割引は2000年10月から始まって我が家もそれに乗った。 理由は電力小売全面自由化、省エネの進展に電気の使用量が大きく減少した。 幸いな事に太陽光発電は麻生太郎氏の一言でやめた。"乗る"のはやはり後悔も多い。 冬の暖房は土地柄、原木や薪を入手しやすく、薪作りを楽しむ余裕もあった。 時は流れて、仲間たちは負担になってきたらしい… しかしながら、プチ田舎暮らしは
ジェット機のように厚い雲を抜けたら霧が晴れて、下界から遥か遠く離れた。 1981年開館。当時箱根とともに何回か観に来ていた。 慌ただしく過ぎた日々。相当な年月が経っていた…。(現在300点) 我が家の歴史でもあった。すでに亡くなった作家も… 動きを感じる。まったく動きを感じることなく存在感を示す。 また、緻密に計算された作品。 作家の意図するところは大自然の環境の中では観るものにはただ「在る」事のみを示す。
青木農場を開設した青木周蔵(あおきしゅうぞう)(山口県出身、明治時代のドイツ公使・外務大臣、子爵)の那須別邸として、明治21年(1888)に建築されました。 当初は中央の2階建ての部分だけでしたが、明治42年(1909)に増築し、ほぼ現在の形となりました。地域の人々から青木邸と呼ばれ、親しまれてきました。 設計者はドイツで建築学を学び、七十七銀行本店や台湾鉄道ホテル等の設計をした松ヶ崎萬長(つむなが)です。 この青木邸は、わが国に残る萬長の唯一の作品で、軸組や小屋組に
『出雲の出雲大社に全国の神様が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神様が居なくなる月の意というものがあり、これは平安時代になってから言われるようになった民間語源(言語学的な根拠が無い、あてずっぽうの語源)である』 現在のように簡素化した結婚式がまだ市民権を得ていない時、住吉神社に5,000円也を奉じ土器(かわらけ)で二人祝い酒を交わした。10月だった。 親から前出のように伝えられて神さまは11月にならないと記録できないから…とまで言う。 やがて、親となり心象
デイリーポータル 買い物ついでにスーパーに置いている雑誌を眺めるのが好きです。題名を読むだけで新聞とは違う背景が見えて勇気づけられることもあります。 ちょっと離れていた本を数センチ寄せてみたものの並んだその雑誌群の題名すべてに驚いた。 捨てない! 物を捨てない… 「捨てなくても大丈夫」本の題名です。 さすがに五木寛之氏(現在91歳)は紳士ですからソフトな表現です。 しかし、かなり前から物を捨てる事には異論を唱える方でした。 「断捨離」をブームにまでした"物を捨
イタリアの海辺で暮らす高齢のユダヤ人女性、マダム・ローザ。 ホロコーストを生き延びた彼女は、行き場をなくした子どもたちを預かっていた。 そんなある日、彼女は、自分のかばんをひったくろうとしたイスラム教徒の非行少年モモを引き取り、一緒に暮らし始める。 異なる人生を送ってきた2人は反発を繰り返しながら、やがて互いの存在を心の支えにしていく。 (2020年 1時間 35分) ミヒャエル・エンデの『モモ』と重なる。 Momoは、基本的にはヨーロッパでは人名としては使われ
何の脈絡もなく気ままに集まったテーブルの上… 加筆するならばそのテーブルは元小学校の階段だった。欅(ケヤキ)の階段を子供たち上り下りしていた。 ケメックスの下の中川原信一さんの小さなアケビの敷物は山形のギャラリーで端材で作った…とかで思わぬ出会いがあった。賞をいただくかなり前の事です。 柳宗理のコーヒーカップ。粘土を刻みながら…手の跡が残っているようで温かく愛おしい。 最近はお茶たくは見かけ難くなりました。以前は旅をするとまずは街でお茶たくを探した時がありました。