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紅葉が辺りに降りてきました。連想する諸々の記憶

 暑すぎた夏のせいか?理由は分かりませんが落ちた葉(落葉)が美しい秋です。

主に桜の落葉です。
風に"吹き寄せ"られたアート
「吹き寄せアート」


赤い実のマユミは小さな庭木だと思っていましたがセイヨウマユミは大樹
その落葉の色数は絵の具では出しきれないほど数多く…


 古い話…欅の正方形の額縁が欲しくて二つ作って貰いました。

「片付け」は記憶の整理です。
ガラスの絵のマットの下から恩師に頂いたと記憶する『島崎藤村』の版画文字が出てきました。師はその時、どんな思いで渡されたのでしょう。

丁寧にお礼を言った記憶はない。
厚かましくも自作の布の上に重ねた。島崎藤村(1872〜1943)と言えば…

『まだあげ初《そ》めし前髪《まえがみ》の
林檎《りんご》のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛《はなぐし》の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅《うすくれなゐ》の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情け《なさけ》に酌《く》みしかな
林檎畠の樹《こ》の下《した》に
おのづからなる細道は
誰《た》が踏みそめしかたみとぞ
問ひたまふこそこいしけれ』
「初恋」藤村

 その師にお会いした時は70代その時から少年のような老人でした(妙な例えです) 人を正視できない、やや伏せ目がちで家内が作った弁当ですと渡された。

そのお重箱にはピラフのおにぎりと1センチ幅の奈良漬けが入っていました。

奥さまは18歳までアメリカで育った遠縁の方だと後に知った。

 島崎藤村/山崎斌編、月明会(生活文化誌)1939年

コレを語り始めると長い。すでに知る人も少ない。

「草木染」の名は山崎青樹氏の父上の命名で山崎家の商標です。

話しがそれにそれた。
『簡素』何と神経質そうな優しい文字でしょう。

月明の会の提言は今の暮らしにも適応します。

 4歳の孫娘にそろそろお稽古(茶道)の練習を…
そう言えば彼女はランドセルを背負ったまま先生のお宅に通った。

私は母親の着物の袖を引っ張ってお稽古先に出掛けた記憶あり…茶道、花道は心得だった。

 何を言いたいのか…歴史は繰り返していきます。

蛇腹に折り畳んだように繋がっていきます。我が家この秋また新しい歴史が蓋開けた…

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