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本の虫12カ月 6月
会社を定年退職したら、
と夢想するサラリーマンみたいに、
ゆっくり本が読めるようになったら、
と思っている、毎月々々。
時間がないとかいう訳ではなくて、
世界が読みたい本で溢れていすぎるから、
いつも早足で読み飛ばして、
もっと、もっといろんな本を、
と欲張ってしまう。
それでも、
ヨセフを知る一族の本たちが、
だんだんわかるようになってきた。
もうこれ以上本が手に入らなくなったなら、
手元にはこの本たちを残しておきたい、
という本たちが。
でも耽溺しない読書、
わたしの世界を拡げる読書、
というのもたいせつだと思っていて、
だからやっぱりまだ読み漁ってしまう。
どうか図書館とくまざわ書店が、
これからもわたしと共にいてくれますように。
↓前の月
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大西洋奴隷航路をたどる旅」
サイディヤ・ハートマン
*
これは図書館の紀行文のコーナーに
おいてあったが、
合っているとは思えない、歴史のとこに
置き換えるほうがよい。
*
気になっていた。
ブレイディみかこさんの推薦文がついていたが
わたしが思い出したのは、藤本和子さんであった。
彼女の本の世界のほうがつながっている。
*
アメリカ南部の、完全に断絶された世界を、
わたしは知っている。
黒と白が交わることのない世界を。
そこに誰でもないひととして存在していた。
わたしの知っている世界は、
ほとんど白かった。
真っ白といってもよかった。
黒人のひとと交わることは、
ほとんどなかった。
ときどきその深い淵をのぞいては、
たったひとりの日本人少女は
じぶんの属している社会、
歴史を共にしているひとびと、
じぶんが白紙ではない土地、
日本語の本が容易く手に入る国に、
わたしは帰るべきなのだと思った。
わたしから図書館と本屋を奪っていけない。
*
なにかが、見つかる?
むなしい問い。
「この仮の宿にて、わたしは
主の掟をうたいます」
いるべき場所を示され、そこで
与えられた役割を果たしているわたしが
問うのは傲慢だけれど。
この仮の、宿にて、わたし、は。
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ユン・チアン
*
なんて、いう、地獄。
「それでもわたしは魂を売らない」
という父親。
こんなふうに、全体的にこの狂気を捉えられた
ひとはきっと少ないのだろう。
まわりにいる中国のひとたちを想う。
彼女たちの言葉の端々にある
「あのころは大変だったから」だとか
聞き逃してしまいそうな言葉には
こんな地獄が隠れていたのかしら。
きっと、そう。
把握することができなければ、
工場で働いていたヴェイユが語るみたいに
ただ考えることを放棄して、
なにか茫漠とした闇のように、
苦しみは、貧しさは、押し潰してくる
大きな物体みたいに、なる。
だから、ことばの端に、
耳を澄まさなければ、聞き取れない。
なんて、いう、地獄。
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ユンチアン
*
読み終わった。
まあ、もう、なんていうか。
同時期に読んでいる天安門事件の本でもおもったが、
あれだけ人口の多い国では、ある程度強権的な政府
でないと治まらないのでは、とロシアや中国。
ミンシュシュギ、は比較的に良いものだ。
神として奉るほどではないけれど、
わたしはこの自由を感謝している。
ほんとうに、ほんとうに。
空気みたいな、自由を。
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安田峰俊
*
天安門事件。
ワイルド・スワンと、いまの中国をつなぐ本を
読みたかった。これはまさにそういう本だった。
中国という国、中国人というひとたち。
わたしは身の回りにいるひとたちを思いながら、
彼らをもうすこしよく理解できるようになるかも
しれないと読んでいる。文革について読みながら、
あら、あのおばあちゃんはもしかしたら、
この時代を生きたんじゃないかしら、とか。
あのひとたちを白紙にしないためには、
こちらが理解しようと、学ぼうとしないと
いけないのだとおもう。
それに、それってとても楽しいことじゃない?
彼らを愛しているから、
それは楽しいし、苦にならない。
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ハリエット アン ジェイコブズ
*
黒人のひとたちの、持続する意思、について
藤本和子さんが書いていた。
もっとちゃんと正確に引用しよう、
「苦難のなかに、人間らしさを失わずに生き延びるには、持続する意思がなければならない」
「わたしはその世界のことをおしえてもらいたいと思った。苦境にあって人間らしさを手放さずに生きのびることの意味を」
それからまた、夜と霧のことばをも思い出す。
「おおよそ生きることに意味があるのなら、
苦しむことにも意味があるはずだ」
社会がどれだけ良くなろうと、
(良くなってはいないだろうが)
どこかに、こういう苦しみをするひとは、
いつでも存在するだろう。
社会を問うべきだ、それは確かだけれど、
この世界において、悪の存在は絶えることがないのだから、わたしたちは、苦しみの意味を問うべきではなかろうか。安逸の生や、行動的な生のみに、
意味があるのではない、とアウシュビッツの医師が言っていたように。苦しみの、意味を。
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藤本和子
*
このながれで、再読。
こういう、強い女性たち。
特にトニ・ケイド・バンバーラと
そのお母さんみたいなひとたち。
一年半前に読んで、わたしのしたい子育てって、
こういうことだったんじゃないかしら、と思った。
母の子育てに、似ていた。
母のやり方は、にほんの一般的なものから、
かけ離れていて、母自身も批判されたし、
わたしも半分理解できなかった。
でも実際子供を育ててみて、
わたしのなかにあったのは、母のやり方だった。
精神が、自由であること。
閉じ込められないこと。
手さぐりと本能で、その道を進もうとするわたしに
くだらないことを言うひともいるけど、
わたしは母が成功しているのを、
それぞれの子どもたちをみて知っている。
わたしは60才くらいの年齢の女性たちのなかで、
母をいちばん尊敬している。
あのひとがいなかったら、大人の女性になることに、
失望してしまったかもしれない。
それにしても、母はどうして
アメリカの黒人女性にも似たような
魂を得たのかしら。
わたし自身はもう少し生真面目で、
四角張った性格をしている。
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ウィリアム・シェイクスピア
*
なんどめかに読み返す。
薔薇戦争についての動画をみたから、
ヘンリー6世やマーガレット王妃etcが
だれなのかわかるようになったので、
読み返してみた。
“Now is the winter of our discontent
Made glorious summer by this son of York“
「馬をくれ! 代わりに王国をやるぞ!」
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ウィラ・ギャザー
須賀敦子訳
*
図書館に返す前に、
半分まで読んでたんだから、
と読み終わらせた。
あまりにカトリック的すぎて、
わたしには、無理だった。
「カトリック小説という枠を越えている」
と須賀さんはいうけれど。
たぶん仏教小説を読んでいたら、
こんな気持ちになるだろう、
という気持ちだった。
さういう本はあるのですか?
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小柳ちひろ
*
BSのドキュメンタリーから書き下ろした本。
歴史を聞くこと、ほんとうのことを聞くことは、
相手を傷つけてしまいそうで、怖い。
そこまで相手に踏み込むことは。
信頼関係がなくてはいけないのだとおもう。
それに、生きてゆくのに忘れないといけないことと、
歴史に残さないといけないこととは、相容れない。
わたしにだって、語らなくてよい、
と思うことがあるだろう。
父方の祖父が東京大空襲のあとを旅して
みた光景を語ってくれたとき、
こころが剥き出しにされたみたいな、
魂の裸をみせられたような、
どきりとさせられるものがあった。
もう一方の祖父は、ほんもののシベリア帰りである。
けれど彼にも語れないことがあったんじゃないかしら。
語ったって、甘やかされた孫娘には理解されない、
と思うようなことは、通じないと思ったんじゃないかしら。わたしの聞く態度がいつだって悪かった。
いまは、もっとなんでも聞こうとできるようになったのに、踏み込むのが怖いような気がする。
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有馬頼寧日記1919」
山本一生
*
井深八重がでてくると知って、
アマゾンで取り寄せた。
八重さんは曾祖父の従姉妹にあたるひとで
ハンセン病患者の看護をしたことで知られている。
かのじょの親友が、有馬頼寧の愛人だった。
このふたりに繋がりがあったことは、
この本を読むまで知らなかった。
御殿場にいたるまでの八重さんのこと、
引用される日記でほのめかされる
彼女自身の恋について。
八重さんをそういうふうに、
まな板の上で解剖することは
彼女の意志に反するだろうと思う。
彼女が人生をもって残したメッセージは、
どこぞの伯爵と違って、
そんなものではないだろうから。
*
「数日の後、フェリクス総督はユダヤ人である
妻のドルシラと一緒に来て、パウロを呼び出し、
キリスト・イエスへの信仰について話を聞いた。
しかし、パウロが正義や節制や
来るべき裁きについて話すと、
フェリクスは恐ろしくなり、
「今回はこれで帰ってよろしい。
また適当な機会に呼び出すことにする」と言った。」
使徒行伝24章
*
伯爵みたいなひとに思うのは、
上の聖書のシーンである。
以上。
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四方田犬彦
*
面白かったよなあ、と
おもって何年かぶりに借りてきた。
須賀敦子さんの実家とおなじ世界。
わたしは、どちらにも、
お、細雪、と思ってた。
四方田柳子さん、
ちょっと片山廣子さんを思い出すような
抑制のきいた知的な御婦人。
平塚らいてうや伊藤野枝みたいな過激派に
踊らされないひと、すき。
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角川文庫
*
あちゃあ、ダイジェストだったか、
と買ってから気づく。
源氏物語のほうは、小学生だったかしら、
中学生のときだったかしら、
真ん中くらいまで読んで、それで
挫折したので、いまさらねえ、
と思って、枕草子のほうを読むことにした。
奥の細道、更級日記に、枕草子、
ちょっとずつ、現代語訳でだけれど、
古典を読んでいくのはいいなあ。
じぶんの国のことばに、こんなすばらしい
文学の地層があるなんて、ほんとに
恵まれたことよねえ、と
フィリピン人の友だちと話してたとき思った。
夏空に入道雲が湧いている日に、
奥の細道のはなしを母としながら、
ああ、こんなにうつくしいことばが
あるなんて、なんてしわせなんだろう、
と思った。日本人です。
![](https://assets.st-note.com/img/1719319144425-IrtLIiXBcy.jpg?width=1200)
ブレイディみかこ
*
ヨーロッパコーリングリターンズからの二冊目。
こういうあたらしい言葉、
(ルッキズムだのジェンダーなんたらだの、
そしてブルシット・ジョブという
もう既に賞味期限の切れた言葉とか)
からは、そうっと身を遠ざけている方では
あるのだけれど。こういう言葉は、
長持ちするような気がしなくって。
でもときどき、彼女くらい地べたのひとの
ことばなら、読んで、すこし世界を
拡げるのも、悪くない、とおもう。
なんだか少しなにかが重なっているような、
藤本和子さんには、鷹揚な品のよさ、
みたいなのがあるけれど、
もっとあたらしい彼女は、
もっとパンクなかんじがする。
鷹揚さというのは、文章のかんじかな?
文章というのは、人柄なのかもしれない、
と最近おもう。怒りが消えたあとの
円熟みたいなものが、
文章にはうつくしい。
*
おもしろい、とおもったことば。
「フェミニズムとは、わたしがわたしであるために、男の承認なんていらない、と主張してきた思想」
by 上野千鶴子
わたしは、これを読みながら、
神にだけ承認されれば、というじぶんが達した
承認欲求についての考えを思っていた。
男とか、女とかを、越えた次元のはなしを。
わたしは、神の課した制約を、
へりくだって受け入れる。
それは、わたしが知っているからだ。
わたしのほんとうの部分、魂とか、霊とかの
永遠に繋がっている部分には、男女かかわりなく、
神との関係において、男女はまったく平等であるどころか、性別などなんの関わりもないことを。
わたしとフェミニズムに近いものがあるなら、
その部分。精神が自立して、
みずからの頭で考えることのできる
女性になりたい、と思っている。
わたしは、自由で、精神の強い女性たちを
みて育ってきたので、それはべつに、
戦うまでのこともない、自然なことにかんじる。
(ほんとうに恵まれているのだ)
へりくだることが出来るのは、
真の強さである、とわたしは知っている。
だから、この地上で課された制約、役目は、
わたしの魂を縛ることはない。
わたしは、キリストの囚人だから。