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普通の人が書いた普通の文章


2024年7月25日(木)朝の6:00になりました。

大切なのは、普通の言葉で非凡なことを言うことである。

どうも、高倉大希です。




人の note を、けっこう読みます。

あなたの note も、あなたの note も、じつはけっこう読んでいます。


note には、普通の人が書いた普通の文章が、日々投稿されています。

普通の人の頭の中を、すこしだけ覗き見ることができるわけです。


おそらく note がなければ、その人の思考と交わることなどなかったはずです。

そんな人がいたということすら知らぬまま、一生涯を終えるのです。


『わたしの日記』やら『うちの赤ちゃんの写真』も含めて、認める立場です。出てしまったものは出してしまえばいいと思います。自己満足が表出することを、ぼくは肯定しています。

糸井重里(2014)「インターネット的」PHP研究所


旅先のまちを歩くと、とても新鮮な気持ちになります。

それと同時に、このまちも誰かにとっては地元なんだよなと思います。


極めて当たり前ですが、なんだか不思議な感覚です。

自分にとっての非日常が、誰かにとっては日常です。


裏を返せば、自分にとっての日常が、誰かにとっては非日常です。

そんな非日常の交換が、note では行われているというわけです。


普通の人がぜいたくして、いい洋服着たりうまいもの食ったりっていう、そのテーマがなくなっちゃったら、歴史の半分がおもしろくねぇってことになっちゃうんですよ。

吉本隆明、糸井重里(2004)「悪人正機」新潮社


べつに特別なことを、書こうとする必要はありません。

前述のとおり、あなたの普通は、誰かにとっての特別だからです。


べつに、綺麗ごとを言いたいわけではありません。

事実として、特別なのです。


特別なことを書こうとしすぎて、変なことになっている文章がときどきあります。

もっと普通でいいのになと、ついつい思ってしまいます。


「いや......自分に声をかけるって、どうやって?」
「書くのさ」おじさんは微笑んだ。
「書くってね、自分と対話することなんだよ」

古賀史健(2023)「さみしい夜にはペンを持て」ポプラ社


でも、特別なことを書こうとするそのようすもまた、その人の普通だと言えます。

普通に、特別なことを書こうとしてしまっているのです。


そんな心の揺らぎも、文章には表れます。

あなたのその、迷いや、葛藤や、偏りが、文章をおもしろくします。


普通の人が書いた、普通の文章でよいのです。

書きましょう。






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高倉大希
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