普通の人が書いた普通の文章
2024年7月25日(木)朝の6:00になりました。
大切なのは、普通の言葉で非凡なことを言うことである。
どうも、高倉大希です。
人の note を、けっこう読みます。
あなたの note も、あなたの note も、じつはけっこう読んでいます。
note には、普通の人が書いた普通の文章が、日々投稿されています。
普通の人の頭の中を、すこしだけ覗き見ることができるわけです。
おそらく note がなければ、その人の思考と交わることなどなかったはずです。
そんな人がいたということすら知らぬまま、一生涯を終えるのです。
旅先のまちを歩くと、とても新鮮な気持ちになります。
それと同時に、このまちも誰かにとっては地元なんだよなと思います。
極めて当たり前ですが、なんだか不思議な感覚です。
自分にとっての非日常が、誰かにとっては日常です。
裏を返せば、自分にとっての日常が、誰かにとっては非日常です。
そんな非日常の交換が、note では行われているというわけです。
べつに特別なことを、書こうとする必要はありません。
前述のとおり、あなたの普通は、誰かにとっての特別だからです。
べつに、綺麗ごとを言いたいわけではありません。
事実として、特別なのです。
特別なことを書こうとしすぎて、変なことになっている文章がときどきあります。
もっと普通でいいのになと、ついつい思ってしまいます。
でも、特別なことを書こうとするそのようすもまた、その人の普通だと言えます。
普通に、特別なことを書こうとしてしまっているのです。
そんな心の揺らぎも、文章には表れます。
あなたのその、迷いや、葛藤や、偏りが、文章をおもしろくします。
普通の人が書いた、普通の文章でよいのです。
書きましょう。
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