
2年、書きました
2024年12月31日(火)朝の6:00になりました。
書けど書けどなお、我が暮らし楽にならざり。ぢっと手を見る。
どうも、高倉大希です。
気がつけば、年の瀬です。
2023年1月1日に毎朝投稿をはじめて、今日でちょうどまる2年が経過しました。
書き続けられるだろうと思っていましたが、案の定書き続けられました。
はじめたときから、モチベーションを頼りにしないと決めていたからです。
書けど書けどなお、我が暮らし楽にならざり。
そんなことを言いつつも、実はちょっとだけ楽になっているのかもしれません。
「いや......自分に声をかけるって、どうやって?」「書くのさ」おじさんは微笑んだ。「書くってね、自分と対話することなんだよ」
2年目は、そんな人たちとの邂逅がたくさんありました。
共同運営マガジン「万華鏡」を、動かしはじめたのも今年です。
誰も参加しないんじゃないかと思っていましたが、気がつけばもう第15回です。
実際にお会いした方も、何名かいらっしゃいました。
そんな出会いがあるたびに、書き続けてきたご褒美だなと思います。
才能というのは、「ご褒美を見つけられる力」のことなんじゃないだろうかと。「なしとげること」よりも、「なしとげたことに対して快感を感じられること」が才能なんじゃないかと思うんですよね。いってみれば、ご褒美を見つけられる、「ご褒美発見回路」のようなものが開いている人。
書き続けてきた人は、書き続けてよかったと語ります。
書くことをやめた人は、書くことをやめてよかったと語ります。
だいたいは、そんなものです。
過去なんてどうにかこうにか、よかったことにするしかありません。
書いてみようかなと、決めるのは自分です。
書くことをやめようかなと、決めるのもまた自分です。
人間は、絶対的な基準で決めることはまずない。ものごとの価値を教えてくれる体内時計などは備わっていないのだ。ほかのものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断する。
きっと明日も、淡々と朝の6:00に書いています。
きっと明日も、粛々と朝の6:00に書いています。
極端な話、内容なんてなんだってよいのではないか。
毎朝6:00に書き続けていることそのものに、結構な価値があるのではないか。
2年を経て、最近はこんなふうに思っています。
書き続けてきた人は、書き続けてよかったと語ります。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
いいなと思ったら応援しよう!
