「おかあさんはやくたいいんしてね」 「しゅうがくりょこうおみおくりしてね」 【○○とおかあさんの生活ノート】と書いてある。 わたしが入院中、娘と交換日記をしていた。 娘は小学6年生。それにしてもひらがなばかりで 字もあまりキレイじゃない。 でもさらに、わたしの字がひどすぎる。ミミズがたくさんで 読むのに苦労する。 わたしは意識不明の重体から奇跡的に助かって リハビリに励んでいた。 握力は3。ペンは持てるが書くことはむずかしかった。 「おかあさんはやくたいいんしてね
「お母さんベルト買って」 小学2年生の息子が言う。 「ベルトするズボンなんてあったかな?」 と話を聞くと 「学校でズボンを下げられる」と言う。 「やめてと伝えてる?」 「やめてと言ってもやめてくれない」と。 息子は自分なりに考えて ベルトをすれば下げられないと思ったのだろう。 これは担任の先生に相談した方がいいと思いすぐに電話した。 先生は「それはいけませんね先方にも連絡を取ります」と 速やかに対応してくれた。 友達のお母さんから電話をもらい 「ごめんね、遊び
世界が変わっていた 目が覚めたら、家族がわたしの周りにいた。 「お母さん運動会終わったよ」と娘。 え? なんで運動会終わったの? 訳がわからない。 どういうこと? と聞きたかったが、わたしはしゃべれなかった。 喉に管が入っていたからだ。 家族のほかに看護師さんがいる。 ここは病院らしい。 すべて後から知ったことだが、わたしは「敗血症性ショック」状態だったようで、多臓器不全で黄疸もひどかったらしい。 たくさんの管につながれ、顔はパンパンで黄色くなっていたわたしを見て 夫は助
あまりにも早すぎる 小さな結婚式だったけどできてよかった。 ホッとした気持ちとうれしい気持ちも少し落ち着いたころ その報せが届いた。 (娘の夫Yくんの)お母さんの体調がよくない。 娘たちはすぐお母さんに会いに行った。 「とても調子が悪そうだった」娘が言う。 数日後、病院へ行ったら即入院になったと連絡が入る。 そして余命一か月と告げられたと…… 二人は週末お見舞いに行った。家を出発してすぐ いつ呼吸が止まってもおかしくない状態だと知る。 夜中にお母様は天国へ旅立って
あまりに強引で 25歳。手痛い失恋をした。 結婚するんだろうなと思っていた。 でもふられた。 「好きな人ができた」と言われた。 二股だった。 後に会社の人たちは知っていたのだとわかり、とても恥ずかしかった。 何とか立ち直ったわたしにある出会いが訪れる。 仕事で出会った人。 顔と名前は知っていたけど、話をしたこともない。 後日。会社に電話。「○○の代理の者ですが今日これから食事でもどうですか?」 (何なの。行くわけないし)「すみません、今日は無理です。失礼します
正体がわからないウイルス 2020年、冬。日本に正体がわからないウイルスが入ってきた。 雪まつりの後、感染者は増加した。 北海道は「緊急事態宣言」を出した。 今まで経験したことのない異様な状況。 咳もくしゃみも安易にできない。 熱が出たと言えない。風邪もひけない。 冬だし風邪ひくよね。と友人と話したことを覚えている。 高齢者が感染すると重症化する可能性が高いと、特に注意となった。 高齢者の施設も、各々対策をとる。 面会禁止の施設が多かったようだ。友人の知り合いは
結婚式やってほしいな 今年、1月1日に娘は入籍した。 幸せそうな娘の様子がわたしは本当にうれしかった。 「結婚式にはあまり興味がない」という娘に、 「自分のためにたくさんの人が集まってくれるんだよ、やったら?」などど 口をはさんでしまった。 わたしは娘の花嫁衣装が見たかったのだ。だからつい言ってしまった。 後日、娘が「結婚式することにした」と言ってきた時はやった!と思った。 7月に素敵なところでの結婚式。会場にプールがあるんだよ。落ちないようにしないと(笑)娘もやっぱ
16年ぶり2度目の優勝 今シーズンの日本の女子バスケットボール(Wリーグ)が終了した。 優勝したのは「富士通レッドウェーブ」だ。 わたしが応援しているチーム。わたしの推しがいるチーム。 うれしい、うれしい!幸せだ。 わたしの推し「町田瑠偉」選手は、富士通に入団して13年目。 今まで3度決勝までいったが、すべて準優勝で終わっていた。 わたしは応援してきて丸8年、9年目に入った。 彼女のプレイに惚れた 自分もバスケをしていたので、長年バスケは見ていた。しかし今みたい
施設へ 引っ越しとは違いとりあえずの荷物をもって入居した。ベッドやテーブルなどは事前に用意した。 「狭いね」と母。仕方がない。一軒家からのワンルームだ。狭い。 当時のわたしはやっとここまでやり切った気持ちだった。 冬になる前に間に合った。ストーブの消し忘れ、雪の心配などがなくなる。 母の部屋は2階。帰るとき玄関までわたしと娘を送りに来た母。 「じゃあね、またすぐ来るからね。部屋に戻っていいよ」とわたし。 わたしと娘が母を見送る。エレベーターの前で「あれ?どうやって乗る
認知症外来 母は抵抗なく病院に行くと言ってくれた。 70代のころから耳が遠かった。もっと早く手を打っておけばよかった。 耳が遠い人は認知症になるリスクがあると思う。 外の世界の音が聞こえないから。刺激が少ないのではないかと思う。 面談式のテスト(問診?)100から7を引いていく。100-7=93 93-7=86 86-7=79 わたしもあぶないかも? 冷蔵庫の中にある野菜の名前をたくさん言ってください。など様々な質問がある。 その中に、「あなたの人生は幸せでしたか?
母の説得 介護認定で要支援1になった母。わたしはホッとしたが、まだ安心はできなかった。母が他人が家に入ることを拒んだのだ。 「自分でできる」と言い張る。(本当はできていない)猫もいたので、ほこりや毛がすごかった。くしゃみが止まらなくなることも。わたしだけの言葉では話が進まない。地域包括センターの担当者と、デイサービスの職員の方に協力してもらった。 他人にはいい顔?をするところをうまく使って、優しく話してもらった。かたくなだった母も、「居間だけなら」と承諾した。本当は寝室
地域包括支援センター このままでは母の生活が大変なことになる。漠然とした焦燥感がありました。わたしだけでは、もう限界だ。「地域包括支援センター」に相談した。 「地域包括支援センターと介護予防センター」 札幌市では、高齢者の皆さんが、住み慣れた地域で自立した生活を続けられるように、介護予防支援の拠点となる地域包括支援センターと、介護予防センターを設置しています。これらのセンターは札幌市が設置し、社会福祉法人などに運営を委託している公正・中立な機関です。 ※札幌市
一番最初に気づいたこと 今、母は「サービス付き高齢者向け住宅」で暮らしている。(以下サ高住)安否確認など生活支援サービスを受けられるバリアフリー対応の賃貸住宅だ。基本、自立生活ができる方が入居できる。(着替え、食事、トイレなど一人でできること)食事は頼むと用意してくれる。(有料)自炊はできない。これは母のサ高住のことなので、条件は施設によって変わってくることもある。※母は認知症ですがまだ継続してサ高住にいます 2017年の大みそか。夫が母の家の異変に気づいた。 「なんか変
映画館に通ったあの頃 子どもを産んでから、すっかり映画館から遠ざかっていた。 子どもの好きな「ドラえもん」や「しんちゃん」を観るのは夫の役割。 わたしは、その間束の間の自由時間をもらっていた。 話題の作品があれば観たいと思うこともあったが、なかなか行くことはなかった。 子育てが少し落ち着いてから、友人と久しぶりに観に行った映画で、後方から音が聞こえてびっくりしたことがある。(後方であってるのかな?) 2020年わたしの映画とのかかわりが一変した。そのきっかけは 推し
パリオリンピックへの切符 女子バスケットボール日本代表がパリオリンピック出場権を獲得した。 予選1位通過。世界ランク9位の日本は世界ランク4位のスペイン、5位のカナダ、19位のハンガリーと対戦した。 前評判は日本はオリンピックには行けないという投票結果まであった。(日本国内ではない)わたしも正直、不安はあった。 日本は背が低い。世界的に見てもダントツ低い。今回の代表のメンバーに日本の宝と言われている渡嘉敷選手が入っていなかった。(身長193cm) 東京オリンピックで
一瞬で世界が変わることがある2008年5月31日わたしは、意識不明の重体から目が覚めた。 「お母さん運動会終わったよ」娘の一言。 え?なに?どういうこと? 運動会の一週間前。わたしを突然激しい悪寒が襲い39度の発熱。 風邪ひいてしまった。解熱剤を飲んで休むも、熱が上がるたびに激しい悪寒。次の日、熱を測ると40度。これは何か変だと思った。 休日診療の病院へ行く。インフルエンザの検査は陰性。ただの風邪? 「とにかく悪寒がひどくてつらい」と訴えるも熱が上がるときは悪寒はするも