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青パパイヤのある風景
少し遠出するときに立ち寄る八百屋さんがある。500gぐらい入ったレンコン一袋100円。空心菜4把100円。とにかく安い。売れない野菜や果物を、青果市場から引き取っているのではないだろうか。トマトは完熟しか買わない私にとって、割れて果汁が出ている安い中玉はとてもありがたい。
業務用白米がキロ400円台(税込)。高騰して600円を超えているご時世に、これは安い。しかし表示は精米時期しか記載はなく(しかも1カ月以上前の精米)、品種も生産年も産地も、製造者も販売者もわからない。こんな怪しいものを小売りして法律に掛からないのか。米粒は小さく、割れや白濁が目立つ。
米粒を観察していると、店のおばあちゃんが一袋裏に持って行った。そうか、この米でお弁当をつくって売ってるのか。私はおにぎりをひとつ買い、食べてみた。しっかりと海苔を2枚巻いてあって良い香りだ。握りたてだからか、米が美味しい。しばらくは地域最安値のこの裏米でいいかもしれない。
それにしても不思議な店である。徒歩圏内にスーパーマーケットが3軒もあるのに、商売は成り立っているのだろうか。変わり種がゲリラ的に並ぶ。そうめんカボチャ、不発弾のような冬瓜。誰が買うんだよ。その中に、青パパイヤがあったのである。
こんな田舎で、食べる習慣がない地方で、なぜ売ってみようと思うのだろう。ソフトボールよりも大きくて1個200円。私の食文化に揺さぶりをかけてくる。沖縄にもタイにも行ったことはあるが、食べたことはない。買うのか?責任とれるのか?どきどきしながら、私は買った。
パパイヤを唯一食べたのは、ケニアの奥地だった。それは青パパイヤではなく、完熟パパイヤだった。首都ナイロビで泊まったゲストハウスは、アフリカを忘れるほど静かで清潔だった。テレビで料理番組を流していて、男女が調理の手を止めてしばし見つめ合ったりする。こんなにもエロチックで耽美的な料理番組をかつて観たことがない。
青パパイヤを買った私はレシピを検索した。タイではソムタムというサラダにするらしい。これにしよう。私はナンプラーが好きなのだ。魚醤という食文化を培ってきた先人はすばらしい。誰がこんなものを思いつくだろうか。きっと魚が腐るという失敗から天啓を受けた人が各地にいたのだろう。
ソムタムのソムは酸っぱい、タムは叩くという意味で、そこに私は深く感じ入った。叩くという調理工程は、台所から失われつつある。子どもだった頃、干した鰈をコンクリートの上に置き、金槌でガンガン叩いて柔らかくしてから酢醤油で食べた。アジアでは「叩く」「潰す」という野性的な方法によって、食材の持ち味をダイレクトに引き出してきたのだ。
青パパイヤを包丁で割る。果肉は白く滑らかで、種はない。ひたすらピーラーで薄く削る。生姜のガリのようで、刀削麺のようでもある。本当はここから千切りにするのだが、面倒なのでやめておく。干し海老とピーナッツも入れるのだが、ないのでやめておく。トマトと青唐辛子を加え、ナンプラー、カボス果汁、ごま油、きび砂糖、黒胡椒で和える。
現地や店で食べたことがないので、何が正しいのかわからない。私の食卓はいつもそうだ。ポッサム(韓国)やチェティナードチキン(インド)、フォー(ベトナム)など、エスニックなレシピから我流でつくる。私はソムタムをとても気に入った。しっかりとした歯ごたえもいい。次はパクチーと辣油も入れよう。
青パパイヤ一個から大量にできるので連日食べ続け、なくなると八百屋に買いに行った。私しか買う者はいないのだから、八百屋にはいつも青パパイヤがある。私が買い続ければ、また仕入れてくれるかもしれない。
私は安らかな眠りに就く。早朝、熱帯の小路を歩いている。鮮やかな緑が両脇を覆い、誰かが箒で路を掃く音がする。鶏と人のけたたましい聲がする。朝餉の匂いがする。それは過去に見た風景かもしれないし、これから見る風景かもしれなかった。
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