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放浪無慙

小さな書庫にて、日に焼けて変色した単行本を借りた。『青春放浪』(檀一雄、筑摩書房)。檀一雄が作家未満であった20代、戦前戦中の日々を綴った自伝的小説である。

梁山泊での学生時代を経て、満洲に渡ってから俄然面白くなる。仕事もせずに寄生し、酒に明け暮れ、馬賊への婿入りを夢見、蜜蜂を飼い狼を撃つ暮らしを夢見、密林にともに分け入る女性を求める。

森林鉄道に乗込んだ。ヤブロニーに入る。ロマノフカに入る。森林の移住民たちの生活を見てまわって、私も原始の生活にもう一度蘇生したくなってきた。もう日本人はいやである。あのジメジメした人情生活は願い下げだ。どこぞ、大胆な天地の内ふところに分け入って、存分に自分流儀の生活を打立てたい。百姓であれ、木樵であれ、漁師であれ、思い切った粗野な生活に返りたい。

ロシア人の長屋に一室を借り、洗顔、食事、洗濯を金だらいひとつで済ます。檀一雄の「天然の旅情」に、当時20代の私は自らを重ねて魅了され、背中を押された。

近代日本文学に興味はない。彼が言うとおり、ジメジメした風土を感じる。しかし、10代の私が梶井基次郎に惹かれたのはなぜだろう。私にも哀しき風土は流れていて、そこに美を認めるからではなかったか。

檀一雄にも日本の風土と封建から恩恵を授かりながら逸脱を試みる矛盾と旅情を感じるのであった。

図らずも檀一雄という作家を知った私は、知人から『檀』(沢木耕太郎、新潮社)を借りた。檀一雄の妻、ヨソ子からの聞き書きである。44歳の檀一雄は旅先で女優と事を起こし、帰宅して妻に報告し、事の次第を執筆して文芸誌に連載する。浮気の同時中継である。後に『火宅の人』として代表作となった。

私は『檀』をある女性に又貸しした。彼女は私より二つほど年上で、知人との食事に同席していたに過ぎなかったが、その本を貸してくれと言う。読後の感想は、「どうして浮気する男と苦しむ女の話なんかに興味を持つのか」という不満だった。

後で知ったことだが、彼女はかつて妻子ある男と不倫していた。離婚するという男の言葉を信じていた。男が海外に赴任すると長期休暇を取って会いに行った。しかし、彼女は捨てられた。心を病み、仕事を辞め、精神科で薬を処方されていた。

ある夜、ご飯を食べに来ないかと誘われて私は彼女が居候する家に行った。家人は留守で、彼女と私の二人きりだった。食事を終えると彼女は豹変して私に抱きつき、愛をささやき、からだを求めた。

なぜ読めなかったのか。迂闊だった。拒絶すると泣き、睡眠薬を大量に飲むと脅した。私は困った。死んだら自分のせいになるのだろうか。しかし私は、賢明にも彼女を乱暴に振り払って帰った。

その後も大変だった。あなたが連れてきた幽霊がいるので来てくれと言う電話(誰だ番号を教えたのは)、訪問先での待ち伏せ(誰だスケジュールを教えたのは)。事の次第を誰彼となく泣きながら訴え、私の小さな宇宙に拡散された。

彼女は今、どうしているだろう。幸せであればいい。思うがままを生きていたのだから。檀一雄は「天然の旅情」を追う一方で「殺伐な旅情」という記述も散見される。天然と殺伐は表裏一体、それでも同じ旅情であれば生きているかぎり分け入るしかない。

『青春放浪』には、あとがきに代えて『放浪無慙』という文章が寄せられている。無慙むざんとは、仏教語で「罪を犯しながら心に恥じないこと」だそうである。

58歳になった檀一雄は、ポルトガルのサンタ・クルスという大西洋を望む漁村にひとり暮らし始める。仲の良い漁師が大きな魚を家に投げ入れていく。食べきれないので村人を集め、酒盛りになる(『来る日 去る日』)。癌に侵される前、天然の旅情に浸されるつかの間の日々。お見事。

長く絶版であった『青春放浪』は、小学館のペーパーバックと電子書籍で読むことができる。



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