見出し画像

珈琲の押韻

「よくひとりでこんな喫茶店に入れるな」と友人に言われたものだった。店主の美意識が高いほど、構えに表れるものである。

その店は長屋のような蔵のような、古い木造の平屋だった。黒いさんの入った引き戸の向こうは薄暗く、ランプのような明かりが点々と灯っていた。年季の入った板張りの床、黒檀のように重厚な机。漆喰の壁の棚には陶磁器が並べられている。

30代とおもわれる男性がレジ横のパソコンで、いや、ワープロだったのだろうか、無心に何かを打っていた。顔をあげて注文を聞き、コーヒーを淹れはじめた。和風モダンな店内はスッキリと清潔で、白と黒のコントラストに器の彩色が映えた。客は私しかおらず、またワープロに向かった店主にとっては都合が良いようだった。

店主は、シナリオを書いていた。「半農半X」という言葉があるが、彼の場合、喫茶店と演劇の同時進行だった。だからといって店の格調やコーヒーの品質をおろそかにせず、それどころか自らの嗜好を横溢させてシナリオを書いている姿に、まだ学生だった私は心を打たれた。


冬の寒い日、映画館を出て街中の喫茶店に入った。そこも薄暗かったが、ふわっとバターの香りに包まれた。カウンターの向こうでクロワッサンを焼いているのだった。書棚からエスクァイアをとって読んだ。

『存在の絶えられない軽さ』を観た帰りだった。ダニエル・デイ・ルイス、ジュリエット・ビノシュ。原作はミラン・クンデラ。深く静かな余韻が私を満たしていた。

店を出ると、思いがけず雪が降っていた。初雪だった。いつのまにか路は白く、小さな音をサクサクと立てて私は歩いた。


田園の古民家を改装したカフェができた。自家焙煎で、手づくりのケーキが出る。店内の壁や柱は大胆に取りはらわれ、梁の高い広々とした空間に古いソファーが並び、音楽がメロウに流れる。

夫婦ふたりで営んでいる。どうしてもやりたかったのだということが、ひしひしと伝わってくる。

カウンターで店主と話し込む女性に見覚えがあった。スターバックスで働いていて、1年ほど前から見かけなくなった女性だった。他の店員とは少し趣が異なり、どこか垢抜けない、内向的な印象をもったが、それゆえにあざとさがなく、落ち着きをもたらしていた。

店主と話しているのは、仕事のことのようで、コーヒーを通した横の繋がりがあるようだった。そうか、彼女は今もどこかで、コーヒーを淹れているんだな。

私には気付かず、テイクアウトのコーヒー片手に、彼女は店を出た。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集