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蝉の儚さは何万回語られただろう
夏の盛り、郊外のスターバックスはほとんどの席が埋まり、若い人が多かった。アイスコーヒーを注文し、窓際の席に座り、『サバイバル登山家』(服部文祥、みすず書房)を読む。みすず書房は貴重な出版社だと思う。
窓の外で、何かがポトリと落ちた。様々な樹種が植栽された砂利に、クマゼミが這っていた。クマゼミはもう一度飛びあがり、鉛筆のように細い南天の幹にしがみつく。冷房の効いた店内から、35度を超えた灼熱の蝉を私は見ていた。
もっと立派な大木にとまればいいのに。隣の席では3人の男女がパソコン画面を囲んで話し込んでいる。エリアマネージャーであろう年長の女性が下品な声で何かを言い、男ふたりが笑った。ボブ・マーリー『I Shot the Sheriff』のカバーが流れていた。
クマゼミは再び落ちた。ああ、もう力尽きたんだな。森ではなく、スターバックスの植え込みで。クマゼミはもう一度飛びあがると、渦を巻くようにふらふらとアスファルトしかない駐車場に消えた。
蝉の儚さは何万回語られただろう。
地中から這い出たとき、「ここは人間の世界だ」と蝉は気づいたと思う。蝉だけではなくあらゆる生き物は、人間と会わない生き物も含めて、ここは人間の世界と承知のうえで生をまっとうする。
かつて先人は蝉を食していた。蝉は苦いだろうか。人間はなぜ、わざわざ苦いものを食べるのだろうか。幼い頃にまずいと思ったピーマンやコーヒー、秋刀魚のはらわた、山菜、ビール。つまるところ、野性を失わないためだと思えてならない。
新鮮なゴーヤを一本買った。細長い品種よりも、ラグビーボールのようなフォルムのものを好む。濃緑色で、縄文土器のように粒立ち、海ブドウのように艶やかな突起がひしめいていなければならない。
苦いゴーヤに合うのは苦いビールではないのではないか。私を構成する細胞の欲求に耳を傾ける。キンキンに冷やしたシャルドネです。あの爽やかな香りと酸味です。ディスカウントストアに飛び込み、チリ産の一本を580円で購入する。
帰宅するとシャルドネを冷凍庫に放り込み、しばし我慢して待つ。最高に冷えたと思われる日暮れに立ち上がり、ゴーヤを捌く。豚肉も豆腐も加えず、麺つゆと味噌でこっくりとゴーヤだけを炒め、粗挽きの胡椒を振り、鰹節をのせる。南半球の乾いた大地で摘みとられ、ステンレスタンクで仕込まれたシャルドネをグラスに注ぎ、ゴーヤとともにいただく。力強く夏が漲り、冴えわたる。
エアコンがない部屋の窓をすべて開け放ち、扇風機をまわす。宛先のない感謝を夜風にのせる。