見出し画像

■今ひとたびの逢ふこともがな―ビギナーズ・クラシックス版『百人一首』

えりたです。

若い頃はその機微がまったく理解できなかったけれど、大人になった今なら何となく実感できる、身近に感じられる。そんなふうに変化したものが幾つかあります。みなさんにも、そう言われて思い浮かぶものは様々あるのではないでしょうか。

それらは、さまざまな経験がなしたものなのか、それとも生きた時間が醸成したものなのか。そのあたりの理由や理屈はよく分かりません。ですが、その変化のおかげで得た緩やかさ、穏やかさは、少なくとも私にとっては、とても温かなものでした。

さて、私のなかで、そんな変化のあったものの一つに「『和歌』との距離」があります。

現在、受験国語の講師である私は、高校時代、国語を主な得点源にしていました。が、その国語の中で、どうしても苦手意識が先行し、うまく理解に繋げられなかったものがあります。それが「和歌」「短歌」でした。

今も昔も変わらず、理屈が全力疾走している超散文的な私の感性は、「31音で表現されたもの」を受けとるにはあまりに狭量で、尖り過ぎていたと、今なら理解できます。

でも、その頃はほんとうに「和歌を理解するには背景知識がないと無理。しかも、表現技法とか、句切れとか暗記することが多すぎてめんどい」と思っていたのです。そうして、「和歌」の織りなす豊饒な世界から、意識的に遠ざかっていたのです。

おかげさまで、定期テストで20点分出題すると宣告された「百人一首」の暗記を丸々捨てて、ひとり「80点満点」のテストにしたことがあります。……全2回中2回分ですが(全部かい)。

ですが、そこからある程度時間を経た今なら。「和歌」が私たちで言う所の「SNS」的なものであったと何となく感じることができるです。

たとえば、Twitterのあの140字にもりもりと思いを込めていたように。ハッシュタグに本音をほんのり託していたように。そんなふうに、感じたこと、大袈裟にせず伝えたいこと、そのままでは照れくさくて言えないことを「31音」に託したのが「和歌」であったと。

そんな風に思うのです。

・ ・ ・

現在、大河ドラマ『光る君へ』では、平安時代中期という、「和歌」が文化の一要素として醸成され、さまざまな次元で用いられていた時代を描いています。

そこで今回は、大人になった今だからこそ楽しめる『百人一首』の世界をご紹介しようと思うのです。



■ビギナーズ・クラシックス版『百人一首(全)』について

■ビギナーズ・クラシックス 日本の古典『百人一首(全)』
■角川ソフィア文庫
■谷知子編
■平成22年1月
■680円+tax

かるた遊びとして広まり、誰でも1つや2つの歌はおぼえている「百人一首」。すべての歌の意味、どんなところが優れているのか、そして歌人たちはどんな人だったのか――。天智天皇、紫式部、清少納言、西行、藤原定家、後鳥羽院ほか、日本文化のスターたちが一人一首で繰り広げる名歌の競演がこの1冊ですべてわかる!


■あの頃はマジでキライだったけど

■表現技法―たとえば枕詞とか序詞とか

ここから先は

3,755字
この記事のみ ¥ 300

この記事が参加している募集

記事をお読みいただき、ありがとうございます。いただいたサポートはがっつり書籍代です!これからもたくさん読みたいです!よろしくお願いいたします!