#生き方
僕が先生をやめたわけ。
「絶対まだたまごの強みを
活かせる場所、あると思うんよな。」現場2年目の僕に、
ベテランの先生が言ってくれた言葉。
僕が「先生」を意識し始めたのは
小学校6年生のころ。
担任の先生のユーモア溢れる学級が
大好きだった。
恵まれていたと思う。
中学。
ペンで机を叩いてリズムをとる英語の先生。
高校。
発掘してきた土器について熱く語る先生。
大学。
チョムスキー愛を炸裂させる先生。
いろいろな
「手が届く」という幸せ
不思議。
手に取ればわかり、
手を伝えば助かり、
足りなければ貸したり。
手を振ればほほ笑み、
手を取ればやすらぎ。
「手の届く幸せ」を一人一人に。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
1.リバ邸十三の住人になりました。
本当に偶然の産物にほかならないですね。
社会人3年目になり、
2度目の転職。2か月の就活。
学校現場を離れ、
学習参考書系の編集プロダクションへ。
家庭と職場
例えるなら、法隆寺。
柿食へば、鐘が鳴る。
あの、法隆寺。
幾多の地震に耐え、現存する
世界最古の木造建築。
五重の塔を貫く心柱はどっしり構え、
悠久の刻の趣を漂わせている。
まるで、一度の焼失もしなかったかのような
涼しげな面持ちで。
シェアするということ、
共有。
それはあくまでどちらかに偏っていくもので。
合鍵に元鍵があるように、
包丁にも主導権があるわけで。
相対的なのだろう。
朝のお風呂が僕なのも、
夜の掃除がきみなのも。
あるときはこちら、
あるときはそちら。
だからこそ、心地いい。
曖昧な気遣いよりも、
ちょうどいい切り取り線が。
近くて遠い、
遠くて近い。
「どこからでも切れます」は
「どこからでも切れない」