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10年越しの解答用紙

田畑栄一です。小学校着任当初、不登校等改善を最優先課題としたことは「根っこ教育の重要性」の中でもお話ししました。そこから着手した数々の取組みやその結果も大事なことですが、それよりも「不登校ゼロ」に向かおうとする姿勢と過程にこそ意味があり、それ自体が子どもたちに向けての教育であると今でも考えています。なぜ私がこれほど強くその点にこだわるのか?今回は、その原点となる一つのエピソードをお話しします。

私がまだ30代前半、中学校教諭を務めていた時代のことです。当時は「不登校」ではなく「登校拒否」と呼ばれ、該当者は学校全体でわずか1人、Aさんしかいませんでした。1年生の途中から学校に顔を見せなくなり、その後1年半にわたり全く登校しない彼のことが気になって仕方がなかった私は、担任を持たせてほしいと当時の校長や先生たちにお願いしました。そしてAさんが中学3年生の時の担任となり、新年度に家庭訪問をして改善の決意や方針を保護者と相談し、ともに復活に向けて頑張りましょうと誓い合いました。その策は、次の通りです。

  • 毎週に1度~2度の家庭訪問を行うこと。

  • 訪問時はAさんの弟とゲームをするなど、顔を出したくなるような楽しい雰囲気の醸成に努めること。

  • 保護者と「登校拒否」改善のための学習会に参加し、ともに対策を学び合うこと。

この3点を改善への柱にすることについてご両親からも理解と協力を得ることができ、丸1年間Aさんの自宅へ通い続けました。しかし、彼は1度も学校に姿を現すことはなく、訪問時に顔を見せることすらありませんでした。卒業証書は、当時の校長と一緒に家庭訪問し、玄関先で保護者に渡して終わりました。私は自分の無力さを痛感し、情けなく、自分を責めました。このことが、胸の奥にずっと引っかかっていました。

時は流れ、それから10年後のことです。かつての教え子たちから同窓会の案内状が届き、当時の生徒たちは25歳になっていました。懐かしい気持ちで待ち合わせ場所に向かうと、ドキリ。Aさんらしき人物が…?でも、まさか…!?「Aさん?!」思わず声を掛けました。

「はい、そうです。田畑先生、今日はあの頃のお礼を伝えたくて来ました。先生が家に来てくれて、実はすごく嬉しくて、ありがたかったのです。それが、今の自分を支えています。今、ぼくは〇〇の仕事をしています。あの頃は~…」

全く想像していなかった彼の言葉に、私は込み上げてくる感情を抑えることができず、涙が止まらなくなりました。会場に入って最初に挨拶の言葉を求められ、湧き上がる感情を抑えながら、「みんなに久しぶりに会えて嬉しい。なかでも、Aさんが来てくれたことがやはり嬉しい…。」と正直に様々な思いを嚙みしめながらようやく語りました。「田畑先生、ぼくたちも先生と同じ気持ちです。」と、彼の同級生たちも目に涙を浮かべていました。

学校でも家でも1度も会えなかったけれど、こちらの思いはAさんの心に届いていた。それはまるで、10年の時を経て手元に返ってきた解答用紙のようでした。当時に行った登校拒否の改善は、単なる目先の「登校再開」という結果としては叶わなかったものの、Aさんの人生を支える一助になっていたという奇跡のような事実。「不登校等は改善できる、取り組んだ分だけの思いは伝わる」と私が考える理由がここにあり、不登校等の子どもたちへ心から向き合う構えというものを、Aさんから教えてもらいました。誰一人として置いてけぼりにしないと強く決意して、あなたを心から歓迎していると言葉や行動で示し続けること。結果が目に見えるかたちで表れようが表れまいが、思いが伝わることを信じて歩み寄り続けることに、必ずや意味はあるのです。これらが以降の私の大切な基軸になっていて、これからも変わらないと思います。「全員の子どもが揃ってこそ、初めて教育活動が始まる」その時に、この理念が生まれたのです。

実はこのAさんとの間にはもう一つの後日談がありまして…同窓会から17年後、つまり中学を卒業してから27年後のことです。私が校長を務めていた小学校に、Aさんのお子さんが偶然にも入学され、まさかの再々会を果たすことができました。大人になって、そして保護者になって、再び私の目の前に現れたAさんは、大きくたくましくなっていました。小学校の運動会の日にグラウンドで握手を交わし、二人で喜びの記念写真を撮りました。

もし私がAさんとの関わりを型どおりに淡泊に進めていたら、こんな奇跡のようなドラマは生まれなかったと思います。表面的で形式的な関わりだけでなく、なんとか彼を復活させたい一心でもがき続けた一連の過程に対しての恩返しを受けたような気がしました。だからこそ、単なる目先の現象に対しての関わりだけではなく、子どもの人生や、家庭の詳細、学校全体の教育活動を俯瞰的に捉え、心を込めて関わり続けることが極めて大事であると改めて気づかされます。それが、子どもの社会的自立の足がかりになっていくのです。「全員の子どもが揃ってこそ、初めて教育活動が始まる」この言葉を忘れずに胸に刻みます。

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