仕事にやりがいを求めるな。楽しみに貪欲であれ。
新入社員の方々が
社会人の一員となり
まもなく2週間が
経過しようとしていますが
皆様いかがお過ごしでしょうか?
私は元気です。
ネットニュースやSNSで退職報告を早くもお見かけする時期になりました。既に無職になった方もこの記事を読んでいるのでしょうか?
とりあえず、お疲れ様でした。
こんなに早期に退職をされる理由を、ネットニュース記事等で読むと
希望した勤務先、勤務形態、配属
では無かった。
と、言う理由が大多数を占めるようです。
いわゆる“配属ガチャ”と言うヤツですね。
私イマイチこの感覚が理解出来ないのです。と言うよりかは、日本の教育方針そのものがよろしく無いのではと思います。
(ここから先は老害的極論的意見と偏見が含まれています。ご注意下さい。)
まず、大前提として国民の三大義務にも含まれている通り、そもそも労働(勤労)というのは義務です。
毎日働きたい!!
って人間は一部の“大いなる志を持って働く人”を除き存在しません。
そして“大いなる志を持って働く人”はこの先を読んでも何の意味もありません。
ほとんどの企業勤めの人間は“ある日突然自分の口座に5000兆円振り込まれないかな”だとか“宝くじ当たらないかな”と、くだらない事を思いながら仕事をしています。
私自身も幼い頃から車好きとして生きてきました。将来の夢はカーデザイナーでしたが、道半ばで頓挫し、今は辛うじて自動車関係の職種に10年勤めています。
だからって訳ではありませんが“会社に行きたい!ワクワク!”なんて思ったことは10年間ただの1度もありません。
1秒でも早く自宅に帰りたい。
ただそれだけです。胸張って早く家に帰る為に毎朝出勤をしています。
この辺の話は私の下記noteでも触れました。新入社員のみならず“仕事のやりがい”なんてあってないような存在に悩まされている方に是非とも読んでいただきたいです。
そんな私が“仕事のやりがい”なんてのを見出せずに、退職を考えた時期もありました。
職場の先輩にその旨を伝えて相談すると
『折角毎日来る場所なんだから仕事は楽しまないと。』
と、快活なアドバイスをしてくださいました。
楽しめる訳がありません。
仕事なんか。
職場も仕事も私は嫌いです。
逆に言ってしまえば楽しかったら無償でも仕事をするのか?という話になります。ほとんどの人間はNOでしょう。極端な話だとは思いますが。
出勤して仕事をするくらいなら、家で興味の無いテレビ番組をダラダラと見ていた方がよっぽどマシです。
と、言うよりかは仕事より楽しい事は世の中に数えきれない程あります。だからこそ休日が待ち遠しいモノになるのでしょう。
では、何故やりがいも楽しさも
見出せない職場に
10年も勤め続けているのか?
答えは簡単です。お金を貰うためです。お賃金です。対価です。
やりがいも楽しさも見出せない職場ですが、それなりにお金が貰えるから勤め続けています。
先ほども書きましたが、楽しかったらタダ働きするのか?と言われたら多くの方はしないと答えると思います。しかし、至極つまらない仕事でもお金を貰えるなら私のように10年間勤め続けられるのです。
では、何故仕事が楽しくても
人間はタダ働きしないのでしょうか?
答えは簡単です。自己実現が出来ないからです。やりたい事が出来ないからです。
仕事をすれば賃金が貰えます。賃金が貰えると、自分の中での“あれがしたい”や“これを買いたい”だとか“何処に行きたい”が実現出来ます。やりたい事というのが社会通念的に迷惑行為で無ければ自己実現です。
タダ働きだとそれが出来ません。
結局の所、仕事なんてのは“楽しくてもつまらなくても求める物は一緒”なのです。
それならば、仕事に楽しさを見出した方が楽しくお金が貰えてハッピーじゃないかと思います。しかし、先述した通り勤労というのは義務です。義務に楽しみを見出すのは非常に難しい事なのです。
10年間勤め続けても私は未だ仕事の楽しさ、やりがいを見つけられていません。
そもそも、学校義務教育もそうですが、何にでも“やりがい”や“楽しさ”を見出させるのはいかがなものかと私は思います。
先に書いておきますが、教師という職種に難癖をつける訳ではありません。
学校の、特にも小学校・中学校・高校の先生と言うのは新卒で採用になった方がほとんどだと思います。学校の先生になったという事は“学校の先生と言う仕事に憧れを持って選んだ道”なのだと私は捉えます。
教師という職種は、私が先ほど書いた“大いなる志を持って働く”職種になりやすいと私は思います。
教師という職種に憧れて、そして実際に夢を叶えて日々の教鞭を取るのであれば、そこに“楽しさ”や“やりがい”も見出しやすいと私は思います。義務感から縁遠い職種です。
もちろん、教師という道の険しさも昨今は教員の労働環境問題がニュースにもなっているので、実情は憧れから乖離している部分もあるのは事実ですし理解もしています。
そういった経緯で教師になったのですから、仕事どころか日々の勉学にも“楽しさ”や“やりがい”を見出して臨むように教育するのは真っ当だと思いますし、正解だと思います。
しかし、先生方のように“夢に描いた仕事に就ける人”は実際のところほんの一握りです。そんな一握りにもなれなかった私たちに対しても、教育や労働に先生方が何でも“やりがい”や“楽しさ”を見つけるように仕向けるのは何とも酷だと私は当時から思っていました。
教育も労働も
国民の三大“義務”です。
私は学校も好きではありませんでした。家に居てゲームやネットの海に潜っていた方がよっぽど楽しかったです。だからこそ、休日というのは待ち遠しくて仕方ありませんでした。
先生方が就職や進学の面接で“やりがい”だとか“楽しさ”を見出させようとする度に私は“義務にやりがいも何も無いだろう”と苦悩しました。
早く家に帰るために学校へ行くという、今の労働姿勢に通ずるスタンスが生まれたのも学生からです。家に帰って早くゲームしたいという一心でした。
世の中の新入社員や仕事に楽しみを見出せない若手社員の皆様にお伝えしたいのは
大体の仕事はつまらないです。
大体の仕事にやりがいは無いです。
だからこそ仕事以外で
沢山やりたい事いきたい場所を
作ってください。
と、言う事です。
“配属ガチャ”なんて言葉もありますが“住めば都”という諺もあります。
私自身も、今でこそ岩手県の企業で勤めていましたが、入社して半年間はいきなり東京の八王子市にある営業所に配属になりました。
長年岩手県から出る事の無かった私は最初こそ絶望しましたが、美味しい弁当屋さんを見つけたり、図書館で様々なジャンルのCDが聞き放題だったり、八王子市営業所の方とあっさり打ち解けたりと、様々な楽しみを見出す事が出来たのです。それこそ週末の楽しみが稼ぐぞというモチベーションにも繋がったのです。
しかし、一つここで注意したいのは
『じゃぁダラダラ仕事をして苦手な業務から逃げて稼げば良いのか』
と、思う方がいらっしゃると思います。
それは間違いです。
職場というのは想像以上に上司や同僚から見られているものです。自分がどんなにバレないようにダラダラとサボっても、壁に耳あり障子に目あり、必ず何処かからか伝播します。
仕事に対するモチベーションの低さが露呈すると、上司の面談やら異動やらと自分にとっても関係者にとっても面倒な動きが訪れます。
仕事において内部的な面倒事というのは、自分への敵を増やす事になります。生活上当たり前ですが、いくらやりがいや楽しみを求めない方が良いと言えども、対立を生むのはもっと良くありません。
私は仕事に対してやりがいや
楽しみを求めるなと書きましたが
マイナスの感情も抱かない方が
良いのです。
つまり仕事に対しては何も感じず、ロボットと言っても過言では無いと言えるほど無感情であるのが理想だと私は思っています。
長々と持論を書きましたが、私が配属ガチャだとか上司ガチャを気にする若手社会人に伝えたのを要約すると
仕事なんて
どこ行ったって根本的に
義務なんだから
つまんなくて正解だから
だから業務中は帰宅してからと
週末の楽しみだけを
考えて1秒でも早く
胸張って家帰れるように
勤めなさい。
って事です。
いちいち業務上の出来事に感情を動かしていると、会社というのは本当に疲れます。でも悲しいかな国民の義務なので稼がなくてはなりません。なるべく省エネに仕事というのは向き合うべきだと、勤続10年目の私は未だに思ってます。
老害的意見ですが
仕事は最低3年間勤めなさい
って、良く言われますしそう私は言われてきました。
雨降って地固まる
という言葉もあります。
"配属ガチャ"・"上司ガチャ"
ハズレを引く程に、休日の楽しみへのスパイスになると私は思いますよ。