時間と距離をとりましょう
えび天。
れんこん天。
なす天。
お寿司。
焼肉。
焼き鳥。
ラーメン。
チャーハン。
餃子。
パスタ。
ピザ。
チーズケーキ。
ナムル。
ポテサラ。
カルパッチョ。
…
お粥とプリン以外の食べ物は
身体が受け付けない感じがする。
でも食欲はあるから
本当はがっつり系が食べたい。
インスタをみると
どこもかしこも
美味しそう。
コロナになって3~4日は
そんなことも考えられなかった。
元気になったんだな。
よかったよかった。
おこもり生活は
今日で最終日。
日常から離れた生活は
今にして思えば
悪くなかったのかなとも思うし
必然だったのかなとも思う。
時間=距離
と言っている人が以前いた。
例えば
サバンナに小さな象がいたとき
自分と象の間には距離がある
だから
自分が象のところにたどり着くには
時間がかかる。
と人は無意識に感じ取る。
物と物の間に距離があるということは
その間に時間もあるということらしい。
私はこのおこもり生活で
私と日常との間には
強制的に距離ができた。
日常に忙殺され
置き去りになっていた感情たちを
意図せず発生した距離のおかげで
時間をかけたときと同じクオリティで
拾い上げることができたのだ。
これはきっと何かの運命で
今の私に必要なものを
与えられたような感覚がした。
ここ最近あった
悲しく辛かった出来事も
もう痛くない。
ああ、あの人はきっと
今までもこうやって生きてきて
自分のやり方を正解だと
思いたいんだな…
いつかきっと
痛い目にあってしまうだろう。
とても気の毒だけど
私にできることは見守ることだけだな…
巻き込まれすぎないように
ほどほどに断ったり離れたり
するしかないんだろうな…
そんなことを
頭の中で巡らせて
感情を開放していた。
もはやこのための
時間=距離だったのか
とすら思えてしまう。
ともあれ
明日から私は日常に帰る。
時間を取りなさい。
距離を取りなさい。
この言葉を
頭の隅に置いておこう。