一年の中で一番誕生日に死にたくなる
いつからだかハッキリ覚えていないが
小学校低学年の頃には
私は自分が今ここにいることに疑問を持っていた。
こことは、この世界に生きていることである。
何故私は生きているのだろう。
何故私なのだろう。
私は漠然としたそんな思いにつきまとわれていたのだが
小学校四年生の時にクラスメートが自殺したことで
死はリアルになった。
クラスメートの自殺をきっかけに
辛いことがあったら、私も死にたくなった。
でも自殺は絶対にダメだ。
みんなをこんなに悲しませる死に方はダメだ。
私はクラスメートを救えなかった。
亡くなる前日に異変には気づいていたのに
私はクラスメートを救えなかった。
そして私はまだここにいる。
先にいなくなったのはクラスメートだった。
優しいクラスメートがいなくなってしまった。
私はまだいるのに
先に逝かないでよ……。
幼稚園でもらった卒園アルバムには【二度とない人生だから】と書かれた詩が載っていた。
二度とない人生。
死んだら終わりと言われている。
でも、誰も死後の世界は知らない。
死ぬ前、クラスメートは苦しかった?
それとも苦しまずに逝けたの?
楽になれたの?
それともまだ、苦しいままなの?
生きる……
死ぬ………………
私は生死のことを考えては
毎日毎日泣いていた。
タオルを首に巻いても
カッターを手首に当てても
力を込める勇気はなくて
私は更に泣いた。
違う。
そうじゃないんだ。
自傷行為や自殺がしたいんじゃない。
私は正確には死にたいんじゃない。
消えてなくなりたいんだ。
私は消滅願望を小学生から持っていた。
何故だかは分からない。
両親や家族から望まれて産まれ、愛されて育った。
友達だっている。
クラスで目立たない存在だし、容姿は恵まれていないが
勉強や絵は得意だったし
学級委員や児童会役員はやっていた。
それなりに賞状だってもらった。
家庭環境に恵まれ、学校でいじめられているわけでもない
よくいる平凡な子のはずなのに
どうして私はこんなにも消えたくてたまらないのか。
毎日生死について考えては涙が止まらないのか。
こんな子は周りに見当たらない。
私は歪んでいる。
生きていることに向いていない。
普通じゃない。出来損ないだ。
誰にも言えなかった。
「死にたい。」とか「消えたい。」とか思うのは普通じゃないし
口にすることは異常だと分かっていた。
子どもらしからぬことだし
人として許されないことだと分かっていた。
周りはみんな活き活きと生きていて眩しかった。
私は親に申し訳なかった。
私は欠陥品として産まれた。
親が立派であろうと
愛情を込めて育てようと
私のような歪な子どもが生まれることもあると
私は自身で知った。
中学や高校、大学に進学しても
私の中で消えたい願望は消えなかった。
とにかく10代の頃は多感で
毎日毎日ワァワァ泣いていた。
自分がおかしい自覚はあった。
だから、周りには言えなかった。
親友にも家族にも言えなかった。
ただただ、今ここに私がいることが申し訳なかった。
私は人魚姫のようにスッと泡になって溶けたかった。そして消えてなくなりたかった。
死にたいわけではない。
自殺したいわけでもない。
死なないからには生きるしかないし
生きることに悲観していたわけではない。
行きたい学校や働きたい職業はあったし
家族や友達は好きだし、好きな人もいた。
趣味もたくさんあったし
やりたいことや楽しみだらけだ。
行きたい場所もあった。
だが、空しさはないが、人生の隙間を埋めている感覚は拭えなかった。
私は人生に悔いは一つもない。
やりたいように今まで生きてきた。
だからこそ今すぐ消えてもまた
悔いは一つもない。
私はそうも思っていた。
私はどこかで死に場所を求めてもいた。
頑張って生きたら
例えば溺れる子どもや誰かを庇って死んだら
許される気がした。
生きている理由や価値、生かされている意義を
見出したかったのかもしれない。
ニュースを見ては、また私より価値がある誰かが亡くなった、と思った。
なんで私より才能があり、愛されていて、生きたかった人が亡くなるのだろうと思った。
そして、羨ましかった。
生きることが何らかの理由で終わった人になりたかった。
惜しまれる内にいなくなりたかった。
だがあくまで、私は自殺したいわけではない。
苦しみながら死ぬのもごめんだ。
消えたいだけだし
自然な形で天に任せて死を待っていただけだ。
どんなに願っても、消えられないことは分かっていた。
だからどうせ生きるなら、よりよく生きたかった。
矛盾しているようだが
消えたい願望を抱き、死に場所を求めていたわりに
私は楽しく生きたかったし、よりよく生きられる居場所や分かち合える友達や愛し合える恋人を求めてもいた。
中学時代美術の時間に、私はラファエロの聖母マリアの絵を模写した。
その際、ラファエロは誕生日に亡くなったと知った。
誕生日に亡くなる!
これだ……!
私はラファエロの亡くなった日に感銘を受けた。
始まりの日に終わる。
最高じゃないか。
始まりは終わりで
終わりは始まりなのだ。
私はラファエロをきっかけに、中学時代から、死ぬ日をもしも選べるなら誕生日が一番いいと思うようになった。
そして一年間で一番死にたくなる日は、誕生日となった。
本当に歪んでいると思った。
普通、誕生日は一年間で自分が主役の日で、嬉しいものなのだろう。
実際、私は誕生日に誰かから祝われたら素直に嬉しかったし、プレゼントも喜んだ。
しかし、それと同時に、今年も死に損ねて一日が終わったな、とも思った。
誕生日にテンションがガタ落ちするのは
冬季型鬱も関わっているかもしれない。
人は日照不足で鬱になりやすいし
12月はクリスマス、1月は正月があり、誕生日が続く。
外は寒く、人肌は恋しくなり
リア充はひたすらにキラキラする。
それを痛感するから、12月と1月はテンションが下がるのかもしれない。
クリスマスや正月はまだいい。
家族や友達とワイワイできる。
みんなにとって特別な日だ。
だが、私の誕生日はただの平日だ。
私を好きな人や私の誕生日を覚えている人以外にとってただの日で
私が誕生日を特別な日だと力みすぎているからこそ
結果が伴わなかったり
思い通りにいかず
死にたくなるのかもしれない。
仕方ないのだ。
誕生日当日は平日だし
前祝いや後祝いになりがちだ。
家族は当日に祝ってくれるし
友達からピッタリメールも来るのに
どうして私は誕生日にこんなに憂うつなのか。
早く誕生日の次の日になりたかった。
私にとっても、周りにとってもなんでもない日なら
期待も絶望もないのだから。
「消えたくてたまらない。」
私が初めてそれを口にした時、親友は言った。
「死にたきゃ勝手に死ねよ。」
悲しまれると思ったら、予想外の返答だった。
自殺したいわけではない為
勝手に死ぬわけにはいかなかったが
なかなかにインパクトのある返しだった。
ネットで真咲ともかを名乗るようになり
私はネット上で初めて、親友以外に打ち明けた。
消滅願望があること。
特に誕生日は死にたくなること。
初彼は真咲ともかを知っている。
私の誕生日に告白してくれ、付き合うことになった際、一言だけキッパリ言った。
「死ぬなよ。」
その言葉が、当時すごく嬉しかった気がする。
初彼と別れてからも尚
その言葉は強く私の心に刻まれた。
小学生と高校時代が一番情緒不安定だったが
初彼の言葉のお陰もあり
私は以前ほどは消滅願望が強くなくなった。
私がいなくなったら家族が悲しむし、申し訳ない。
友達も泣くだろう。泣かせたくはないな。
そんな想像は容易くできたが
私のストッパーは初彼の力強い真面目な「死ぬなよ。」の言葉だった。
それは今でも続いている。
そんな中、私はやがて社会人になり、驚くくらい精神が安定して明るくなった。
同僚は優しく、利用者はかわいく、仕事はやりがいがあって
私は非常に充実して活き活きとした。
私に足りないものはないと思った。
家族とは仲が良いし
友達もいるし
仕事は楽しいし
心身健康だし
お金も休日もある。
学生生活より社会人生活は充実していた。
10代の頃は訳も分からず毎日泣いていたのに
20代になったら笑ってばかりで
気づいたら消滅願望は薄くなった。
誕生日当日はやはり強くなるが
同僚や利用者から祝ってもらえたし
誕生日プレゼントや誕生日カードをもらった。
優しい彼氏も祝ってくれた。
やることがあったり
誰かに愛され、求められると
こんなにも消滅願望がなくなると思わなかった。
学生生活は先が見えなかったが
就職し
彼氏と結婚話をすることで
今が安定し
未来が明るかったのもあるだろう。
私は確かに幸せだった。
婚約破棄されるまでは。
三年以上付き合い、家族や友達にも顔合わせをしていたのに、婚約破棄された。
結婚適齢期のアラサーだ。
私は絶望感でいっぱいだった。
そんな私に告白してきたのが、次に付き合うことになる彼氏であった。
「ともかがどうしても死にたくなったら、俺が殺してやるよ。」
「一緒に死ぬよ。即死になるやり方でな。」
私はそれを聞いた瞬間、その言葉をずっと待っていたと思った。
私はいなくなりたい。死にたい。
でも自殺したいわけではなかった。
消えることは望んでもできないから
苦しまずに、自殺以外の方法で死ぬ。
それが私の一番の願いだった。
彼がどこまで本気で言ったかは分からない。
知り合ってから10年以上経つが
その会話をしたのは一回きりだ。
お互いに普段はポジティブだし
楽しみながら笑いながら生きていたが
心に確かな影を抱いていた。
私が婚約破棄した頃、彼もかけがえのないものをなくしていた。
私達は性格も容姿もまるで似ていなかったが
目の奥にある影はよく似ていた。
私達は陰側の人間だった。
同志だったのだ。
お互いにたくさん笑って過ごした。
あんな会話をしたのが嘘みたいに
一緒にいたらただただ楽しかった。
ずっとそばにいたかった。
私の一番の願いは、ずっと彼のそばにいることに変わった。
嘘でも構わなかった。
あの日、彼が言った言葉は、私にとって確かな救いになった。
「いざとなったら、好きな人が私を苦しまずに殺してくれる。」
そう思うだけで、心は穏やかだった。
分かっていた。
彼は本気で私を殺さない。
私が望んだ言葉を言ったに過ぎないし
私は彼を殺人犯にしたいわけじゃない。
私は二人で生きていくことを願っていた。
彼に死んでほしくないと
誰よりも願っていた。
彼とやがて別れてもなお
彼に言われた言葉は私の中で残っている。
別れはしたが
私は彼が死んだら間違いなく泣くし
私が死んでも彼はきっと泣くだろう。
私は生きるし
彼にも生きていてほしい。
一日でも長く。
毎年クリスマスは幸せなのに
何故か毎年誕生日はアップダウンが激しかった。
嫌なことが誕生日に起きやすかった。
何故かいつも誕生日前日や誕生日次の日の方が
幸せを感じやすかった。
誕生日当日を、幸せに過ごせるか否かが
私には一番大切なのに。
30代になり
誕生日は年を重ねることを意識することになり
そういった意味では微妙な日となった。
毎年職場で同僚や利用者がお祝いしてくれたが
退職をした私は
もう同僚や利用者に会えないし、「お誕生日おめでとう。」とは言われない。
それが少し寂しい。
恋人が今はいないから期待はない。
だから絶望もない。
既に前祝いで何人かに誕生日プレゼントをもらったし
後祝いで何人かから、会った時に誕生日プレゼントをもらえるだろう。
当日は分からない。
郵送があるかもしれないし、ないかもしれない。
誕生日が休みなことはいつぶりだろうか。
今年の誕生日は自由に動ける。
不要不急の外出は控えるように言われているが
どうしても今日、行きたい場所がある。
会いたい人がいる。
感染症対策をして、少しだけでも会いに行きたい。
今年の誕生日がいい日になるといい。
生まれてきてよかった、と思える日ならいい。
消滅願望に引きずられないように
楽しいや嬉しいや美味しいを散りばめて
素敵な誕生日にしたいと思う。
そして早く誕生日の次の日になってほしい。
大丈夫。きっと大丈夫。
好きなアーティストから誕生日メッセージがもらえるし
好きなアーティストの新曲発売日だ。
怯えることはない。
きっと今日はいい日になる。
いい日にしてみせる。
消えられないなら、ここにいるしかない。
死ねないなら、生きるしかない。
どうせ生きるなら、よりよく生きたい。
楽しく幸せに生きたい。
願わくば、好きな人達と共に、健やかに。