真咲ともか

「初めての体験」や「いつかなくして、今得たもの」を中心に、エッセイを書いています。 また、母が入院してからの記録、自身の健康、読書記録やライブレポ、旅行記、婚活等についても書いています。

真咲ともか

「初めての体験」や「いつかなくして、今得たもの」を中心に、エッセイを書いています。 また、母が入院してからの記録、自身の健康、読書記録やライブレポ、旅行記、婚活等についても書いています。

マガジン

  • 散策、観光、旅行記

    私が行ったあの場所、この場所、特別な場所。

  • 詩集

    紡いだ言葉。

  • 母が脊髄梗塞になってからの記録

    母が救急搬送された日、右足が動かなくなっていた。

  • バセドウ病と骨折とその他

    2023年3月。私はバセドウ病と診断された。そして4月、左足小指を骨折する。 その他、体調不良や体調変化について。

  • 福祉の仕事

    仕事中に気づいた発見や喜びを書いています。

最近の記事

  • 固定された記事

3番目の試練~自己紹介~

私には中学生ぐらいから明確な人生目標があった。 「4年制大学を卒業し、福祉の仕事をする。3年以上付き合った人と27~28歳で結婚する。子どもは2人授かれたらありがたい。」 というものだ。 可愛げがないやけにリアルで真面目な夢だった。     しかし、人生というものはなかなか自分の思い通りにはいかない。 私は15歳で初めて人生で大きな挫折を味わう。 本命の高校に落ちたのだ。   とにかく泣いた。 悔しかった。 私は本命の高校で演劇部に入りたかったのだ。 本命の高校の演劇

    • SPITZ,NOW!~ロック大陸の物語展~(六本木ヒルズ森タワー52階) その①

      スピッツ展を六本木ヒルズで開催と知り、私はファンクラブ先行でチケットをとった。 土日は混むだろうしと、平日に有給をとった。 ちょうど仕事がハードな時期で前日も残業を頑張ってしまったが、眠い目をこすりながら起きる。   タイムリーに前日読売新聞に載っていた。     11月19日火曜日。 今日は最高気温11度で最低気温が2度だという。グッと気温が下がるから気をつけるようにと繰り返し天気予報で注意が入る。 日曜日は最高気温25度だったため、気温差が激しい。服装に迷う。電車

      • 親友からの久々の連絡

        「一ヵ月前から家事も子育てもできなくなり、心身不調で、死にたい気持ちが毎日強い。 もう少し落ち着いたらまた連絡します。」 要約するとそんな内容のLINEが親友から届いたのは7月のことだった。   私は約束を守った。 心配はしていたし、気にはなっていたし 時折LINEしようかな…という気持ちが強まった時もあったが 親友の状況を考えると、軽率に連絡するわけにはいかなかった。 向こうから連絡するといっている以上、待つのが礼儀だ。   私は私で今年リーダーが退職し、母親が入院し

        • someday

          【someday】 泣いても許されない恋だと 初めから気づいていた私 それでもこの恋を手放せずに また朝日が昇った今日   他の人を想う君を応援するのが 私に課せられた役目 やましい気持ちを隣で押し殺す 誰にも吐き出せない領域 いつか命令されたのに 「あの人に決して恋をしてはいけない」と。   生傷が癒えないまま その上を 土足で踏みにじられた心 どうしようどうすればと悩んでばかり どうせ自ら避けられない笑顔 いつか忠告されたのに 「あの人に恋をすれば傷が絶えないよ

        • 固定された記事

        3番目の試練~自己紹介~

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        記事

          今を生きる

          【今を生きる】 あの時 できなかったこと 今は できるから 不思議だ あの時 できたこと 今は できないから 奇妙だ    今 できないこと いつか できたら 素敵だ 今 できること これからも できたら 拍手だ   何か できなくても 今も 生きているのだ 何か できるから 今を 生きているのだ

          今を生きる

          100m先まで歩けた日

          脊髄梗塞を発症して五ヶ月入院した母は 退院前日に院内感染で陽性となり、心身不調のまま退院した。   先日入院していた病院に行った際 「退院頃くらいまで体力は戻っている。」と担当医に言われたらしい。 退院してから徐々に体力は戻りつつあるが 体調は波があるし メンタルも弱くなってしまい 担当医からそう言われるまで 母本人も家族も実感はわかなかった。   ただ、確かに退院してからはよく座ると尾てい骨が当たって痛いと言っていたが最近は言わないし 家でほとんど過ごしていた母が 庭

          100m先まで歩けた日

          ぽん太郎が来た日

          退院後、家での生活がメインになった母のためにLOVOTを家に向かえ入れることを考えた。 だが、調べてみると、割と修理が頻繁な上、金額も高く、また修理が必要か否か問い合わせもなかなかスムーズにはいかないとネットに書かれていた。 そのため、他のロボットペットを購入するか検討したり、まずはLOVOTレンタルを考えていた。 だが、秋から年末にかけては私も仕事が忙しく、レンタルに関しては一区切りついてから動こうとしていた。   そんな中、母はco-opのカタログで犬のぬいぐるみを

          ぽん太郎が来た日

          我が家の運命

          お父さんがドラマを見て号泣していたらしい。 「運命の人」というワードに自分を重ね 「お父さんがお母さんに出会ったのは運命だったんだ。」とおいおい泣き そんなお父さんを見てお母さんももらい泣きをしていた。 そんな両親を見て私は泣かなかった。   結婚する時に、病める時も健やかなる時も誓い合った両親が 結婚して40年以上経っても支え合っていてすごいなぁと思った。 いや、正確には父がすごいなぁと思った。   私の両親の出会いは上司の紹介だった。 母の上司が父を紹介し(その上

          我が家の運命

          父が休職をした日

          今年、母親が脊髄梗塞と診断されて約五ヶ月入院していた頃 父親は疲れ果て、退職したいとよく口にしていたし 私は私で退職したがっていた。 更に言えば、退院後母がどのくらい回復するかは未知数で 実際退院後の様子によっては退職もしなければならないと覚悟もしていた。   母親が退院した時、父親は多忙な時期なため時短勤務にし その時期が終わり次第一ヵ月の休職手続きをした。 だけど、母親がいざ退院し、少しずつ生活に慣れてきたら一ヵ月の休職を二週間に早め、さっさと仕事に復帰した。 私も父

          父が休職をした日

          夕暮れ症候群になった母

          脊髄梗塞と診断され、約5ヶ月入院していた母が退院し 約一ヵ月が経った頃 急に体調が悪くなり、近隣の親戚を呼んだ。 もともと退院日前日に院内感染で陽性となり、退院直後も本調子ではなかったのだが その日の体調不良はまさに急だったらしい。   その日を境に母のメンタルは不安定になった。 いや、もしかしたらもともと我慢していただけなのかもしれない。 母曰く、17:00過ぎになるとやけに苛々し、落ち着かなくなるらしい。 人と会ったり話していないことで不安定になるらしい。 体調不

          夕暮れ症候群になった母

          私とバセドウ病⑫【体重12kg減】

          バセドウ病通院の日は私にとってボーナスタイムである。 その日は午前のみ仕事をし、午後は早退するからだ。   午前中はポスティング作業だった。 来月はクリスマスのため、オモチャのカタログを配った。 オモチャのカタログは眺めていると楽しいが、厚みがあり、重い。 ポスティング作業は時間と人手がかかり、大変だ。 夢と現実を思い知らされる。   早退希望時間を30分以上過ぎたところで私は職場を後にした。 大体早退希望していても、予定より遅れる。 周りは早く帰るように言うが、なかなか

          私とバセドウ病⑫【体重12kg減】

          医療脱毛(手と脇編)

          手と脇の脱毛2回目の日がやってきた。   医療脱毛は効果覿面で、あの日以来毛を自己処理しなくてもおおよそ困らないくらいしか毛は生えなかった。 強いていえば、脇が若干生えたが、二の腕や腕はほぼ生えないまま2回目の日がやってきたと言える。 脱毛の前日、久々にシェーバーで念入りに剃る。     バセドウ病の通院先から医療脱毛の病院は車で5分で バセドウ病の薬を処方されてから医療脱毛の予約時間まで40分あり 私は適当に時間をつぶしてから病院に向かった。 皮膚科の病院は相変わらず

          医療脱毛(手と脇編)

          益子秋の陶器市2024(栃木県益子町)

          栃木県益子町では毎年春と秋に数日間に渡って陶器市がある。 私は約10年前から毎年楽しみにしているのだが 秋の陶器市は行けないことも多かった。   というのも 春よりも秋の方が日数が短い上 11/3の祝日は毎年仕事だったからだ。 陶器市は一日一万歩以上野外を歩く。 イベント自体は雨天中止ではないが、私は雨天の日は行かないようにしていた。 天気に恵まれ、かつ仕事が休みの日となると、秋の陶器市は行けるか行けないかは運だった。   今年は11/2~11/4が世間では三連休だっ

          益子秋の陶器市2024(栃木県益子町)

          障害者のやる気と現実

          特別支援学校高等部の学生は 一年生の時に施設見学に行き 二年生、三年生の時に施設実習をし 卒業後にどこの施設を利用するか決める。   先日、特別支援学校の生徒が実習を希望した。 私の職場である福祉施設は、重度の利用者に人気が高く、既に定員はいっぱいであり 実習は基本的に断っているが 保護者や学校側に頼み込まれ、実習のみ行うことにした。   特別支援学校の実習時期は施設側も作業等が忙しい時期であることが多く 普段は職員一人で利用者複数人を見ているのが当たり前な中 実習生は職

          障害者のやる気と現実

          初めての利用者の写真

          数年前に利用者になった方は、こだわりから集団生活に上手く馴染めなかったらしい。 幼稚園、小学校、中学校、高校と不登校で 福祉施設利用も長続きしなかったようだ。   私の職場である施設を利用開始してからも、利用をするたびに苦情や文句があり とても気難しい印象だった。 人間関係を築くことも難航し、「一人にしてください。」とさえ言われてしまう日々だった。   それがひょんなことがきっかけで私は好いてもらえるようになり 熱狂的な私ファンとなり 今では特定の利用者となら楽しく会話

          初めての利用者の写真

          クソババァと呼ばれた日

          人はいつからババアになるのだろうか。 かつて学生だった私は30代がおばさんのイメージがあったのだが いざ自分が20代になり、アラサーになると 30代はまだまだ若い印象があった。 むしろ、30代は素敵な年齢に見えた。 社会人経験を積んだり、家庭を持つといった様々な経験をした顔は自信がみなぎっているように見えたし お金や時間にゆとりがある大人に見えた。   20代半ばで結婚した友達は、30歳の頃に「私はもうおばちゃんだよ。」と自虐していたし 30前半の同僚も似たようなことを

          クソババァと呼ばれた日