見出し画像

聖書の山シリーズ『タボル山 ―神の栄光が顕現する契約更新の山―』

「デボラの勝利から主イエスの変容まで ―辺境から世界を照らす救いの光―」

タイトル画像:タボル山からモレの丘方面の眺望 Miriam Mezzera from エルサレム, CC BY 2.0 ,via Wikimedia Commons

2025年1月19日 礼拝


聖書箇所 士師記
4:1 その後、イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なった。エフデは死んでいた。
4:2 それで、主はハツォルで治めていたカナンの王ヤビンの手に彼らを売り渡した。ヤビンの将軍はシセラで、彼はハロシェテ・ハゴイムに住んでいた。
4:3 彼は鉄の戦車九百両を持ち、そのうえ二十年の間、イスラエル人をひどく圧迫したので、イスラエル人は主に叫び求めた。
4:4 そのころ、ラピドテの妻で女預言者デボラがイスラエルをさばいていた。
4:5 彼女はエフライムの山地のラマとベテルとの間にあるデボラのなつめやしの木の下にいつもすわっていたので、イスラエル人は彼女のところに上って来て、さばきを受けた。
4:6 あるとき、デボラは使いを送って、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せ、彼に言った。「イスラエルの神、主はこう命じられたではありませんか。『タボル山に進軍せよ。ナフタリ族とゼブルン族のうちから一万人を取れ。
4:7 わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とをキション川のあなたのところに引き寄せ、彼をあなたの手に渡す。』」
4:8 バラクは彼女に言った。「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません。」
4:9 そこでデボラは言った。「私は必ずあなたといっしょに行きます。けれども、あなたが行こうとしている道では、あなたは光栄を得ることはできません。主はシセラをひとりの女の手に売り渡されるからです。」こうして、デボラは立ってバラクといっしょにケデシュへ行った。
4:10 バラクはゼブルンとナフタリをケデシュに呼び集め、一万人を引き連れて上った。デボラも彼といっしょに上った。
4:11 ケニ人ヘベルは、モーセの義兄弟ホバブの子孫のカインから離れて、ケデシュの近くのツァアナニムの樫の木のそばで天幕を張っていた。
4:12 一方シセラは、アビノアムの子バラクがタボル山に登った、と知らされたので、
4:13 シセラは鉄の戦車九百両全部と、自分といっしょにいた民をみな、ハロシェテ・ハゴイムからキション川に呼び集めた。
4:14 そこで、デボラはバラクに言った。「さあ、やりなさい。きょう、主があなたの手にシセラを渡される。主はあなたの前に出て行かれるではありませんか。」それで、バラクはタボル山から下り、一万人が彼について行った。
4:15 主がシセラとそのすべての戦車と、すべての陣営の者をバラクの前に剣の刃でかき乱したので、シセラは戦車から飛び降り、徒歩で逃げた。
4:16 バラクは戦車と陣営をハロシェテ・ハゴイムに追いつめた。こうして、シセラの陣営の者はみな剣の刃に倒れ、残された者はひとりもいなかった。


はじめに


聖書の山シリーズ:タボル山

イスラエルの大地に、ひとつの山が孤高の姿でそびえ立っています。その名は「タボル山」。標高588メートルのこの山は、イズレエル平野の中で独特の存在感を放ち、まるで神の御手が特別に置かれたかのような印象を与えます。

タボル山 山頂の教会 Gozani123, CC BY-SA 4.0 ,via Wikimedia Commons

聖書の中で、タボル山は二つの劇的な出来事の舞台となりました。一つは旧約時代、女預言者デボラの時代における信仰の勝利。もう一つは新約時代、イエス・キリストの栄光の変容という、救いの歴史における決定的な瞬間です。

この山は、私たちに語りかけています。

「見よ、わたしの上で起きた出来事を。
そして、あなたの人生に与えられる約束を」

まず、デボラの時代。イスラエルの民は20年に及ぶカナン人の支配下にありました。900台の鉄の戦車を持つ強大な敵の前で、人間的には勝ち目のない戦いでした。しかし、神はタボル山を舞台に、信仰による驚くべき勝利をもたらされました。

その何世紀も後、同じ山の上で、さらに驚くべき出来事が起こります。イエスの姿が栄光に包まれて変容し、モーセとエリヤが現れ、天からの御声が響き渡ったのです。この出来事は、キリストにある究極の勝利と変革の約束を象徴的に表しています。

タボル山は、私たちに二重の証しを教えています。それは

信仰による勝利
神との出会いによる人生の変容

今回のシリーズでは、タボル山を通して、私たちの信仰生活に与えられる深い真理を探求していきます。それは単なる歴史的な出来事の記録ではなく、現代を生きる私たちへの生きた招きなのです。
共に、この山が語る神のメッセージに耳を傾けていきましょう。

タボル山の地理的特徴


タボル山の形成は、ガリラヤ地方における壮大な地質活動の歴史を物語っています。その誕生は、タボル山の形成は、新生代第三紀から第四紀初期(約2300万年前~200万年前)にかけて発生した地殻変動に起因すると言われています。

イスラエルの地質活動

この時期、シリア・アフリカ地溝帯(Great Rift Valley)の形成に関連して、ガリラヤ地方一帯で大規模な構造運動が起こりました。ナハル・タボル地域を含むガリラヤ一帯で発生した断層運動が、この独特な地形を生み出したそうです。ナハル・タボル地域はイスラエルの北部、ガリラヤ地方に位置しています。具体的には、タボル山(Mount Tabor/ハル・タボル)の近くにあり、イズレエル渓谷(Jezreel Valley)の北東部に位置しています。この地域は、豊かな自然に恵まれ、考古学的にも重要な場所として知られています。

タボル山は標高588メートルで、周辺の平野部から突然そびえ立つような独特の形状をしており、古代からこの地域のランドマークとして重要な役割を果たしてきました。

ところで、ナハル・タボルという名前の「ナハル」はヘブライ語で「小川」や「渓流」を意味し、この地域を流れる渓流に由来しています。この渓流は最終的にヨルダン川に合流します。

この地質活動の結果、地質学でいう「ホルスト構造」が形成されました。ホルストとは、周囲の地層が沈降する中で、ブロック状に取り残された隆起地形のことを指します。タボル山は、まさにこの地質プロセスの典型的な例として、イズレエル平野の中に威厳ある独立峰として存在することとなったのです。

ホルスト構造 米国地質調査所, Public domain, via Wikimedia Commons

地質構造に目を向けると、タボル山の西部と北西部には、クノマン・トゥロン時代(白亜紀後期)の地層が広がっています。この地域には石灰岩、ドロマイト、そしてキルトン岩(軟質石灰岩)が含まれており、これらの層状の地質構造によって自然の洞窟が形成されました。これらの洞窟は歴史を通じて、人々の避難所や居住地として重要な役割を果たしてきました。また、この地域の岩石は建築材料としても活用され、古代から続く持続可能な建築実践の証となっています。

一方、山の北部と東部は異なる様相を見せます。ガリラヤ下流の東斜面からは玄武岩質の岩が露出しており、この地域に及んだ火山活動の痕跡を今に伝えています。この玄武岩質台地は、タボル山の地質学的多様性を示す重要な要素となっています。

渇水対策

水資源の観点からみると、タボル山地域は興味深い特徴を持っています。この地域には自然の水源がほとんどなく、ガリラヤ下流地域全体が地下水不足に悩まされてきました。この課題に対して、古代の人々は独創的な解決策を見出しました。山には貯水槽が設けられ、建物の屋根を通じた効率的な雨水収集システムが発達したのです。これは古代の人々の知恵と技術力を示す貴重な証拠となっています。

タボル山の自然

タボル山はオスマン帝国の統治時代まで、古代イスラエル北部の典型的な植物に覆われていましたが、その間にほとんどの木が伐採されたそうです。木は木炭に使うために伐採されたとあります。ユダヤ人国民基金が環境を再現する努力の一環として、 1960年代から1970年代にかけて、この地域は元の植生に近い樹木で再植林しました。 今日、タボル山の大部分は、マウント・タボール・オーク(Quercus ithaburensis)やパレスチナ・オーク(Quercus calliprinos)などの木々で覆われています。

これらのような山の特徴は、デボラとバラクの戦いにおける戦略的位置として、また後のイエスの変容の舞台として、この山の地形は重要な役割を果たしました。人間の営みと自然の摂理が織りなす壮大な物語の証人として、タボル山は今もその威厳ある姿を保ち続けているのです。

タボル山をめぐる歴史


タボル山は、古代から現代に至るまで、多くの民族や文明の交差点として重要な役割を果たしてきました。その独特な地形と戦略的に重要な箇所として数千年にわたって様々な民族の関心を集め、各時代において異なる意味を持ち続けてきました。

旧約聖書時代のタボル山

歴史的にもっともよく知られているタボル山の記録として、カナン人とイスラエル人の間の重要な戦闘の地であったことです。特に、女預言者デボラの活躍が有名ですが、活動時期は紀元前12世紀頃(おおよそ紀元前1200年~紀元前1125年頃)とされています。これは士師時代(紀元前1200年頃~紀元前1020年頃)の初期に当たります。

そのデボラとタボル山の関係を具体的に見ていくと、『士師記』第4章と第5章に記された記録によれば、当時のイスラエルは、ハツォルの王ヤビンの支配下にありました。デボラは預言者として、ナフタリ族のバラクに神の命令を伝え、タボル山に1万人の兵を集めるよう指示します。具体的には、ナフタリ族とゼブルン族から兵を募ることを命じました

タボル山での戦いでは、ヤビン王の軍の司令官シセラが900台の鉄の戦車を率いて攻めてきましたが、イスラエル軍は勝利を収めます。この勝利は、「デボラの歌」として知られる詩(士師記5章)で詠われ、イスラエルの重要な勝利として記憶されています。

モレの丘からタボル山を臨む BenMor35, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

この時代のタボル山の戦略的重要性について補足すると、山の位置がエズレル平野(イズレエル平野)を見下ろす場所にあり、南北の交通路と東西の交通路の接点を制御できる位置にありました。このため、デボラとバラクがタボル山を戦いの場として選んだことには、明確な軍事的意図があったと考えられています。

ハスモン朝時代のタボル山

ヘレニズム時代には、この山は重要な軍事拠点として機能しました。紀元前218年には、セレウコス朝アンティオコス3世が山頂に要塞を築き、地域の支配を強化しました。その後、ハスモン朝(紀元前167年から紀元前37年)のアレクサンドロス・ヤンナイオスの時代には、さらなる要塞の増強が行われ、山頂の戦略的価値は一層高まりました。

タボル山に関連する具体的な事件として、紀元前57年にハスモン朝のアリストブルス2世の息子のアレクサンドロス(Alexander of Judaea)は3万人のユダヤ軍を率いて、ローマのシリア総督アウルス・ガビニウスに対して反乱を起こしました。しかし、タボル山近郊での戦いで大敗を喫し、約1万人のユダヤ人戦士が命を落としました。この戦いは、ハスモン朝がローマの影響下で徐々に弱体化していく時期に起きた重要な戦闘の一つでした。

ローマ時代のタボル山

ローマ時代に入ると、タボル山は新たな意味を持つようになります。特に、イエス・キリストの変容の場面の舞台として伝統的に考えられており、初期キリスト教会にとって重要な巡礼地となりました。

さらに重要な歴史的転換点となったのが、西暦66年の対ローマ大反乱での出来事です。ヨセフ・ベン・マタティヨの指揮下、タボル山はガリラヤの反乱軍によって要塞化された19都市の一つとなりました。

ユダヤ戦争』の記録によると、ウェスパシアヌス帝は反乱軍鎮圧のため、プラキドゥス指揮下の600騎をタボル山に派遣しました。険しい地形のため直接の攻撃を避けたプラキドゥスは、策略を用いて反乱軍を山から誘い出すことに成功します。交渉を装って山を降りてきたユダヤ人たちは、逆にローマ軍に包囲され、多くが命を落としました。水源を断たれた残りの守備隊も最終的に降伏を余儀なくされ、タボル山の要塞はプラキドゥスの手に落ちることとなりました。生き残った多くのユダヤ人たちは、エルサレムへと退避していきました。

ビザンチン時代(4-7世紀)には、キリスト教の重要な巡礼地として発展し、6世紀には山頂に3つの教会が建立されました。続く初期イスラム時代(8世紀以降)には4つの教会と修道院が存在し、949年にはアッバース朝の支配をめぐる戦いが行われました。

変容山教会, Public domain, via Wikimedia Commons

十字軍時代以降(11-13世紀)は、イスラム教徒とキリスト教徒の間で激しい支配権争いが展開されました。1099年に十字軍が要塞を建設し、1101年にはベネディクト会が修道院を再建しましたが、1212年にアイユーブ朝のアル・アディル1世に占領されました。その後も支配者が交代し、1263年にはマムルーク朝のバイバルスが要塞を占領して建造物を破壊しました。

オスマン・トルコ時代には、1799年にナポレオン率いるフランス軍3,000人が、35,000人のオスマントルコ軍に勝利した「タボル山の戦い」が行われ、19世紀末から20世紀初頭にかけては、ベドウィン部族のアラブ・アル・サベヒが定住したとされています。

1948年のアラブ・イスラエル戦争時、この地域に住んでいたアラブ人のアル=サベヒ部族はアラブ解放軍に加わり、キブツのメンバーを殺害する事件が発生しました。同年5月、イスラエルのゴラニ旅団がタボル山を占領し、その結果、部族の大半はシリアとヨルダンへ退去を余儀なくされました。その後、残った人々のために村アラブ・アル・シブリが設立され、現在のシブリ・ウンム・アル・ガナム村の一部となっています。

一方で、アル・ヒエブ部族のように、1930年代後半からユダヤ人地下軍と協力関係を築いていた部族もありました。1960年代以降、これらの部族の多くはイスラエル国防軍や国境警察などの治安部隊に加わったとされています。

現在、タボル山では毎年4月に下部ガリラヤ地域評議会によって12キロのレースが開催されています。これは、パルマハの初代司令官で、イスラエル国防軍の創設者の一人であり、大衆スポーツの推進者でもあったイツハク・サデを記念するものです。

現代において、タボル山は三つの重要な意義を持っています。考古学的な研究地として古代から中世にかけての様々な文明の痕跡を今に伝え、キリスト教の重要な巡礼地として世界中の信者の信仰生活に影響を与え続け、さらにイスラエルの自然公園として豊かな生態系を保持しています。

このように、タボル山は単なる地理的特徴を超えて、ユダヤ・キリスト教の歴史における重要な転換点の証人として、また異なる文明の交差点として、今日も私たちに多くのことを語りかけているのです。

デボラとバラクの物語


タボル山に関する聖書の記述で最も有名な箇所は、士師記に記されたデボラバラクの物語です。イスラエルの民が20年にわたってカナン人の王ヤビンによる過酷な支配下にあった時代に生じた反乱です。

カナン人の王ヤビンの軍の司令官シセラは、900台の鉄の戦車を有する強大な軍事力を持ち、イスラエルの民を徹底的に抑圧していました。イスラエルの民は武器を持つことを禁じられ、自由を奪われた状態で生活を強いられていました。

シセラに対するデボラとバラク   フアン・デ・ラ・コルテ- Google アートプロジェクト

この危機的な状況の中で、神は女預言者デボラを通じて語られました。デボラはナツメヤシの木の下で民を裁く指導者として知られ、民からの信頼も厚かったのです。神はデボラを通じて、ナフタリ族のケデシュに住むアビノアムの子バラクに召命を与えました。それは、タボル山に軍を集め、シセラと戦うようにという命令でした。

バラクはこの召命に対して、条件付きの応答をします。彼はデボラに士師記4章8節で「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません。」と答えたのです。

これに対してデボラは同行を承諾しますが、「私は必ずあなたといっしょに行きます。けれども、あなたが行こうとしている道では、あなたは光栄を得ることはできません。主はシセラをひとりの女の手に売り渡されるからです。」(士師記4章9節)と預言しました。

紀元前12世紀、タボル山で起きた出来事は、イスラエルの歴史に深く刻まれる劇的な戦いとなりました。女預言者デボラを通じて語られた神の約束は、人知を超えた形で成就されることになります。

標高588メートルの頂を持つタボル山は、広大なイズレエル平野を一望できる天然の要塞でした。ここに、ナフタリ族の指導者バラクは、デボラの預言に従って1万の兵を集結させました。彼らを待ち受けていたのは、当時最新鋭の軍事技術である900台の鉄の戦車を擁するカナンの将軍シセラの軍勢でした。

戦いの様相は、予想をはるかに超える展開を見せます。堅固な鉄の戦車群は、突如として泥にはまり込み、その圧倒的な軍事力は一瞬にして無力化されました。戦車から降りて逃げ出したシセラは、思いもよらない形で、一人の女性ヤエルの手によって命を落とすことになります。これは、まさにデボラが預言した通りの結末でした。

シセラを殺害するヤエル Lambert Lombard, Jaël (1530-35), クルティウス美術館, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

この勝利の真の意味は、単なる軍事的な勝利を超えていました。当時、鉄の戦車は最強の兵器であり、これに対抗する手段を持たないイスラエルの民にとって、人間の計算では勝利はあり得ないものでした。しかし、バラクはデボラを通じて語られた神の言葉を信じ、行動を起こしました。その信仰は、神の劇的な介入によって報われたのです。

この勝利の真の意味は、軍事的勝利を超えていました。当時、鉄の戦車は最強の兵器であり、これに対抗する手段を持たないイスラエルにとって、人間的には勝利はあり得ないものでした。しかし、神は意図的にこの「力の非対称性」を用いて、より深い真理を示されたのです。

特に注目すべきは、神が用いられた器の選びです。デボラとヤエル、二人の女性を通じて神の計画は成就されました。当時の社会で最も発言力の弱かった女性たちを、神は救いの器として選ばれたのです。同時に、バラクの不完全な信仰もまた、神の計画の中で重要な役割を果たしました。

また、この戦いにおける「待つこと」の意味も重要です。デボラは神の時を待って行動しました。真の勝利は、人間の計画や焦りからではなく、神の完全な時を待つ忍耐から生まれるのです。

この物語は、現代の私たちにも深い示唆を与えています。私たちが直面する困難や試練において、決定的なのは外見上の力の差ではなく、神への信頼と従順なのです。タボル山での出来事は、人間の限界を超えた神の力と、それを信じて行動する信仰の価値を、後世に伝え続けているのです。

イエス・キリストの変容の山としてのタボル山


イエス・キリストの変容は、キリスト教において最も重要な出来事の一つで、新約聖書の3つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ)に記されています。福音書では「高い山」で起きた出来事とされ、その場所については古くから議論が続いています。

変容の場所として最も広く知られているのはタボル山(標高575m)です。この説は3世紀頃からオリゲネスエルサレムのキュリロスの証言に基づいて広まり、4世紀にはヘレナ皇后の聖地巡礼の影響もあって定着していきました。6世紀にはタボル山に複数の教会が建設され、重要な巡礼地となりました。

一方、近代の聖書学者の間では、ヘルモン山(標高2,814m)説も提唱されています。この説は、「高い山」という描写により適合すること、変容直前の出来事の舞台であるピリポ・カイザリヤに近いことなどが根拠とされています。また、当時のタボル山には要塞があり、静かな祈りの場としては適していなかった可能性も指摘されています。

場所については議論が続いていますが、変容の出来事そのものは次のように記されています。イエスは弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて山に登りました。そこで彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その顔は太陽のように輝き、衣服は光のように白く輝きました。突然、旧約聖書の預言者であるモーセとエリヤが現れ、イエスと言葉を交わしました。

この光景を目の当たりにしたペテロは、感動のあまり「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。私たちが、幕屋を三つ造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」(マルコ9:5)と言いました。その時、雲が彼らを包み、雲の中から「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。」(マルコ9:7節)という神の声が聞こえました。

この出来事は、キリスト教神学において深い意味を持っています。イエスが神の子であることを明確に示すとともに、モーセ(律法)とエリヤ(預言)の出現は、イエスが旧約と新約の架け橋となることを象徴しています。また、この栄光の啓示は、後の受難と復活を予告する意味も持っていました。

特に東方正教会では変容を重要視し、「変容祭」として祝っています。場所の議論を超えて、変容は神の栄光の啓示と人間の究極的な変容の可能性を示す希望として、今日まで大切に受け継がれています。

この出来事は、イエスの神性と人性の両方を示す重要な証しとして理解され、キリスト教信仰の核心的な教えの一つとなっています。

神の国の逆説的な性質を描き出すタボル山


タボル山は、古代からイスラエルの歴史において神の臨在が顕著に示された場所でした。デボラの時代には神の劇的な介入による勝利がもたらされ、イエスの変容において最も劇的な形で顕現しました。イエスが弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れてタボル山に登った時、その姿は神の栄光に満たされ、顔は太陽のように輝き、衣服は光のように白く輝きました。旧約の預言者モーセとエリヤの出現、そして「これは私の愛する子」という天からの声は、まさにタボル山が象徴してきた天と地の結びつきの究極的な表現となりました。

ナザレから約9キロメートルの距離にあるタボル山は、少年期から青年期のイエスの日常的な視界に入っていました。神がエルサレムという宗教的・政治的中心地からはるか離れた辺境の地、ガリラヤのナザレを選ばれたことには深い意図がありました。それは、神の救済の計画が、人間的な力や栄光の中心からではなく、むしろ周縁から始まることを示しています。「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ1:46)という問いが示すように、ナザレは重要性を持たない場所と見なされていました。

西北西からのタボル山を臨む אלמוג, パブリック・ドメイン, commons.wikimedia.org

しかし、神はまさにこの「取るに足りない」場所を選ばれました。タボル山から望むガリラヤの景色には、エルサレムの栄華ではなく、普通の人々が日々の生活を営む地域が広がっていました。この「中心ではなく辺境」という選びの型は、後に使徒パウロが「神は世の中の取るに足りないものや見下されているものを選ばれた」(第一コリント1:28)と述べる原理の具現化でした。

最後に、タボル山についてお伝えしたいことがあります。それは、私たちに時代を超えた二つの深い真理を証ししていることです。

一つは、信仰による勝利です。デボラとバラクの物語が示すように、人間的には到底勝ち目のない戦いであっても、神への信頼と従順によって驚くべき勝利がもたらされます。900台の鉄の戦車という、当時最強の軍事力を前にしても、神は思いもよらない方法で勝利をもたらされました。この出来事は、私たちが直面する様々な「不可能」な状況においても、神を信じることによって道が開かれることを教えています。

もう一つは、神との出会いによる人生の変容です。イエスの変容の出来事は、神との真の出会いが人を根本的に変えることを示しています。イエスの姿が栄光に包まれて変容したように、神との出会いは私たちの内なる変革をもたらします。それは単なる外面的な変化ではなく、存在そのものの変容です。それは、私たちの罪が赦され、聖霊を宿す神の子どもとされる新しい創造への道です。

これら二つの証しは、互いに深く結びついています。真の勝利は、神との出会いによる内なる変容を通して実現するものだからです。タボル山は、今もなおその威厳ある姿で、信仰による勝利と神による変容という希望のメッセージがあること、そしてこの山で起きた出来事は、決して過去の歴史的な事実にとどまるものではありません。それは、今を生きる私たちの人生においても、信仰による勝利と神との出会いを通じた変容が可能であることを、力強く証ししているのです。タボル山の物語は、私たちが直面する様々な困難や課題に対して、信仰と希望のメッセージを送り続けているのです。ハレルヤ!


いいなと思ったら応援しよう!

高木高正|東松山バプテスト教会 代表・伝道師
皆様のサポートに心から感謝します。信仰と福祉の架け橋として、障がい者支援や高齢者介護の現場で得た経験を活かし、希望の光を灯す活動を続けています。あなたの支えが、この使命をさらに広げる力となります。共に、より良い社会を築いていきましょう。