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自助論時代に幸福論と不幸論を考えてみる

「令和の米騒動、電気代高騰、郵便料金値上げ」において、日本のライフラインがインフレしている。

物価上昇に賃金上昇が追いつかない最悪の状況下で、日経平均株価はバブル時代のような値と乱高下をしている。

訪日外国人が日本環境で労働して、故郷に仕送りすることも難しい時代となっている。

昭和99年において仕事やビジネスが順調な人のほうが少ないであろうが、お金があれば幸せかと言えばそうではないはずだ。


生活基盤のお金が大切であることは第一条件ではあるが、年収800万円を超えると幸福感を感じない人も多いと言われている。


累進課税によって頑張っても高い税負担がのしかかり、頑張ることが馬鹿馬鹿しいと思う人達もいる。

お金に困っている人達は、高収入の人々を羨ましく思う気持ちや妬みも起きる。


「世の中は所詮、弱肉強食」の資本主義社会であり、やはりビジネスや仕事の成功は必要である。


ビジネスや仕事で成功した人達は、幸福感を感じることができずに虚しさに苦しむ人達がいる事実もある。


私達人間が「幸福感」を認知できる時は、どんな時なのか振り返る作業も必要である。

幸福論は個人因子や環境因子によって異なり、千差万別である。


1億円の資産家が孤独を感じていることもあれば、平均年収より少なくても家族で工夫して幸福を感じる人達もいる。


脳卒中などの病気を発症した際には、介護保険制度や身体障害者手帳の制度で支援もあるのが日本環境ではある。

国民皆保険制度によって支援もあるが、全ての問題を解決することはできない。


「より良く生きる為には何かが必要なのか」を、掴めない人達が多いように思う。

誰もが自分自身のことで精一杯の時代において、手を差し伸べてくれる人達が多いとは限らない。

「天災、人災、病気、経済問題」などで苦しんでいる場合、やはり自助論という結論に達してしまう。


苦しんでいる時に手を差し伸べてくれる人的環境がある人は、幸せだと思う。

日本という環境で過ごす人々の多くは単身世帯となっており、孤独を感じている。

自分を助けるのは自分であり、「ジタバタしてでもあがいてみる」という行動療法で認知を変えていく必要がある。

自助論が必要で残酷な環境において、幸福論とは何かを考えてみるが答えは出ない。

一億総中流という幻想は打ち砕かれてから30年以上が経過して、経済だけでなく幸福感の格差も広がっている。

「この条件を満たせば幸せになれる」といった考え方は生成AIで言うとハルシネーションであり、幸せの定義は本来無い。

一般的に幸福論とは「自身特定の欲望が叶えられている、自身欲望が一般信念に適している、自身欲望が世間認証を得られるものである、自身欲望を満たして他者を傷つけない、自身欲望によって社会貢献できる実感がある」など、色々な考え方がある。

自助論が必要な時代の幸福論は、逆説的に不幸論も検討してみる価値はある。

幸せの青い鳥ではないが、意外と幸せは足元に落ちているのかもしれない。


認知行動療法は、青い鳥を必死に探した行動の果に理解できるものかもしれない。

弱肉強食の資本主義社会で生きづらいのは当たり前であり、自分にある「GOOD POINT」や足りている物を探索してみることも大切だ。

ICFの世界国際基準がマイナスのできないことより、プラスのできることを定義していることは無い物ねだりをしたら永遠に不幸になるからである。


誰もが自分自身のことで精一杯な自助論の時代に、憂鬱や死を解剖してみる価値はある。

幸福感はお祭りを始める前に、懸命に準備をしている時が一番楽しいと言われることもある。

日本漫画やアニメーション呪術廻戦の「五条悟や夏油傑の青い春」ように、呪い専用学生時代の成熟前に試行錯誤している「準備段階で足りていない時」が幸せなのかもしれない。

呪いと生きて憂鬱と生きるしなやかさを習得することが困難であるから、私達は苦しんでいるのかもしれない。

呪いながら憂鬱と手を繋ぐ姿勢が、心の涙を拭ってくれる可能性も忘れてはいけないはずだ。


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