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一斉指導の方が楽で、評価もされるという構造的な問題
今の学習指導要領では 「主体的・対話的で深い学び」 が求められています。でも、現場の授業スタイルはどうでしょう?
実際には、今も
教師主導の一斉一律の授業が主流
それどころか、一斉授業を安定して進められることが 「指導力がある」と評価される風潮 すらありますよね。
もちろん、全ての一斉授業を否定するつもりはありません。
でも、一斉授業が「手を抜いても成立する」という側面があることには目を向けるべきだと思います。
本来、授業は手を抜かずに作り込むもののはず。
しかし、一斉指導は
教師の指示通りに子どもを動かすことができれば成立する
という特徴があります。
大人の権威を使って、「静かに聞かせる」「流れを乱させない」ことを徹底すれば、それなりに形にはなります。
そして、そのスタイルを貫き、「安定した授業」をする教師は、指導力があると評価されやすい。
一方で、「子ども主体の学び」を本気で実現しようとすると、複線化された授業設計や、マネジメントのスキルが求められ、難易度が格段に上がる。
ここで生じるのが、
「一斉指導のほうが楽で、評価もされる」という構造的な問題
でも、ここで考えてほしいんです。
「教師が主導しやすいから」「管理しやすいから」という理由で、一斉指導に頼り続けていいのか?
そして、「安定した一斉指導」を「指導力がある」と評価し続けていいのか?
本当の意味での「指導力」とは、
子どもの学びの主体性を引き出し、個々の学びをデザインする力
ではないでしょうか。
私は、「教師が意図的に手を抜いてしまっても成立してしまう授業」のあり方に、警鐘を鳴らしたい。
それが「安定感のある授業」「指導力のある教師」として評価されることに、違和感を覚えます。
もちろん、手を抜かずに一斉指導を極めている教師もたくさんいます。
でも、子ども主体の学びを本気でつくろうとしている教師が「不安定でリスクがある」と評価され、一斉指導を貫く教師が「安定していて指導力がある」と評価されるなら、それは 「評価の軸そのもの」を見直すべきではないでしょうか。
教師が本気で「子ども主体の学び」を実践できる環境が必要です。
• 業務負担が多すぎて、授業を磨く時間がない
• 「子ども主体の学び」に挑戦すると、むしろリスクを背負うことになる
• 教師自身が安心して、学びをデザインできる環境が整っていない
このままでは、「手を抜いても評価される一斉指導」が温存され、「子ども主体の学び」に挑戦することがリスクになり続ける。
この状況に、私は疑問を投げかけたい。
本当に 子ども主体の教育を広げたいなら、教師の資質や能力を高めるための環境づくりが不可欠。
そして、何より「何を指導力とするのか?」という価値観自体を問い直す必要があると思っています。
みなさんは、どう考えますか?
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