自分がうつ病と認めることが怖かった/うつ抜けできるかな日記
今日から「うつ抜けできるかな日記」というシリーズを始めます。9年間うつ病と向き合ってきた経験を踏まえ、うつ生活に役立つ情報の発信や、うつ抜けのために必要なことを毎週金曜日に発信していこうと思っています。
まずは私の体験からお話ししていきますね。
どうぞよろしくお願いいたします。
「ツレがうつになりまして」を観て、おかしいくらい大泣きする
自分はうつかもしれないと意識し始めたのは、私がフリーの書籍編集者・ライターとして独立して3~4年ほど経った、年末年始のある日のことです。
うろ覚えなんですが、この頃たまたま「ツレがうつになりまして。」を観たんですね。
そうしたら、堺雅人さん演じるツレ役にものすごく感情移入して、大泣きに泣いてしまったんですね。確かにすばらしい作品でしたが、それにしても泣きすぎだ、何かおかしいと自分でも思ったんです。
それでこれはもしかしたら、自分も「うつ」かもしれないという考えが頭をよぎりました。
うつ病は、ストレスや、環境の変化、経済的困窮、持病などが引き金になって発症するといわれています。
実際、このときはむちゃくちゃ忙しくて、寝る暇もありませんでした。
というのも、独立以来ほぼレギュラーで仕事をしていた某出版社の文庫シリーズが、出版不況にともない継続中止になってしまったからです。収入の大半を占めていた仕事だっただけにヘコみましたし、不安にもなりました。
なんとかしてその穴を埋めようと、頑張り過ぎちゃったんですね。気がついいたときには、身体はだるいし、食べないから一気に7㎏くらい体重は減るし、どんなことも後ろ向きにとらえるようになっていました。
インターネットで検索して、心理テストをやってみると、「うつの疑いが高いので、できるだけ早く病院に行ってください」と結果が出ました。
それでも私は、これは単なる疲れで、ゆっくり休んでいたら治るはずだ。そう思いこもうとしていました。
親友の言葉に、感涙。保健所に相談に行く
実はその2年前にも、人間関係のストレスでいろいろあって、うつっぽくなりかけたことがあったのです。そのときは、区役所の心の相談係みたいなところに電話しました。するとかえってきた答えが、優しい声で、
その方は、私のことを思って言ってくださったんでしょうが、「つらいですねとか、相手に寄り添う言葉が先じゃないの」「薬で治ったら、誰も苦労してないよ」と思っちゃったんです。
それに、薬を飲み続けないといけないというのも怖かったんですね。だから、「あ、大丈夫です」と言って電話を切ってしまいました。
結局、そのときはゆっくり休養していれば治りました。
今回も、同じだと思ったんです。休めば治ると。でもなかなか仕事が終わらず、休むこともできませんでした。結局、「消えたい」「死にたい」と思うようにまで、うつが進行してしまいました。
この段になって、ようやく私は親友のMくんに相談しました。そして、いまの自分の状態を洗いざらい話しました。彼はいくつかの会社を経営している人材育成のプロです。そのとき彼は、こんなことを話してくれました。
友達ってありがたい。つくづくそう思いました。そして、この言葉に、ようやくうつと向きあう決心がつきました。とはいえ、まだ病院に行くことには抵抗がありました。どんなところかわからないので、怖かったのです。
病院ガチャに振り回されないための、保健所の活用法
そこで私はまず保健所に相談に行くことにしました。以前電話したことがある心の相談係にまた相談してみることにしたのです。
普通は電話してから行くそうですが、今回は直接行きました。また「薬を飲んだら楽になりますよ」と言われるのが怖かったからです。対応してくれたのは保健師のIさんです。
その言葉にすーっと緊張がほぐれていきました。2階にある面談室に通され、勧められるままに椅子に座りました。そして私は、うまくはたらかない頭で、つっかえながら、どもりながら自分のことについて、話をしました。
Iさんは、ときどき頷いたり、「ものをつくる仕事ってすごいですね」と、感想を述べたりしながら、書面に私の病状を書き込んでいきます。
また、メンタルクリニックについて不安に思っている点を話すと、くわしく説明してくれました。
私がひとしきり話を終えると、Iさんは言いました。
疲労とストレスですり減った私の心には、その言葉が染みわたりました。
「うつ病またはうつ的症状の可能性があるので、まずは治療からはじめましょう」と、Iさんは言いました。そして、一度部屋から出て行くと、ファイルを持って戻ってこられました。
Iさんは区内にあるメンタルクリニックの資料を、
持ってきてくれたのでした。
「どんなタイプの先生がいいですか」
「できれば優しい先生のほうが」と私。
「だったらこの先生なんかどうですか」
と、何人かの先生を紹介してくれました。
まさか保健所で病院を紹介してくれるとは思わなかったので、これは新たな発見でした。
メンタルクリニックに行くというだけでも勇気がいります。
また、お医者さんガチャではないですが、もし自分と合わない先生にあたると、治療も前に進みません。
その意味で、情報を多く持っている保健所という場所をうまく活用するのは、インターネットの口コミに頼るよりも、おすすめのように思いました。
(ただし、地域によっては、それほど情報をつかんでいない保健所もあるようです。Iさんは熱心な方で、ほとんどの病院を訪問していて、その特徴を熟知していました。なので、ラッキーだったのかもしれません)
遠くの名医より、近くの名医
私は家から歩いてもいける範囲で、カウンセリングや認知行動療法をやってるクリニックを選びました(あと、先生のお顔が、私が昔お世話になったフリーランスの先輩編集者Yさんに似ていたので、この先生とならうまくやっていけそうだと思ったのです)。
いくら名医であっても、あまりにも遠いと通うのが大変です。
うつ病の治療は風邪のように短期間で終わりません。短くて、半年から1年。長ければ10年近く通うこともあります。
うつ病を経験された方ならわかっていただけるでしょうが、うつ病の急性期というのは、本当に苦しいものです。
私も半年間ほど、身体を動かすことさえ難しく、ほとんど寝たきりで過ごしました。
そんななか外出するというのは、大変に力を消耗します。「また電車に長いこと揺られていかないといけないのか」。そう考えると、通うのがつらくなります。なので、できるだけ家から近い病院のほうがいいと思ったのです。
そして、クリニックに電話して予約を取りました。初診は時間をかけるので、すぐに診察というのは難しいらしく、1週間後の4月12日(日)の13:00で予約を取ることができました。
死なないためにはじめた日記とメール
すぐに診察してもらえないのは残念でした。しかし、仕方がありません。
初診まで、この心の暴走状態をどうやり過ごしていくか。
そこで2つのことを考えました。
ひとつは、病状を記録した日記を書くこと。
そしてもうひとつは、Mくんに生存報告をメールですること。
これを自家製セーフティネットとしてはじめることにしました。
日記とは、以前にもご紹介したTwitter(現X)式日記です。
その頃の日記を開くと「死にたい」「身体が動かない」「頭が痛い」「もう自分はダメだ」などと、当時の自分の苦しみが綴られています。負の感情や思考をノートに書き出すことで、なんとか心のバランスを保っていたんですね。
また、編集者・ライターの世界でよく言われる、
「すべてはネタになる」という考え方も私の支えになりました。
いいことも悪いことも、「すべては記事のネタ」になると考える。どんなことが起こっても、「これでネタがひとつできた」と考える。
すると無駄になる経験などひとつもないことがわかります。
実際、私が日記をはじめたのは、書くことで精神の安定を図ることが目的でした。
しかし、その行動のなかには、うつ体験をネタとして記録しておけば、ひょっとしたらいつか本にできるかもしれないという下心も多少ありました。
ともかく、私はこの日記を書くことで本当に助けられました(日記の効用を書き出すと長くなるので、別の記事にします)。
そしてもうひとつ心強かったのは親友のMくんとのホットラインです。
「メールが来なくなったら、死んでるかもしれないと思ってくれ」と伝えて、うつ病発症当初はひんぱんにメールをやりとりしていました。
私から送るメールは暗く後ろ向きなものが多かったのですが、それにもかかわらず、彼はひたすら「共に乗り越えて行こう」と、あたたかい言葉を贈り続けてくれました。もう感謝しかありません。
うつ抜けのヒント#1
徒然なるままに書いているうちに、4000字近くになってしまいました。
まだうつ病初期の話ですが、
「うつ抜け」のためのヒントを少しまとめてみます。
保健所を使い倒せ!
メンタルクリニックは、通いやすさも考慮して選ぶ
苦しいことは、心に溜めずにノートに預ける
自分なりのセーフティーネットをつくる。
と、こんな具合になるでしょうか。
うつ病については、いわばエピソード0としてこんな記事も書いています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
それではまた来週、金曜日にお届けしようと思います。
これからもうつ抜けに役立ちそうな記事を書いていきますので、
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明日が、皆さんにとって穏やかで心安らぐ日でありますように!
そして、よいお年をお過ごしください。
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