Shunichi Komatsu

写真を撮るのが好きで、野鳥・昆虫(アリ等)・スナップ・風景等を撮っています。 使用機材…

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写真を撮るのが好きで、野鳥・昆虫(アリ等)・スナップ・風景等を撮っています。 使用機材はNikonとFujifilmです。 写真に関することを綴っていきます。

最近の記事

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カメラを始めてから今に至るまで

noteでは写真を通して自分が感じたこと、考えたこと等を綴っていく。 初投稿ということで、とりあえず私がどのような写真・撮影体験をしてきたかを書きたいと思う。 2019年の春、大学進学を機に京都に住むことになった。京都に進学を決めた理由は伝統ある街に惹かれたからである。 大学入学後、かねてから計画していた京都の寺社仏閣巡りを始めた。最初に訪れたのは平安神宮で、その鳥居の大きさ、門の大きさに圧倒された。次に訪れたのは嵐山・天龍寺である。天龍寺の庭園はとても素晴らしく、スマホを

    • 誰かのために撮るということ

      ・3度目の時代祭 先月京都で時代祭が行われた。時代祭は、京都を代表する葵祭・祇園祭に並ぶ大きなお祭りで、時代装束をまとった人々が行列をなし、京都市内を練り歩く(京都御所〜平安神宮)。私にとっては3度目の時代祭で、今年はどうやって、何を撮るのか頭を悩ませていた。毎年同じように執り行われるということは、伝統を継ぐ上で非常に重要な要素ではあるのだが、写真を撮る側からすると毎年ハードルが上がっていくことにもなる。また、丁度大学院での研究がラストスパートを迎えており、貴重な平日の一日を

      • 「そういうものか」と一息してみる

         写真を撮ることは心底好きなのだけれども、それでも写真を撮り続けるということの難しさを感じる時もある。この難しさの正体を今回は掘り下げていこうと思う。 ・新鮮さを求め続ける難しさ  京都の街を舞台にスナップ写真を初めて3年ほどが経とうとしている。それまで野鳥撮影を中心としてきた自分にとってはとても新鮮で、京都の観光地、またそれ以外の生活の場で撮影をすることはとても楽しかった。しかし、3年も経つと「もう京都の街は撮り尽くしたな」と感じてしまう部分もある。冷静に考えると、まだま

        • 写真には「私」がいる

           先日、友人Aからとある話を聞いた。言い出しが「言った方がいいかはわからんけど…」という感じだったのでなんだか、良くない雰囲気を感じた。友人Aは続けて「この前、お前(筆者である私)の写真の話になった時に、友人Bが彼(筆者である私)の写真は『機材だけだ』と言っていた。」と言ってきた。その瞬間、複雑な感情になった。ショックだった。悲しかった。私は「それは一番言われたらショックな言葉やな…」と呟き、言葉を失った。その後しばらく、『機材だけだ』という言葉が頭の中で反芻すると共に、その

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        カメラを始めてから今に至るまで

          写真と経験

          これは、先日読書をしていた時に、ハッとさせられた文章である。特に「写真になるものを探して経験を狭めたり、経験を映像や記念品に置き換えてしまう」の部分が印象に残った。これを読んだ時に「いやいや、写真になるものを探して経験を広げることもあるだろう」と感じた。実際に、写真を撮り始めたからこそできたことは、私にも沢山ある。カメラを購入しなければ、野鳥に興味をもつことも、京都の街を練り歩くこともなかったのかもしれない。写真になるものを探すことで経験が広がったという実感は多くの人がもって

          写真の中での「人」の存在

          最近、自身のスナップ写真をまとめた「one after another」の第7弾と第8弾を作成した。今一度作成した写真集を振り返ってみると、人が写っている写真が多いことに気がついた。今回はなぜ自分が人に惹かれるのか、人の何に反応しているのかについて考察をしたいと思う。 本題に入る前に、今読んでいる本について少し触れておく。ついこの前に書店で、『ありのままのイメージ:スナップ美学と日本写真史(甲斐義明, 東京大学出版会, 2021)』という本を見つけ、購入した。この本は、スナ

          写真の中での「人」の存在

          地蔵尊を撮ってみる 2

          最近、『写真との対話、そして写真から/写真へ』(森山大道, 青弓社, 2006)を読み進めている。この本では、著者である森山大道が、撮影するなかで感じたことや訪れた場所で感じたことなどを書き記したもの(これらは別の雑誌で連載されていたものらしい)が纏められている。撮影で感じたことは写真の中に文字にならない形で記録されているのであるが、これをあえて言語化していくことは割と面白かったりする。 さて、今回の記事は、過去回『地蔵尊を撮ってみる』の続きである。地蔵尊についてや、それを

          地蔵尊を撮ってみる 2

          コロナ禍でみる自分と写真

           先日、「自分にとっての写真って何なんだろう。」と考えることがあった。色々考える中、ふとコロナ禍のことを思い出した。未曾有のウイルスに翻弄された奇妙な数年間、あたりまえでなかった数年間を乗り越えるのに、写真が自分にとって大きな支えになっていたような気がしたのだ。  この記事では、コロナ禍の中、写真とどう付き合っていたのかを検証しつつ、あの頃を振り返っていこうと思う(もしかしらシリーズ化するかも)。 ・コロナ禍初期にみる自分と写真 2020年の4月、大学2年生に進級したての

          コロナ禍でみる自分と写真

          地蔵尊を撮ってみる

           最近スナップ写真の一環として、新しく、地蔵尊を撮るシリーズを始めた。今回はこのシリーズを始めたきっかけと、現在の進捗等をまとめたいと思う。 ・地蔵尊を知ったきっかけ  普段、私は京都の街中をカメラをもってぶらぶらと散歩しているのだが、そのなかでふと気になった、「京都の町って至る所に祠があるなぁ」と。何の祠か当時は知らず、見かける度にサクッと撮っていた。  ある日の午後、用事を済ませた後に街をぶらついていると、1つの祠が目に止まった(写真1)。その日は授業の一環で、茶道資料

          地蔵尊を撮ってみる

          KOMATSU流スナップ写真

           スナップ撮影をはじめてからどれくらい経っただろうか。スナップ写真機であるFUJIFILM X100Vを購入したのが、2021年の9月だったので、そこから計算すると2年近くになる。FUJIFILM X-Pro3を購入した2022年10月からは、スナップ撮影に特に集中していた。とにかく、この2年という節目において、自分の中での「スナップ写真とは何か」を整理しておきたいと思う。 ・感ずるがままに写真を撮る  「スナップ写真」と聞いた時、あなたはどのような写真を思い浮かべるだろう

          KOMATSU流スナップ写真

          流浪写真論

           私がnoteで記事を載せる理由は2つある。1つ目は「自分の写真に対する考えをまとめたいから」である。写真を初めてはや5年目に突入したが、当初はあまり見えなかった写真に対して意見する自分が出てきた。これを是非とも文章で残しておきたいのである。『自己信頼』という本の中でお気に入りの一節がある。 ここで書いた考えが世間と違っている、あるいは自分の中で変わっていくことは私にとってはさほど問題ではない。とにかく表明していくことが大切である。せっかくなので写真そのものだけでなく、思想

          流浪写真論

          フレームって不思議だ

           インスタグラムに写真を投稿する時には、写真の周りに白枠を付けて投稿するようにしている。インスタグラムは1回の投稿で10枚の写真を添付することができるのだが、縦写真と横写真を混在して投稿することができない(サイズを統一しなければならない)。その為、写真に白い枠をつけることで全てのサイズを正方形に落とし込むことができ、1回の投稿に縦横写真を混在させることができる(写真1,2)。  このようにサイズを統一するという役割もあるのだが、白枠に囲まれた写真はそうでない写真に比べて少し

          フレームって不思議だ

          絶景飽和時代

          ※今回の記事は少し攻撃的な内容になっています。 最近思うのが、もうSNSでは絶景写真の飽和が来ているのではないかということだ。綺麗な星景写真も、海外の絶景も、極地など秘境の写真も毎日何件も見かける。自分の感度が低いのもあるかもしれないが、こんなにも絶景写真が手軽に見れてしまうと正直もう感動しない。いかにその写真が凄くてもだ。  タイムライン上で投稿を閲覧するなら尚更で、一瞬目に止まっても、すぐに別の投稿が目に入ってくる。つまり、絶景写真をみた後に、すぐに別の絶景写真に目がい

          絶景飽和時代

          京都国際写真祭を巡る5-やはり自身の世界観を大切にするべきだ-

           京都国際写真祭は5/14で閉幕した。全ての会場を巡ることはできなかったが、とても良い刺激を受けることができた。最終回のこの記事では『京都国際写真祭を巡る』シリーズの総括をする。  第一弾で書いたように、当初この写真祭を巡るつもりはなかった。圧倒的なものを見てしまうと、自分が小さい存在に感じ、萎えてしまうのが怖かったからだ。しかし、今回巡ってみて感じたのはこれとは全く逆で、むしろ自分の背中を押された気がした。  これまでシリーズの中で紹介した展示の他にもいくつか巡ったが、どれ

          京都国際写真祭を巡る5-やはり自身の世界観を大切にするべきだ-

          京都国際写真祭を巡る4-絶対非演出について考える-

           第四弾目のこの記事では、京都芸術センターで展示されていた小池貴之さんの写真を見て感じたことをまとめていく。  展示室を訪れて、部屋の中をぐるっと見回すと名札を下げた一人の男性が目に留まった。名札には作家本人と書かれていた(確かそうだったはず…)。これまで写真展をいくつか回ってきたが、本人が在廊されているのはここが初めてだった。初対面の人に話しかけるのは苦手だが、勇気を出して話しかけてみた。すると写真家さんは丁寧に受け答えをしてくれた。話しかけるのが写真を見る前だったのと、特

          京都国際写真祭を巡る4-絶対非演出について考える-

          帰省概念2-What is homecoming-

           京都から岡山まで新幹線で移動した後は、岡山駅から特急に乗って瀬戸大橋を渡り、丸亀駅を目指す。今回乗車した特急は「南風」で、終点は高知駅である。まずは駅で特急券を購入した。特急を使って帰省するのは久々だったので、券が2枚出てきたのに驚いた。区間料金分と特急券で合計2枚。改札口に2枚同時に入れて通過する。  四国(高知方面)行きの列車が停車する駅ということで、最近の朝ドラで話題の牧野博士の広告がどかーんと掲示されていた。いよいよ地元・高知が近づいてきたと、帰省の実感が湧いてく

          帰省概念2-What is homecoming-