地蔵尊を撮ってみる 2
最近、『写真との対話、そして写真から/写真へ』(森山大道, 青弓社, 2006)を読み進めている。この本では、著者である森山大道が、撮影するなかで感じたことや訪れた場所で感じたことなどを書き記したもの(これらは別の雑誌で連載されていたものらしい)が纏められている。撮影で感じたことは写真の中に文字にならない形で記録されているのであるが、これをあえて言語化していくことは割と面白かったりする。
さて、今回の記事は、過去回『地蔵尊を撮ってみる』の続きである。地蔵尊についてや、それを撮り始めた経緯については前回の記事で言及しているので気になる方は読んで頂けると幸いだ。
現時点で、撮り納めた地蔵尊の数は54個に達している。50個撮ることを一つの目標としていたので、節目を迎えたとも言える。40個ぐらいまでは、地図上に記録しながら、京都の碁盤目に敷かれた道を網羅的に巡っていたのだが、今は散歩中に見かけたら撮るというスタイルになっている。地図を見ながら歩くことは、新しい地蔵尊を機械的・継続的・効率的に発見していく上で非常に優れていた。しかしながら、地蔵尊探しに夢中になるあまり、それ以外のものやシーンに対しての反応が鈍くなるという欠点もあった。ある程度数が撮れた今、地蔵尊に向ける集中力を落としてもいいのかなと考えている。
このようにゆるりと撮影しているわけだが、最近見た地蔵尊の中でインパクトが大きかったものをいくつか紹介しよう。
*おめめぱっちり地蔵尊
これは、鴨川沿いで発見した地蔵尊である。祠が2つ並んでいるが、右側の地蔵尊のお地蔵さんに顔が描かれている。顔が描かれているパターンは初めて見たので、非常に面白いなと思った(イタズラでないことを願う)。
*そっぽ向いてる地蔵尊
この地蔵尊、外見はシンプルでスタンダードなものだが配置が特殊だ。普通地蔵尊は、その正面が道路に面していることがほとんどだが、これはそっぽを向いている。なぜ道路に正面が向いていないのか…謎が残る地蔵尊である。
*壁はまり地蔵尊
「いやいや、待て待て、白壁に地蔵尊がはまってるの良すぎるだろ」と思いながら写真を撮った。一体どのようにしてこの壁にはまることになったのか。地蔵尊と暮らしが共存している。
*ステッカー地蔵尊
これは先斗町と木屋町通を繋ぐ細い路地にあった地蔵尊である。夜中に見つけたということもあって、禍々しさというか、存在感を感じた。ステッカーを貼る事は罰当たりな気もするが、そうは言ってももうどうしようもない状態ではある。
わりと地蔵尊の写真集作成が現実味を帯びてきた…