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地蔵尊を撮ってみる

 最近スナップ写真の一環として、新しく、地蔵尊を撮るシリーズを始めた。今回はこのシリーズを始めたきっかけと、現在の進捗等をまとめたいと思う。

・地蔵尊を知ったきっかけ
 
普段、私は京都の街中をカメラをもってぶらぶらと散歩しているのだが、そのなかでふと気になった、「京都の町って至る所に祠があるなぁ」と。何の祠か当時は知らず、見かける度にサクッと撮っていた。
 ある日の午後、用事を済ませた後に街をぶらついていると、1つの祠が目に止まった(写真1)。その日は授業の一環で、茶道資料館に焼き物の展示を見に行っていたので、花を生けている焼き物に妙に惹かれたのだ。「素敵な花瓶の焼き物だ」とカメラを構えて写真を撮っていると、そばで草むしりをしていたお婆さんに話しかけられた。
「お兄さん、お地蔵さんを撮り歩いてはるんですか?」と。
私は当時、マニアの様に撮り溜めているわけではなかったので、
「いや、撮り歩いてるわけではないですけど、この焼き物が素敵だなと思ったので、写真を撮っていました」と言った。そして続けて、「京都の町には至る所に祠がありますよね?これは何なのですか?」と聞いてみた。
 お婆さんは祠について丁寧に教えてくれた。数ヶ月前の出来事なのでうろ覚えだが、要点をまとめると以下の様になる。

・祠はお地蔵さんを祀ってあり、地蔵尊と呼ばれている
・地域の子どもたちの安全や健やかな成長を願って置かれている
・地蔵尊に関連して、八月の末に地蔵盆と呼ばれる小さなお祭りが地域で行われる
・地蔵尊は町?単位で管理されており、世話役も決まっている(うろ覚え)

お婆さんとは、その後しばし話をして、お礼を言って別れた。実に朗らかで優しいお方だった。

写真1 地蔵尊・焼き物

以上の様な経緯で京都の町なかに見られる祠が、お地蔵さんを祀っているということがわかった。

・撮り集めるぞ!と思ったものの…
 
祠について知識を得た私は、「これを撮り集めたら面白いんじゃないか」と思いつき、街へ出た。ただ、ここで壁にぶつかることになる。
 まず、祠が見つからない。あれだけ見かけていたのに、いざ意識して探しはじめると見つからないのだ。しかも、やっとこさ見つけた祠が柵に覆われているなどして(写真2)、撮ってもつまらなく、気分が下がった。

写真2 柵に囲まれた祠

ただあるものを撮るだけ。何の捻りも加えることができない。そういう写真につまらなさを感じた。さらにいくつも撮るうちに、「これもさっき撮ったやつと一緒やな」と、飽きまで巡ってきて、ついに1日で興味が尽きてしまった。

・もう一度、シリーズ化を試みる
 ある晩、以上の旨を父親に話してみた。父とは以前、一緒に京都の町を歩いたことがあり、父もこの祠が気になっていたという。「まあ、とりあえず撮ってみたら、まずは家の近くからでも。写真楽しみにしてるよ。」と言ってくれた。身近な人が応援してくれるとやる気が湧いてくる。自己満足で撮ることが多いが、他の人から応援されたり、褒められたりすると素直に嬉しい。「楽しみにしているよ」、「あなたの写真好きです」などの言葉は確実に撮る者のエネルギーになる。
 このように父の後押しもあり、再びシリーズ化することに決めた。

・前回の反省を活かして
 前回の二の舞にならないように、いくつかルールを決めて撮ることにした。
 まずは、紙の地図に自分が通ったルートと、祠を見つけた場所を記録することである。前回は闇雲に歩いたのが悪かった。通った場所を可視化する(過程の可視化)ことで、自分の進捗を把握することができ、心が軽くなる。次は別の場所を重点的に…と作戦も立てられるので、闇雲に歩くよりも幾分かマシだ。
 2つ目は淡々と撮ることである。何か工夫を凝らして撮ってやろうと思うことで、逆に自分を苦しめていたので淡々と撮ることにした。祠を見つけるとまずは、正面から撮る(正面から撮れない場合もある)。きちんと水平にカメラを構えて、ピントも前面に合うように、絞りは絞る。こういうルールを作ることで、半ば作業的に撮ることにすれば、例え自分の琴線にあまり触れない祠があっても、撮ることができる。正面から撮れたら次は祠に近づいて、まじまじと見つめる。お供物や祠の形など一通り見て、自分の気に入ったものを撮る。撮影はFUJIFILM X-Pro3で行っている。機材は統一、レンズも同じものを使い、フィルムシュミレーションも一貫して同じもの使う。これが淡々と撮るための工夫である。
 3つ目は、祠だけでなく周りの背景も込みで撮ることだ。こうすることで、記録写真としての役割を強くすることができる。記録写真は、別の時間軸との比較で、「こんなに変化したのか」と感じさせる役割があるが、変わらないものがあることでより変化が強調される。街はゆったりと変化していくので、背景変化は起こるが、祠はそのまま鎮座している。なんてことが起こる可能性は十分ある。
 以上が祠を撮る際のルールである。もちろん、撮らせていただくという立場を忘れずに、礼は欠かさない様にしている。

・先人はいた
 
さて、この地蔵尊、町中に点在するので、どこぞのマニアが撮り、記録しているのではないかと思ったので、『京都 地蔵尊』と調べてみると、京都市内の地蔵尊の位置を写真とともにマップ上に記したサイトが出てきた。地元の人は案外見落としているんじゃないかと思っていたが、甘かった、猛者(もさ)はいたのだ。そのサイトのマップには数百ものピンが立っていた。驚いた。こんなにも地蔵尊はあるのか、と。とても回りきれるものではなかった。もしや私の出番はないのか…と思った。
 しかし、よくみてみると、数年前に記録されたものあり、また、写真も鮮明ではなく、不足している箇所もあった。あとは、誰かが撮っているといっても、自分で歩いて撮ることに意味があると思ったので、撮るのをやめようとは思わなかった。
 完璧に記されたマップだが、これを見てしまうとつまらないので、そっとサイトから立ち去った。

・お気に入りの地蔵尊・祠
 
最初は同じ様に見えた祠も、よくよく見て、比較してみると違いが見えてくるものだ。外見的な違いももちろんなのだが、祀ってあるのが地蔵菩薩だけでなく、大日如来の場合もある。また、子供の安全・成長を祈願するだけでなく、火除けの意味合いもあるらしい。表面だけでなく、一歩踏み込んで見てみると意外と面白いものだ。ここではお気に入りの祠を3つ紹介する。

*着せ地蔵

着せ地蔵

『着せ地蔵』と名付けたこの地蔵は、名前の通り服が着せられていてとても可愛らしい。台座の部分が、卍のマークではなく花柄なのもユニークだ。

着せ地蔵
寄るとこの様な感じ、造花が飾られている。

*スタイリッシュ地蔵尊

スタイリッシュ地蔵尊

この祠を見た時、正直興奮した。「こんなスタイリッシュな祠があっていいのか!?」と。オシャレなマンションの一角に置かれた祠。見事に建物とマッチしていた。マンションを建てる時にどうしても祠は退かすことができないので、設計者がマンションに合う様に作り変えたのではないかと想像する。伝統・文化・歴史をを大切にする京都の真髄を見た様な気がした。

*四ツ目地蔵尊
 『四ツ目』というのも気にはなるが、なんといっても台座が良い。石をガチ、ガチと組み合わせた感じが良い。

四ツ目地蔵尊

以上3つを簡単に紹介した。これらは非常にユニークなものではあるけれど、これまで30近く見てきたが、全く同じものはないような気がする。


どこまで続くかわからないこのシリーズ。いつか写真集を編むことを目指して、50、頑張って100くらいは巡りたいかな…と考えてみたり^^;


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