【読書】 古代憲法 先代旧事本紀大成経伝(二) (先代旧事本紀大成経伝 2)
出版情報
タイトル:古代憲法 先代旧事本紀大成経伝(二) (先代旧事本紀大成経伝 2)
著者:安齋玖仁
出版社 : エー・ティー・オフィス (2016/12/10)
単行本 : 260ページ
またいではいけない
昔の人は「本をまたいではいけない」といった。少なくとも、私のおばあちゃん世代の人たちにとっては、そうだった。それは、多分、どんな本であっても。
子どものころ、住んでいたところには、まだ、たくさん畑が残っていた。私は団地住まいだったけど、友人にはさまざまな子たちがいた。アパートに住んでいる子、戸建てに住んでいる子。それから比較的大きな昔ながらのお家に住んでいる子。テレビの中でしかみたことがないような、長ーい廊下のある家、掘り炬燵のある家。
畑も持っているようなお家のおばあさんが「ああ、教科書をまたいではダメ」と、私たちはやさしく叱られた。母も実の祖母たちも、そんなこといったことなかった。家に帰って母に多分、聞いたと思う。「教科書ってまたいじゃダメなの?」「どの本もダメなのよ、本当は」「なんで?」「大事なことが書いてあるから。大切な知恵が書かれているから。人の頭、またいだりしないでしょ?」「ふーん」。「本は床に直に置いてはいけない」。
昔の人にとっては、本はとても貴重なものだったのだろう。どんな本であっても。きっと古くは本は「経典」に通じるものだった。祖母・母の世代の教科書は国から支給されていた。お上からいただいた大事なもの。教科書はそういう位置付けだったのだろう。
本書は、そういう思い出を彷彿とさせる。聖典。そんな言葉が浮かんでくる。またいではいけない。聖典。
それだけ著者の祈りや魂の進化と共に書かれた書物のように思われる。単なる読者の私が何を断じることもできないわけではあるが。同じ作者に『薫りたつ人』という著作がある。聖典に向き合うには、向き合い続けるには時間がかかる。聖典に向き合うに相応しい人に成長するには。だからこそ、前々作(=『薫りたつ人 其の壱〜其の参』)と前作(=『薫りたつ人 その結』)の間に20年もの間が空いたのでは、などと凡人たる私の、聖なるものへの憧れからくる妄想?想像?は無闇に広がってしまう(私はまだ『薫りたつ人』は読んではいない)。
本書はまたいではいけない聖典であるから、本来は私のような凡人がこんなふうな形で感想を述べるなど、畏れ多いことなのかもしれない。それでも「どうぞ、この智慧が広がっていきますように」「この智慧が広がることによって日本国や世界がよくなりますように」という祈りを共に書かせていただくことにする。
先代旧事本紀と先代旧事本紀大成経
きっとこの二つの違いについても、前作に書かれているのかもしれないが、まだ、読んでいないので、著者 安齋の見解はわからない。以下は、wiki(先代旧事本紀wikiと先代旧事本紀大成経wiki)と歴史研究家 原田実のサイトから私がまとめたものである。
先代旧事本紀は聖徳太子撰 と伝えられる十巻の史書であり、平安時代(9世紀)ごろにはその存在が知られていた。
蘇我馬子などによる序文を持つ。
いくつかの異本(別バージョン)が存在する。それらは三十巻であったり、七十二巻であったりした。
長い間、記紀よりも古い史書として尊重されてきた。
近世になって下記のことから偽書の疑いが出てきた。
太子の時代より後のことも書かれている
太子が敵対したはずの物部系統の話が詳しく載っている
偽書説が決定的になったのは江戸時代初期に異本の一つである先代旧事本紀大成経 七十二巻本が世に出てから。幕府によって禁書の扱いとなる。
禁書の理由は、伊勢神宮の内宮・外宮の秩序を乱す内容だったため
その結果かどうかは不明であるが、本居宣長をはじめとする江戸時代の多くの国学者が偽書であると断じた。
明治時代以降も偽書とされていたが、現在では、先代旧事本紀(十巻のもの)は序文以外の価値については再評価されている。
前出の本書 著者による『薫りたつ人 其の結』のアマゾンでの解説には
とあるので、著者には本書は本当に聖徳太子が書いたのだ、という確信があるのだろう。そして太子に(正確にはその子孫に)弓を引いた蘇我氏による序文ではなく、側近であった秦河勝による序伝のバージョンを底本にしている。そのプロセス全体が尊いもののように感じてしまう。
大避神社に秘された先代旧事本紀大成経
私に五憲法というものが存在する、と教えてくださった人は「大避神社に秘された先代旧事本紀大成経がよい」と言う意味のことを言っておられた。大避神社といえば聖徳太子の側近、秦河勝が祀られている神社だ。その場所は、太子の子孫である上宮皇子たちが蘇我蝦夷によって滅亡した後、秦河勝が帰ってきた故郷でもある。秦河勝であれば、太子の志が痛いほどわかり、「これだけは」と言う思いで持ち帰ったとしても不思議では、ない。
著者 安齋玖仁は、側近秦河勝による大成経序伝をすでに訳している。だから、まだ確認してはいないが、本書が「大避神社に秘された先代旧事本紀大成経」を底本にしていることは大いに期待できると感じている。
本書が参考にしていると、著者が記しているのは、
先代旧事本紀大成経、七十二巻本及び鷦鷯伝(編纂釈義・宮東伯安齋)
先代旧事本紀大成経講義(安房宮源宗著)
金谷治中国思想論集(上・中・下)及び論語(金谷治訳)
黄檗僧と鍋島家の人々 --- 小城の潮音・梅嶺の活躍(佐賀大学地域歴史文化研究センター発行)
禁書聖徳太子五憲法(野澤政直著)
である。現在、先代旧事本紀大成経について手に入りやすいのは、著者 安齋玖仁によるものか、安房宮源宗氏によるもののようである。
先代旧事本紀大成経の中の憲法
いわゆる私たちが学校で学ぶ十七条憲法の初出は日本書紀(720年)なのだそうだ。そんなことすら知らなかった。
先代旧事本紀大成経は前述したとおり、七十二巻の大著であるが、憲法は最後の方にある。
このwikiの記載の中で大事なことは、先代旧事本紀大成経は「神道の教典としての格を備えている」というところである。神道には教典はないとされてきたが、これが本当に聖徳太子の手によるものだとすれば、聖徳太子は「神道とはこういうものである」という教典を用意してくださっていた、ということになる。ただただ、驚くばかりだ…。
五憲法の構成
先代旧事本紀大成経の五憲法は、下記のような構成になっている。通蒙憲法以下はすべて十七条で構成されている。
前文:この憲法ができた経緯などについて述べられている。
通蒙憲法:いわゆる学校で学んだ十七条憲法。
政家憲法:政治家についての憲法。
儒士憲法:儒家についての憲法。
神職憲法:神職についての憲法。
釈氏憲法:僧侶についての憲法。
【前文】
【経緯】
憲法はまず、推古12年(604)に聖徳太子が推古天皇に「近頃はいにしえの頃とは違い人心が荒れてきています。法を作るのはいかがでしょう」と上奏するところから始まる。推古天皇は「それは良い考えなので、早速憲法を作りなさい」とお応えになる。聖徳太子は大臣らと相談して通蒙憲法を上奏する。すると推古天皇は「これは良いものができました。しかしながらこれだけでは足りないので、諸家に対して必要なものを作りなさい」とおっしゃった。そこで聖徳太子は早速四家(政家・儒士・神職・釈氏)に対してそれぞれ憲法を定めた。当時はそれぞれが政治に関わる人々であったからである。
【憲法運用にあたって】
その上で、「政治の基本が学問である。学問とは、儒学、神道、仏教である。そのうちどれか一つに偏るのは良くない。人心や国が割れる元だからである」「私情に走ってはいけない」「法は現実の状況をみて用いることが肝要であり、法の効果がないのは現実の状況によくあっていないからだ」「我が国の基盤は神道だ。儒教はシナで、仏教はインドで興った素晴らしいものであるから、神道と矛盾するならその点を除いて儒教、仏教を取り入れ用いなさい」。
聖徳太子のすごいところは、外国の知恵を深く理解し尽くした上で、良いものは取り入れ、我が国の国柄に合わないものは、取り入れない、と判断しているところだ。和魂洋才は明治維新の専売特許ではない。もし、先代旧事本紀大成経が偽書であれば、偽書でも良い。この判断基準は、大いに参考にすべきところがあるのではないか。以下の諸家憲法で、「何を取り入れ何を取り入れないか」が詳細に説明されている。
以下は報告者による要約であるが、本来であれば、聖典をこのように切り取るようなことは慎むべきである。ただ「この智慧が少しでも広く世の中に広まりますように」という気持ちで書かせていただいた。読者の方はぜひ、本書をお読みになることをお勧めする。
【通蒙憲法】
【概要】と【日本書紀版との相違】
基本的に日本書紀版と同じなのであるが、日本書紀版で第二条に当たるものが、通蒙憲法では第十七条にある。また日本書紀版では「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏と法と僧なり」とあるところが、通蒙憲法では「篤く三法を敬へ。三法とは儒と釈と神なり」となる。
五憲法が推古12年(604)に成立したとすると日本書紀(720)とは約100年の開きがある。その間に何があったのか。時代はグッと降るが江戸時代は儒学が非常に大切にされた印象がある。だが儒学は学問の対象ではあっても、広く庶民の「信仰の対象となった」という印象はない。日本の風土に儒学の信仰は馴染まない、という取捨選択があったのか。
【政家憲法】
【概要】
政治を行うものは私情を捨て、神道に基本を置いて、志を高く持とう。好き嫌いをせず、敵味方をせず、偏らず。
物が平等に行き渡るようにし、経済の流れをよくして心ある政治を行えば、人々の心は落ち着き穏やかになる。人々の暮らしが成り立ってこそ、世の中が平和になる。
やたらに法律を作っても世の中が治まるわけではない。思いやりと真心を持って行う政治だけが世の中の平和を生み出す。取り締まるときは、まず上から取り締まれ。訴訟が起きる時は、上にあるもの富めるものが大抵悪い。貧乏人に心細い思いをさせてはいけない。殖産興業に勤しめ。官僚は横領してはいけない。民は怠けて田畑を荒らしてはいけない。仁にとどまって、私心をなくせ。世の中の平和を願い、人々が豊かに暮らせるようにしよう。礼と音楽を学んで美しい品格を身につけよう。
大王は私心を持って政をするのではない。天津神からおろされた道をまっとうするのである。官僚も同様である。上のものの私欲で、下のものの千の痛みとなる。
儒教、神道、仏教をバランスよく学び深く理解しよう。どれか一つに偏ると、政治が歪み、乱世へとつながるかもしれない。
【儒士憲法】
儒教の基本である五常(=仁・義・礼・智・信)は知るだけでなく、日々行ってこそ理解できる。また五倫(=父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信)は人の道である。儒教を学ぶ前に、人の和を学ぶべきである。儒家は広く深く物事の知識がなければならない。古典には目もくれず、流行の目新しい理論や形式を学問だと勘違いしてはいけない。古典を学んで、教えの本質を極めよう。儒学を学ぶ前に、我が国古来の道の中に儒がすでにあることをわきまえて、我が国の国柄を理解しよう。
経典「大学」を講ずるにあたって、君主でないものが天下国家をいかに収めるか論じてはならない。大臣や公家でないものが国の治め方を説いてはならない。了見違いを起こして、天下を取ろうとするやもしれぬ。我が国の法は、そのような身勝手な欲をなくし、邪道をなくすものである。
孔子は、この世の不思議や不可解については述べていない。忠孝を始めとした人の生き方を説いた。これはシナの国柄にはあっていたが、我が国の場合は違う。神は我が国の徳の根源である。怪は目に見えない働きが顕れたものであり、怪を不合理と排除すれば神の徳もまた排除することになってしまう。こんなことは我が国においては罪人のすることである。
儒学の知識を得ても、先人を批判することを学問だと思い違いしているものがある。しかし古の聖人たちもさらに先人たちから学べるものは学んでいる。そうしたものも学ばずに批判をするのは争乱の元となる。
【神職憲法】
神社(大社など)は、世の中や国家や地域を護るためにある。風雨を静め自然の恵みと、災いなきことと、人々の幸いを神に祈るためにある。我が国の基本をなすものである。神職は神を祭るには礼を以て行い、祈るときには神の理にしたがい、信をもって勤めるとき、神の正直と人の信は一つとなり和らいでこの神の道となる。
神の本質は正直に通じ、霊験として顕れ、天を治め地を鎮めるものである。仕える神職は、己の正直さと真心と善なる心を自覚し、絶対にそれを失ってはならない。神の心を我が心として拝み奉らねばならない。ひたすら真面目で愚か者のように信をもって誠実にあることが大事。
神を祀るのは、常々の恵みとご恩に感謝することと災いを祓うことにある。…供物を分けるときには平等に…喜び和やかに行い、怒りや恨み言を謹んで、乱暴や無礼をしてはならない。
特別な霊験がなければ人を神として祀ってはならない。
仏典はインドの神の道、儒文はシナの神の道とは天照大神の託宣である。神儒仏三法ともに学ばねばならない。
【釈氏憲法】
仏道に入るものは、無欲無私で、人と争わず、人と和み合えること。仏道が栄えるも滅びるも僧侶の心がけ次第である。戒律を守り、禅定をし、経典を読み仏道を極めよ。
僧官の階位は、家柄や仏法修行以外の能力によって授けられるものではない。朝廷の権力を頼ったり、学識の高さを誇って、高僧より上座にいるものがいるが、そんなものは俗物である。
仏典を用いて死後どうなるかを説くように。因果応報は、善きことをすれば極楽に行き、悪しければ地獄へ堕ちることの両方を教えよ。僧侶は仏典の通りに説き、私情を入れずに人々を善行へ導かねばならない。
仏典には、天に通じ、神仏に通じ、魔性のものをも静める霊妙なる修法を記録してあり、それが証明となる。霊験を得るには僧は幽地を照らす徳を身につけなければならない。
シナの僧侶は宗派・派閥を作っているが、争いのもとになり、ひいては国の騒乱となりかねない。僧たるものは、大本の無我に入り、争いの原因から離れ、情を断たねばならない。
【条文の表題】
それぞれの条文には、五憲法に共通の表題がついている。その表題ごとに、聖徳太子が解説を書いてくださっている。読み下し文のみが書かれていた。あえて短くまとめると以下のようになるように思う。例として第一条から第七条まで現代語訳させていただいた。未熟な訳ゆえ、本書を直にあたるのが何よりだ。
第一条:琴の和道:琴は楽器であり音楽は心を和らげる。人間関係の基本は和である。
第二条:斗の順道:斗は北斗七星の柄の部分であり、天の采配のこと。人間関係のふさわしい形。
第三条:月の礼道:月には満ち欠けがあり、礼節には分別が必要。礼節によって人間関係が満たされる。
第四条:台の政道:台は天を支える最高位の高官である。政道は王道の大本である。
第五条:鏡の智道:鏡によって物事を明るく照らすように智慧によって世の中を明るく照らす。
第六条:竹の官道:竹には節と空洞があり、それによって強さが保たれている。官僚には、節と空洞と常に変わらぬことと強さが求められている。
第七条:冠の位道:冠とは官位のことである。官位は朝臣の基礎。ひいては皇道の基盤である。
その後は、第八条:契の信道、第九条:龍の謙道、第十条:花の事道、第十一条:日の主道、第十二条:車の司道、第十三条:地の徳道、第十四条:天の公道、第十五条:水の時道、第十六条:籠の品道、第十七条:鼎の法道と続いていく。
ハートをつかまれた条文
いくつかハートを鷲掴みにされた条文がある。その現代語訳部分をかいつまんでご紹介しよう。
【政家憲法】
第十一条:日の主道 反乱の原因は政治が十分に行き届かず、民の暮らしが貧しいことにある。国の政治が滞って民が貧しくなるのは、国の財源を独り占めにしたり、米を横領したりするものがいるからである。そのような私欲に偏った官吏に支配される国よりは、高慢な官吏のいる国の方がましである。私利私欲に走る官吏は富を独占してしまう。豊かさに驕っている時、金は天下を巡り、富む者は楽しい家庭や身内を大切にするために慎みもあり国の制度に従う。しかし金が回ってこない貧しい民は自暴自棄となり、法を恐れる余裕もなく反乱の引き金となるのである。
→→→ これを読んで、緊縮財政を唱えるザイム真理教を思い起こすのは私だけだろうか?財源を独り占めする、とは現代では緊縮財政に相当する(つまり市場に流通する貨幣=宝が消滅すること)。当時は貨幣経済ではなかったが、弥生時代から漢の銭が日本に入っていた。「貨 下って郷扉に流れ」とあるので、部分的には使用されていたか、「貨=宝」となるような物品を指していたのかも知れない。
【政家憲法】
第十六条:籠の品道 国民はまつりごとを敬い尊重し、誠実に裏切ることなきよう、それぞれの生活を行うものである。農民は休みなくよく耕し育み、工は技を使い美しい物づくりに精をだし、商人は荷馬を引いて各地を歩き日々怠けず働くようにし、芸あるものは技を習い磨くことを努め精進し続けている。みな国の決まりに従ってまじめに働けるようにしてやらねばならない。
→→→ これは現代で言えば、それぞれの人が安全に安心して、自らの才能を発揮し暮らしていける社会、とならないだろうか?「国の決まりに従ってまじめに働」いていれば、自ずと豊かになっていく社会。どうだろうか?現代はそういう社会になっているだろうか?(例えば江戸時代の元禄期、昭和の高度成長期はそういう社会だったのかも知れない)
【神職憲法】
第十一条:日の主道 毎年…(各神社はその格式によって)主宰する神の祭儀を行い、神下ろしの儀式を行わねばならない。神懸かる姫が神の御望みを承って伝え、そのお言葉を預かり伝え、終われば神にまた鎮まり坐すよう願うものである。これを怠れば、神ははたらいてくださらず、人々にとって善きことはなくなる。さらに全くやらなければ神は去って天へ帰ってしまわれ、我が国が鎮られることはなくなる。…神が天に帰ってしまわれれば天皇の治世は穏やかではなくなり国力は弱まり貧しくなる。そして異国から攻め来られ、国は侵され人は苦しむこととなる。
→→→ これもなんだか身に覚えがあるような。TOLAND VLOG の二人が行っている祭りは、こうしたことを何とか現代的に甦らせたい、という願いに基づいているように感じられる…。いや、もちろんそれだけではなく、全国各地、なんとか祭りを残そうと努力を重ねておられる方々がたくさんいるのでは、と思う。私自身は情けないことに初詣ぐらいしか、神社にご縁がない。あるいは観光地で訪ねたところ、とか。だから、祭りを催行しようとするご努力、ご尽力には本当に頭がさがる。
【釈氏憲法】
小乗仏教は神を尊ぶことなく仏僧より軽んじ、大丈は尊き神のいることを知りそれを菩薩と称した。我が国は神国であり仏教の大本の神の坐す国である。古仏が学んだ神が坐すところである。小乗の教えは国を治めるにはふさわしくない。仏者はもっぱら大乗に学び、神を尊ばねばならない。
→→→ ここに神仏習合の芽生えが!?小乗仏教は現在は上座部仏教と称されることが多いようだ。何より戒律を尊んだ。大乗仏教は「出家者に限らず在家者を含めた一切の衆生の救済を掲げる仏教宗派の総称」wikiだそうだ。聖徳太子は三経義疏で仏典を講義したとき、世俗の人が僧侶や釈迦に教えを説くという物語と、『法華経』を選んだ。「どんな世俗の職業に従事しようと、みな仏法を実現するためのもので、山の中に一人自ら身を清うするのが仏法ではない」「人に仕えることのなかに、「法華経」の真精神がある」ことに注目したのだ(以前の読書感想記事 より)。世俗性と神との共存。聖徳太子は日本での仏教にこの二つを望んだようだ。
著者による明治憲法、現憲法の評価
著者は、明治維新と明治憲法によって、我が国が変節したと述べている。また現行憲法は優れた憲法であり、今後も守っていく必要があるとも。
正直なところ、私はそのようには、思っていない。欧米列強の中で生き延びるために、明治維新も明治憲法も必要なものであったと思っているし、現行憲法はそもそもいろいろな前提が歪んでいて倒錯した憲法であると思っている。
そのように結論が違うのは、一つは私がまだ、古代憲法や先代旧事本紀大成経についての学び、人としての学びが圧倒的に未熟であろうこと、一つはきっと現状認識の違いではないか、と思っている。
それはそれとして、本書は優れた五憲法の解説書であり、五憲法そのものも学ぶに値する優れた憲法であることは間違いない。
またいではいけない聖典なのだという思いに変わりはない。
まとめにかわって
著者 安齋玖仁の「古代憲法」を通じて五憲法を学んだ。
私の印象として、聖徳太子は、政治家には無私無欲であることと公正であること、儒家には五常(=仁・義・礼・智・信)と五倫(=父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信)を、神職には無私無欲となり、ある意味神を降す器となることと幸福への祈りと災いへの祓いを、僧侶には死後の世界(地獄極楽)を説くことと霊験を顕すことを、それぞれ望んでいる。神道を我が国の基本とし、儒家には人間関係のことばかり説かずに鬼神も尊重せよ、とか、僧侶にはある種の人心掌握のための地獄極楽の説法、我が国の神が望んだ上で経典を唱えても出しゃばりすぎないようになど、我が国の国柄を壊さずに外国の知恵を取り入れていくために、非常に工夫をしている印象がある。こうした姿勢がまさに現代に求められているのではないだろうか?
五憲法の真偽はさておき、このような姿勢や、描かれている叡智そのものから、現代の我々にも学ぶものがありように感じられるのだが、みなさまはいかがだろうか?
引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。
おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために
ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。
本書著者による本
『先代旧事本紀』と『大成経』
『大成経』は偽書であるという観点で論じている。
私の現行憲法観
✨記事執筆のために有意義に使わせていただきます✨