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中村佳文『日本の恋歌とクリスマスー短歌とJ-pop』(新典社)
クリスマスをテーマに1980年代のJポップと短歌について論じた本。Jポップの歌詞と短歌に共通する語彙からその心性の類似まで考察している。特にクリスマスにテーマを絞って論じているので、歌詞と短歌の話だけでなく、日本でのクリスマスの受容についての文化論にもなっている。1980年代のクリスマスが主眼なのだが、そこへ行くまでの受容歴とその後の文化の変容が語られている。短歌を超えての面白さがあった。
サブテーマとして「待つ」ということと「旅」が底流している。「待つ」ことを恋愛の基底にして「万葉集」の歌を読み解いた章、「旅」をキーワードに若山牧水の短歌を読み解いた章も合わせて、日本の歌を考察している。
牧水の持つ青春性とロマン性は古歌にもJポップにも通じるものがあると感じた。
(以下は筆者の覚書である。)
〈奈良時代に編纂された『万葉集』においては、大きく「相聞」(恋歌)「挽歌」(死を悼む歌)「雑歌」(前に分類に含まれない歌)の三分類が既に編纂上で意識されている。平安時代になり、初めて天皇の勅命で編纂された『古今和歌集』では、「四季」と「恋」が大きな二大テーマとなっている。〉P49 第二章「身もこがれつつ」
このように基本が押さえられるのもこの本の長所。短歌を長年やっていても和歌の基本的知識は曖昧だったりするものだ。
〈「待つ恋」に恋人たちは慣れていたからだろうか?関越自動車道の渋滞もチェーン脱着もリフトの混雑もものともせず、あくまで「おしゃれなレジャー」をどんなに「待って」でも敢行した。この難行苦行のスキーに代表されるように、1980年代の恋人たちは「苦難をともにする」体験を共有できた。〉P81 第三章「クリスマスだからじゃない」
世代的共感を以て思わずにやりとした。関東の事情が書かれているが、関西でも似たようなものだった。どうしてあんな狂瀾が起こり得たのか今から考えると不思議だ。あの時代のスキーはほとんど修行のようなものだった。そしてスキーが流行らなくなる時代が来るなんて、一秒たりとも思ったことはなかったのだが。
〈この【J-pop+映画】という組み合わせが、前述した【山下達郎「クリスマス・イブ』+CM】と同様に、当時の大衆の心を幻想の彼方へと焦点させていく結果となった。〉P83 第三章「クリスマスだからじゃない」
「幻想」という言葉が言い得て妙。スキー同様、何か大衆レベルでの催眠術にかかっていたかのようだった。
〈「接吻(せっぷん)」という漢語は元来中国由来であり、江戸後期に蘭語の訳語として姿を見せ、明治期に入ると「kiss」の翻訳語として定着したとされている。〉P107 第三章「クリスマスだからじゃない」
こういった語の由来の話が大好きだ。元々漢語としてあった言葉も明治の造語乱造の時代には新たな意味を帯びて使われることが多かった。これもその一つ。具体例を一つでも多く知るのがうれしい。
〈一見、日本古来の用語のようであるが、「恋愛」という語が使用されるようになったのは明治時代初期のことである。〉P119 第四章「日本の恋歌とクリスマス」
これも上同様に好きな話題。「恋愛」は明治初年から使われ始め、明治22年ごろから他の訳語より優勢になったらしい。明治以前には、まずその観念が無かったと思う。
〈昨今、「コンセンサス」「エビデンス」などの英語を単語次元で挿入し、政治家が会見などで答弁する光景をよく耳にするが、これはそのまま「合意」「証拠」という漢語に置き換えることができる。(…)明治時代の漢語翻訳という文化的な営為の賞味期限が切れたのか、「国際化」などという名のもとに日本語の溶解が生じていることに自覚的になるべきだろう。〉P120 第四章「日本の恋歌とクリスマス」
この本で一番共感したのはここ。漢語翻訳の「賞味期限が切れた」というのは私の『キマイラ文語』の主張にも共通していてうれしい。漢語に置き換える努力もしなくなった時代が訪れたのだ。
〈ここで確認しておきたいのは、個々人の「誕生日」が「クリスマス」と同様に明治以降に社会に根を下ろし出すという事実である。〉P122 第四章「日本の恋歌とクリスマス」
クリスマスはすぐ分かることだが、誕生日もそうだったとは。
〈ケーキを買い蠟燭を立てて灯を点し、そこにいる人々で歌を唄って灯を吹き消す。これが「クリスマス・イブ」と「誕生日」で共通するほぼ定番な日本の風景であることを、ほとんど疑いなく私たちは受け入れている。〉P123第四章「日本の恋歌とクリスマス」
確かにクリスマスも誕生日もケーキに蠟燭を立てて灯を吹き消す。言われてみれば両方そうだ。でも言われるまでは気づかなかった。
〈1900年(明治33)新学制により教科「国語」が制定される。前述した1906年の前夜、明治政府が「国民」統合を進めるための政策の一つとして「国語」が設けられたことに、我々はあらためて意識を向けるべきだろう。〉P125 第四章「日本の恋歌とクリスマス」
「国語」「音楽」「体育」、全て国民皆兵への下準備だったと言える。
〈木下利玄は、国文学者であり歌人の佐佐木信綱に師事し『心の花』同人、その後、志賀直哉や武者小路実篤らとともに『白樺』を創刊、克明な描写、口語的発想、四四調など特異な歌風を完成していった歌人である。〉P129 第四章「日本の恋歌とクリスマス」
木下利玄ももっと読まれてほしい作者だ。改めて「口語的発想」とは何だろう。考えてみたくなった。
新典社 2021.12. 定価:本体1700円+税