
今回の大河は攻めの姿勢だ!
驚いた!まさかの展開です!
道長とまひろが和歌のやり取りをしているのを眺めていたら、急展開ですんなりベッドインです。
兼家ファミリーの陰謀の行方を見守るつもりだったので完全に油断していました。
突然抱きしめただけでなく、情熱的なキス!
なかなかやるな、道長。
「まひろと生きていくこと、それ以外に望みはない」
しかし、まひろは道長を断わり、
「道長さまが政によってこの国を変えていく様を死ぬまで見つめ続けます」
と、ラブシーンはここまでかと思っていたら、なんとそのまま最後までいってしまうとは!
どんなにお互いを思う気持ちが大きくても、まひろと道長は決して結ばれないと思っていただけに、この攻めの展開に固まってしまいました。
でも、月明かりの中での二人のシーンはとても幻想的で美しく、兼家の起死回生の謀もぶっ飛ぶほどの衝撃でした。
今までだったら、抱きしめてセリフを言うだけで終わっていたはずの大河なのに、まさかの濡れ場シーンとは、今回は強気だなぁ。
NHKさん、この「大人の展開」は大丈夫なの?
直秀たちが処刑された理由は?

前回の最大の疑問である直秀(毎熊克哉)を含む散楽メンバーの処刑の理由には何も触れてくれませんでした。
道長が検非違使に「袖の下」を渡して「早めに解き放って手荒なことをするな」という事を言ったはずですが、どうして??
ほそやmさんの記事ではその理由を様々に憶測されています。
散楽の悲劇はなぜ起きたのか?
①若造の道長が袖の下を出したのが気に入らなかったから
②袖の下を「始末しろ」の示唆と感じたから
③右大臣家への生理的嫌悪感が散楽の憎しみに転じたから
④袖の下はまひろを助けたことで使い終わったから
⑤施しを受けた民が集まって命乞いをしたため危険な集団と認識されたから
⑥日頃から散楽からのそしりを不愉快に思っていたから
⑦間違いで道長を捉えたことへの恨みを晴らしたかったから
「はそやmの直秀カムバッア~ク」より
これを熟読して、私は巡り巡って①ではないかと思っていました。
しかし再考してみると②であるかもしれません。
よくよく考えてみたら、現在でも「京ことば」とはその言葉通りに素直に取るとマナー違反となるケースが多く、検非違使側がその裏を読み、忖度してしまった可能性もあります。
同時に道長が捕らえられたまひろをかばったため愛人だと解釈し、口封じのために、
「早めに解き放って手荒なことをするな」を「小細工はしなくていいから、さっさと始末しろ」と取ったのかもしれません。
ハッキリと「殺すな。解き放て」と言えばよかったのか??
この件に関しては後日に必ず明確にしてほしいものです。
喜怒哀楽の激しかった道長

時代考証を担当する倉本一宏氏が、道長の性格を以下のように語られています。
彼は非常に豪胆でありながら繊細、勇気があって小心、傲慢かつ親切、すぐに怒るけど涙もろい、という人間の矛盾を一人で体現しているような人物です。
さらにずっと以前にNHKの「英雄たちの選択」で、MCの磯田道史さんが道長の日記「御堂関白記」について言われたのは、「間違いの訂正に派手な太線で消しているにも関わらず、消しきれていない」と指摘されていて、大胆でいい加減な性格が見えると言われていました。
それらと今回の事を顧みると、
「まひろが好きで仕方がないので、ただ二人だけの世界で生きていきたい」
とは言いますが、それは一時的な感情に過ぎないと思われます。
まひろのセリフにもありましたが、高貴な右大臣家に生まれ育ったおぼっちゃま・道長が、庶民の貧しい暮らしなど出来るわけがない。
豪胆と繊細、小心と大胆、傲慢と親切、怒りやすく涙もろい、両極端の相反する二面性を持つ道長ですから、この時代のはんなりした京の貴族たちに中では珍しい人間だったのかもしれません。
いつの時代にもいますよね。
豊かな感情表現の人が。
どこにスイッチがあるのかわからないタイプの人が。
~直秀のような人が二度と出ないように、
政で世の中を変えて~
このセリフは、今後の道長の人生を大きく左右するものであり、道長を正当化しながら、父の兼家や兄の道隆とも違う道長の政治を行うための重要なポイントになるはずです。
兼家と詮子の謀略

腹違いの兄弟・道綱(上地雄輔)までもが加わったファミリー総出の謀略が成功しました。
安倍晴明(ユースケサンタマリア)とは悪の名コンビですね。
最初っから、天皇家の凶事は全てこの二人の仕業のようになっています。
そして兼家(段田安則)が道長に告げた事も、ぬかりのない計画でした。
「この計画が失敗に終わったら、お前は『知らなかった』で通し、この家を継ぐのだ。」
このセリフは、タダでは転ばない兼家のしぶとさが全開でした。
そして父の兼家そっくりの詮子(吉田羊)がさらりと言ったセリフ。
「道長は源倫子様(黒木華)と源明子様(瀧内公美)の両方を妻にすればいいわ。」
実家の父・兼家を嫌っている詮子は、源家との繋がりも強固にしようとする彼女なりの計画を、お気に入りの弟・道長に担って欲しいと告げるのですが、当の道長の表情は冴えません。
しかし実際にはその通りになるのだから、兼家も詮子も大したものです。
道長の逆玉計画
源倫子の父・雅信(益岡徹)は左大臣という家柄だけでなく、59代・宇多天皇の第8皇子敦実親王の三男であり、天皇直系の家系でもあります。
片や初登場した源明子は叔父が60代・醍醐天皇の第15皇子・盛明親王という、こちらも天皇家の血を引く姫君です。
ただ倫子の父は現役の左大臣なのに対して、明子の父の源高明は安和の変で失脚したため、盛明親王の養女となったものの、後ろ盾が居ない不利な状態でした。
藤原氏は高貴とはいえ、先祖代々天皇家に仕える立場の家柄で、主君の血筋から2人も妻を迎える事は、道長の出世には大きく関わってくるのです。
倫子と明子、倫子が先に道長の妻になったというのが一般的ですが、実は定かではなく、明子が先だという説もあります。
だとしたら、倫子が嫡妻となっているのは、現役左大臣の父・雅信の力によるところが大きく、さらには、それぞれが産んだ子供たちの序列もおのずと差が付くのです。
後々の事を思うと、この逆玉人生に導いてくれた詮子には感謝すべきですね。
あ、そういや兼家も同じこと言っていました!
やっぱり似たもの父娘です。
偽装結婚か?

道長の結婚は完全に家のための逆玉婚ですが、紫式部・まひろはどうでしょう?
藤原宣孝(佐々木蔵之介)は道長との関係を知りながら、まひろを妻にするのでしょうか?
だとしたら、なかなかの度量を持った人物です。
と、言いたいところですが、宣孝にはすでに正妻が居ましたので、まひろは愛妾でした。
ドラマでは、宣孝は遠い親戚でいつも一家を気遣ってくれる、気の良いおじさん的存在です。
以前にも道長と町中で話しているところを目撃し、まひろを家まで送り届けていました。
きっとあれはネタ振りだったのでしょう。
今後、おそらく宣孝は二人の関係を何らかの形で察知し、その上でまひろを妻にするのではないかと思います。
そして、まひろも道長を思いながらも、自分の気持ちをカモフラージュするかの如く宣孝のものになるのではないでしょうか。
まひろと宣孝、生年がわからないため明確な年の差は分かりませんが、そらく約20歳ほどの差はあったようです。
実際、史実ではあまりにもボヤっとした部分なので詳細は分かりません。
そのあたりを大石さんはどう描くのか楽しみです。
わからないところだけに創作し甲斐があるところでもありますね。
観る側の私たちも、歴史ものという思い込みだけで「あり得ない!」とシャッターをおろす前に、創作ドラマとして楽しんで参りましょう。
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