棚ぼた権力者の道長も、もう好青年ではいられない
越前編が始まり、敦賀の松原客館に到着してすぐに通事の三国若麻呂(安井順平)が殺害されるというショッキングな事件が発生です。
安井順平さん、いつもそこそこの役柄が多いのにこんなに早く退場とは、
不意を衝かれたね~💦
だいたい当地の役人、源光雅や(玉置孝匡)や大野国勝(徳井優)らは、見るからに不穏で、いかにも悪代官の匂いがプンプンしています。
おそらく捕らえられた朱仁聡(浩歌)は犯人ではないでしょう。
周明(松下浩平)の正体もまだまだ不明ですね。
宋人だと思っていたら、流暢な日本語を話すし、何かと伏線の多い越前編のスタートとなりました。
だいたい周明との出会いのシーン、川と海の違いはあれど、「水辺」であることで、道長との出会いの時と妙に重なりましたが、これからこの二人に、何か起きる事を匂わせているのか?
堅物の父・為時(岸谷吾郎)とそれを補佐するまひろの親子コンビが、現地の人から歓迎されているのか、いないのか、まだよくわからない状態ですが、どのように事態を収拾していくのか見ものですね。
定子のための「枕草子」
ここで定子(高畑充希)と清少納言(ファーストサマーウイカ)との絆を語らずにはいられないので、ちょっと話を戻します。
少し前に放送されたNHK歴史探偵の「春はあけぼの」から引用して、改めて定子の素晴らしさに惚れ込んだ清少納言との関係に触れてみたいと思います。
定子は聡明さと活発さと教養とを十二分に持つ后でありながら、なぜここまで不幸にならなければいけないのでしょう?
彼女自身は何もしていないのに、身内から出たちょっとした綻びは、あっという間に大きく広がってしまいました。
ただ一つの救いは一条帝(塩野瑛久)の寵愛だけは変わらなかった事です。
教養センスあふれる定子サロン
定子と清少納言を深く結びつけたのは「文学」でした。
4月21日放送の第16回での二人のやりとりを憶えていますか?
「香炉峰の雪は、いかがであろうか」
と定子が問いかけると、清少納言がハッとなって中庭側の御簾を開けさせるシーンがありました。
見ている私は正直なところ「は?」となりましたが、調べてみると唐の詩人・白居易の漢詩にあるエピソードなのです。
香炉峰とは同じような高さの2つの峰の稜線が、道教寺院の「大香炉」の底の形に似ている峰の事です。
この問いかけに清少納言がどう答えるかを、定子は試したのでしょう。
ところが膨大な知識の中からこの一節を探り当て、御簾を巻き上げさせた清少納言の気転には定子も嬉しくて仕方がなかったのではないでしょうか。
また、定子没落の起因となった兄の伊周(三浦翔平)との、ある雪の日のやり取りがまたおしゃれなのです。
定子:雪で道もないのに、どうしていらっしゃったのですか?
伊周:こんな日に来るからこそ真心があると思われたくて。
実はこのやりとりは「拾遺集」の平兼盛の歌を引用したもの。
山里は雪降り積みて道もなし
今日来ん人をあはれとは見ん
定子がこの歌の上の句を引用して問いかけると、伊周は即座にその下の句で答えたというもので、容姿端麗な兄妹の美しいやりとりを清少納言は傍で見聞きしてウットリしていたはずです。
これらのやりとりを何の引用かすぐに理解し、その奥深さとセンスに気付く清少納言の教養の深さにも関心せずにはいられません。
定子あっての清少納言、清少納言あっての定子。
この二人は主従を超えた阿吽の呼吸で響き合うものをお互いに感じ合える見事な関係にありました。
そういえば、伊周を交えて一条帝らと楽しく雪遊びをしたシーンを振り返ると、現状はあまりにも胸が痛みます。
そんな定子の全盛から没落までを間近で見た清少納言が、定子本来の素晴らしさを伝えるために綴ったのが「枕草子」でした。
春はあけぼの
「をかし」の文学
この当時「春」といえば、「梅」「桜」「鶯」などが定番だったのに、序文から「あけぼの」であると言い切ったのは、かなり斬新でした。
春はあけぼの
やうやう白くなりゆく山ぎは
紫だちたる雲の
細くたなびきたる
あまりにも有名な序文の一節ですが、
「紫の雲」を読み解くと、紫は天皇家カラーであり天子のこと。
清少納言にとってはそれはまさしく定子の事で、一日の始まりに天子(定子)の姿を見ると活力がみなぎって元気になれる様子を表しているのでしょうか?
「歴史探偵」の調査によると「枕草子」の十万字を超える文字の中から、最も多く使われていたワードは「をかし」で、次に「めでたし」でした。
現代風に言うと「素敵」に該当し、とにかく定子の言うこと成すことの全てを「をかし」と褒めたたえているのです。
漢詩や和歌を引用した会話も「をかし」。
紅梅色のグラーデーションの衣装も「をかし」あるいは「めでたし」。
定子の言葉からその生活全般に至るまでの全てを夢を見るように眺め続け、褒めたたえた随筆が「枕草子」であり、紫式部の「源氏物語」とともに日本の中古文学の最高傑作となっています。
「枕草子」誕生の描写は、書かれた紙の上に桜の花びら、蛍の光、落葉が舞い、思わず画面にくぎ付けになる程の美しさで、大河史に残る究極の映像美だったと言い切れます。
紫式部がコケにしたのなぜ?
ひとつ不思議なのですが、紫式部(まひろ)が自身の日記でこの「枕草子」と清少納言をディスっていることです。
今年最初の大河の感想記事でも触れましたが、「清少納言は賢いアピールしているだけで知識もない薄っぺらな人間」だと貶しまくっています。
はて? (朝ドラ風に)
物語上の二人の関係を見ていると、この先まひろが痛烈な批判を残すなど考えられないのですが、こんな事を書くことになった経緯はどのようなものなのでしょうか?
もしかして道長の指示なのか?
定子を徹底的に払い落とす
後ろ盾のない哀れな定子
病のため亡くなった高階貴子(板谷由夏)を弔問した道長は、定子から一条帝の子を身籠ったと明かされ、
「左大臣殿、どうか、どうかこの子を、あなたの力で守ってください。私はどうなってもよいのです。されど、この子だけは…」
と涙ながらに縋っているのをみると、つくづく父の死や兄の失脚により実家が絶えてしまったという過酷な現状を見せつけられるようでした。
本当は頼りたくない、だけど、一か八か縋るしかなかった定子の切羽詰まった気持ちが哀れでした。
一応は叔父さんだしね💦
ところが、道長は一条天皇にこれを報告するも、中宮を内裏に呼び戻すという一条帝の意見に真っ向から反発し、「朝廷のけじめ」をつけるべきだと言い切りました。
確かに、自ら髪を下して出家した中宮ですから。
あの目まぐるしい状況下では突発的な行動に出たのは仕方がなかったとはいえ、後になってみれば悔やまれますね。
この事がまだこの先もひびいていきます。
そういえば以前、道長の手引きで定子と一条帝との再会が叶った事がありましたが、その時の自分の甘さを悔やんだのかもしれません。
あるいは彼自身の中に急速に野心が芽生えたのかもしれない。
肩書きよりも実を取る
そもそも自分が家を継ぐなんて思ってもみなかった道長は、のんびりした欲のない三男坊(実際には五男)で純粋な好青年でした。
ところが、兄たちが相次いで亡くなり、まったく予期しなかった「権力」が道長の手中に勝手に転がり込んできました。
そして道長が留まった「内覧」という職務は、
天皇への奏上と忠告、
公卿会議の進行役、
という大まかに2つの重要な立場を兼ねたものであり、公卿会議に出ない関白より、同等権力を得ながら左大臣という公卿の筆頭として、会議内で直接の発言権を持つことを望みました。
道長は肩書きより物言える「実」を取ったことになります。
これは今まで、父や兄の摂関政治を見て、何が一番大事かのポイントを絞り十分に理解した言動であり、ただ末っ子として、ぼーっとしていただけではなかったのですね。
無敵のスーパー道長くん
さて、ここからですよ!
道長にとって一条天皇から寵愛を受け続けている定子が邪魔で仕方がありません。
今の時点でお腹にいる子は男子ではなかったのですが、このまま定子を帝が呼び戻したら、いつ皇子が誕生するかもわかりません。
その心配通り、次に皇子が生まれてしまうのです。
これから道長は権力保持のために着々と手を打っていきます。
・娘・彰子を12歳で入内、前代未聞の「一帝二后」
あれだけ娘は入内させないと言っていたのに、もう我欲の暴走は止められず、かつて兄の道隆がとった定子の入内以上の強引手段。
・定子の第2子(皇子)誕生時の嫌がらせ
出産のために平生昌の邸宅へと向かう日に、わざと他の公卿らを招いて宇治遊覧を開催している。定子の行啓はとても寂しいものになった。
奇しくも、彰子入内の日に定子は第一皇子を出産。
・彰子が産んだ敦成親王を皇太子に
一条天皇の第一皇子は定子が産んだ敦康親王なのに、それを差し置いて働きかける。これもまた異例のこと。
それとは別に私の想像ですが、上記の「枕草子」に対抗して、まひろに「源氏物語」の続編を書かせ、しかも清少納言をディスらせた。
理由としては、彰子サロンができてから過去の定子サロンを懐かしむ声が宮中で広まったのかもしれません。
一条天皇は定子が産んだ皇子に皇位を継がせたかったし、前例を考えたら道長のしたことはかなりの奇策であり強引な手段。
定子が、いったん出家したことで、公卿も表立って賛成はできなかった?
しかし、まわりの公卿もそれどころか天皇でさえ、道長の顔色を伺うほど、絶対権力をすでに握っていたことは間違いありません。
私は色恋沙汰よりも、この道長(柄本佑)の変貌ぶりが一番見たい!
もうキレイごとばかり言ってはいられないはずですし、まさかこの期に及んで美化されては残念過ぎます。
このあたりの脚本が、どうか期待を裏切らないものであって欲しいです。
【参考文献】
・NHK歴史探偵「春はあけぼの」の真実
・をしへて! 佐多芳彦さん
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