miso

徒然なるままに 20代後半。夫と2人暮らし。旅行、甘いものが好き。

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徒然なるままに 20代後半。夫と2人暮らし。旅行、甘いものが好き。

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私は夫に恋をしている

夫と出会って8年が経った。付き合いはじめてからは5年半。結婚して1年半。 夫と一緒に過ごすようになって、私はまるっきり変わった。 一言で言ってしまえば、夫は私に愛を教えてくれた。 夫と付き合い始める前、私はどうしようもなく自己肯定感が低い人間だった。 仮に私が死んでも誰も悲しまない、と本気で思っていた。 ろくな恋愛もしたことがなかった。誰かに愛されるなんて自分とは無縁の話としか思えなかったからだ。 だから誰のことも好きになるまいと思って生きてきた。 いいな、と思う人がい

    • 友達が妊娠した

      大好きな友達が妊娠した。 素晴らしく嬉しいことだ。 でも少し寂しくも感じてしまった。 友達は母になる。 なんとなく、ちょっと遠くに行ってしまったようだ。 私自身は、いつかは子どもが欲しいと思っている。 そのことについては、夫とも話していて、でもまだ先だねとふたりで決めている。 結婚して以降、かなり強く子どもが欲しいと思っていた時期もあったけど、今はまだ先にしたいと思っている。 今はまだ、私自身と、大好きな夫のための時間を過ごしたい。 先に綴った寂しさは、夫婦2人で過ごす

      • ちょっとずつ鬱ぬけ(3)好きなことを好きと言う

        仕事に行けなくなって、8ヶ月経った。 今はかなり元気だ、と思う。鬱とは最近会ってない。 やっと、ようやく、好きなことを好きと言えるようになった。 やりたいことをやりたいと言えるようになった。 心の中に閉じ込めないで、誰か聞いていようが、聞いていまいが、口に出して、自分の外に出すことが、できるようになってきた。 私はただ怖かった。 私の好きなものや好きなことを、誰かに何か言われるのが怖かった。 それで誰かが離れていってしまうのが怖かった。 今でもちょっと怖い。 でも怖がって

        • 「ロマンスドール」を観た

          モヤモヤすることがあって、それはもう何度向き合っても解決の糸口が見えないから、いったん目を逸らそうと思って映画を観ることにした。 前々からちょっと気になってた「ロマンスドール」を選んだ。 (ネタバレするつもりはないですが、内容に関する記述をするので承知の上で読んでください。) 泣くつもりで観たわけじゃなかったけど、かなり泣いた。 とにかく蒼井優がかわいくて美しくて、高橋一生の不器用で優しい主人公の演技も素晴らしかった。 内容としては、夫婦を考えさせられる作品だった。 夫婦っ

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        私は夫に恋をしている

          生きていた記憶

          父は私が高校生の時に亡くなった。 まだ50手前で、私たち兄弟は3人とも生徒と呼ばれる歳だった。 癌だった。見つかった時にはもう転移が進んでいて、手術もできない状態だったと聞いている。 父は、また仕事に行きたいと言って、抗がん剤での治療を受けていたが、とにかく病気を見つけるのが遅すぎたのだと思う。 父がいなくなって、私は、もう父に会えないという悲しみと、母と子3人でこれからどうやって生きていけばいいのだろうという不安に押しつぶされていた。 それでもどうにか、と言うか、想像して

          生きていた記憶

          夫にラブレターを贈る

          久しぶりに夫宛ての手紙を書いた。 遠距離恋愛をしていた頃は、記念日や誕生日に手紙を送ったし、彼も送ってくれた。 お世辞にも綺麗とは言えない文字で宛名を書いた、可愛らしい封筒がポストに届くのが嬉しかった。 一緒に暮らし始めてからは、毎日顔を合わせるし、1人の時間も少なくなって、わざわざ手紙を書くことはほとんどなくなった。 しかし、久しぶりに気持ちを文字に書きたくなったので、便箋を引っ張り出してきた。 書き上がってから、渡そうかどうか、かなり迷ってしまった。 何を書くか決めずに

          夫にラブレターを贈る

          強い人になりたかった

          大人になれば、自分で稼げば、自由になれると信じていた。 出来るだけ自由で、強くなれるように、出来うる最大の力で勉強した。 はやく一人で生きられるようになりたかった。 社会人になりたての頃の私は自由だった。 仕事は最初大変だったけど、ある程度慣れてきたら、周りにも認められて、大先輩ばかりの部署で好きにやっていた。 給料がとりわけ良いわけではなかったけど、気の合う母と二人暮らしの実家からは出ずに、お金と時間はすべて自分のために使った。 大好きな人と結婚を決めて、周りのみんなに

          強い人になりたかった

          2021年を生き抜いた私へ

          今年を一言でまとめると、しんどかった。 こんな言葉でまとめるのは悲しいことだけれど。 仕事をして社会の役に立ちたいと昔からずっと思っていて、やっと社会人にも慣れてきたのに、涙が止まらなくて仕事に行けなくなった。 仕事に行けない自分が不甲斐なくて、でも人と顔を合わせることが苦しくて、身体はしんどくて、どうにも出来なかった。 大好きな夫にすら、自分の今の状況や気持ちを上手く話せなかった。伝えたいことはたくさんあるのに、言葉が出てこない。 適応障害と言われていたのが、ほとんど鬱だ

          2021年を生き抜いた私へ

          結婚したから幸せだと思い込んでいた

          2年と少し前に大好きな人と結婚した。 その頃はまだコロナウィルスなんて言葉はなくて、結婚式にはたくさんの友達が来てくれて、私と夫はとびきりのおしゃれをして、世界で一番幸せだなんて思った。 結婚式から少し後に一緒に暮らし始めた。 夫の職場がある土地に、私が引っ越してきた。引っ越すために、結婚式の準備と並行して転職活動をして、新卒から頑張ってきた仕事は辞めた。 3年弱の遠距離恋愛の間、月に一度会えるのが楽しみで仕方なかったし、大好きな彼と過ごす時間は私にとって幸せそのものだっ

          結婚したから幸せだと思い込んでいた

          ちょっとずつ鬱ぬけ(2)「頑張らないこと」を頑張る

          鬱に近い適応障害と診断されて半年ほど、少し調子が良くなってきたので先日から鬱ぬけを記録している。 (私はもともと鬱が軽度だったことや、幸い仕事を辞められたこと、周りの、特に夫の理解や協力などの要素もたくさんあります。) 「頑張らないこと」を頑張るメンタルの調子が悪くなる前から、家族や友人、職場の人からもよく言われたのが、「無理しちゃだめだよ」「もっと気楽にやりなよ」。 私には、この言葉たちの真意がよく分からなかった。 手を抜くと周りに迷惑がかかるじゃないか、と思っていた。

          ちょっとずつ鬱ぬけ(2)「頑張らないこと」を頑張る

          ちょっとずつ鬱ぬけ(1)

          最近元気に過ごせる日が増えてきた。 相変わらず体力はないけど、前向きな気持ちでいられる時間がかなり増えた。 変化について、長くなりそうなので何回かに分けて、記録しておく。 自分の部屋を手に入れた夫と一緒に暮らすために、2年弱前から2LDKの賃貸マンションに住んでいる。 引っ越した当初、これといって深く考えたわけではないが、LDKでない部屋のうちひとつを寝室に、ひとつを2人で共用の部屋にした。 共用の部屋の方は、IKEAで買った本棚にそれぞれ趣味の本やらCDやらを入れて、それ

          ちょっとずつ鬱ぬけ(1)

          実家から出て気がついた実家の暖かさと居心地の悪さ

          実家は大好きだ。 生まれてから、25で夫と一緒に暮らすために家を出るまで、ずっと実家で暮らしていた。 私が小学生の頃は転勤族だったから、何回か引っ越したけど、私が中学生の時に両親がマンションを買ってから、10年以上そこで暮らした。 田舎ながらも生活には便利で、緑も多く、暮らしやすい街だった。 家自体も当時新築のマンションで綺麗だったし、住みやすかった。 だからこそ、通勤通学に毎日3時間かかっても、なんだかんだ一人暮らしを決意するに至らなかった。 仲の悪い兄は大学進学時に家

          実家から出て気がついた実家の暖かさと居心地の悪さ

          自分が幸せになるのが苦しい

          ほとんど鬱だったと思う。 死にたいと言うより、死んだほうが楽だ、と思って包丁を手にした。 結婚するときに母が持たせてくれた、私の名入りの包丁。 こんなことに使うものじゃない、もしこれで私が自殺したら私よりも母の方が苦しむだろう、と思って包丁は置いた。 涙が出た。 私に生きてほしいと望んでいる人がいる。 変わらなければ、と思っている。 このままでは、鬱から逃げられない。 まず初めに、頑張るのをやめようとした。 これが思ったよりずっと難しい。 「ちゃんとしないとダメだ」という

          自分が幸せになるのが苦しい

          1日の終わりを笑顔で

          なんのために生きるのか、という話になった。 私の生きる目標はもうずっと前から同じで、死ぬ瞬間に、 「あ〜楽しかった」 と思うこと。 だから特別長生きしたいとか、お金が欲しいとか、名声が欲しいとか思っていないほうだと思う。(もちろんあれば嬉しいけど、目標ではないかな。) 夫は、 「俺は毎日そう思いたい。毎日、あ〜楽しかった!って思いたい。」 のだそう。 仕事とか家族とかお金とか、ついつい大きなこと考えちゃうけど、結局今日楽しかったらそれでいいか。 あまり先のことをあれやこ

          1日の終わりを笑顔で

          私を救ってくれた言葉(2)

          私は自分が嫌いだった。 今でも完全には好きになれずにいる。 今はもう思わないけど、以前は、 もし私がもっと明るい性格だったら、 とか もし私がもっとかわいければ、 とか思った。 そしたらもっと上手に生きられるのかな。 たらればから解放してくれたのは夫だ。 当時彼氏だった夫、私は彼に見合う女性になりたくて、 彼に捨てられない女でいたくて、必死だった。 それこそ嫌われそうな言動だが、 あれができない、あんな風になれないと投げやりに話す私に、 彼は、 「そのままでいいよ。その

          私を救ってくれた言葉(2)

          「〇〇したほうがいい」という呪縛

          私は石橋を叩いて渡るタイプだ。 受験も就職試験もめちゃくちゃ勉強した。 大学においても、卒業に必要なぶんよりかなり余裕がある単位スケジュールを組んだ。 もっと日常的にも、明日は雨だから今日のうちに洗濯しておいたほうがいい、とか、(頼まれもしないのに)夫の帰宅時間に合わせて食事を作ったほうがいい、とか考えている。 倒れそうなほど疲れている時は後回しにもするが、たいていやったほうがいいことは先にやってしまいたいと思う。 この行動基準は悪くはないのだろうが、問題がいくつかある

          「〇〇したほうがいい」という呪縛