「〇〇したほうがいい」という呪縛
私は石橋を叩いて渡るタイプだ。
受験も就職試験もめちゃくちゃ勉強した。
大学においても、卒業に必要なぶんよりかなり余裕がある単位スケジュールを組んだ。
もっと日常的にも、明日は雨だから今日のうちに洗濯しておいたほうがいい、とか、(頼まれもしないのに)夫の帰宅時間に合わせて食事を作ったほうがいい、とか考えている。
倒れそうなほど疲れている時は後回しにもするが、たいていやったほうがいいことは先にやってしまいたいと思う。
この行動基準は悪くはないのだろうが、問題がいくつかある。
まず、やったほうがいいこと、は無限にある。
最優先のやったほうがいいこと、を終わらせても、2番目にやったほうがいいことが出てくる。その次は3番目、4番目…
いつまで経っても終わらないのだ。
とにかく追われることになる。
そしてやりたいこと、までなかなか辿りつかない。
次に、先読みして動くと、私ばかり頑張っている、と感じることになる。
夫はやりたいことを優先し、やるべきことを後回しにするタイプ。(でもやるべき期限までには終わらせる。)
私のほうが先読みが得意なので、どうしても先に私が動く。
そうすると、どっちがやってもいいことを私ばかりがやっている感覚になる。
そもそも未来なんて予測不能なのだ。
やったほうがいいだろう、は私の経験からの予測でしかない。
実際にやったほうが良かったかどうかは分からない。
やらなくても何とかなったことなど今まで無限にありそうだ。
あの時やっとけば良かったと後悔するのが嫌なのだが、どうしてこんなに怖がりなのかよく分からない。
就職においてもそうだ。
やりたいこと、は確かにあった。
でも追いかけるのをやめた。
(もう辞めるけど)今の職場だって、条件で決めた。
近くに親はおろか、親戚や友達も1人もいない土地に引っ越すにあたり、将来的には子どもが欲しいから、育休がとれる、休みがとりやすい、収入も多くはないが安定した職についた。
今思えば、やりたいこと、は無意識の内に封じ込めていた。
はたから見れば良い選択だったかもしれない。
〇〇したほうがいい、の基準にはピッタリだ。
半ば無理やり探した、その仕事をやりたい理由、は配属の時点で無きものとなった。
私が関わりたかった事業とは全く違う部署に配属された。
やりたい理由が全くないと続けられない、ということを、今回仕事に行けなくなって身に染みて感じた。
最近になってようやく、「〇〇したほうがいいという呪縛」から逃れようともがいている。
未来は予測できない。
生きていくことはそんなに難しいことじゃないはずだ。
しかし、今まで「やったほうがいい」基準を採用してきたからか、私の頭は、自分が心からやりたいことを無意識のうちに封じ込めているらしい。
何をしたいか?がパッと出てこない。
やりたいことをやればいい、と言われても上手く思いつかないし、行動できない。
挙げ句の果てには、私のやりたいことにかかるお金を、夫との生活をより充実させるために、もしくは、いつも私たちを支えてくれる親のために使ったほうがいいのでは?などと思う。
呪縛から逃れるのは時間が必要らしい。
少しずつ変わるしかない。