ちょっとずつ鬱ぬけ(2)「頑張らないこと」を頑張る
鬱に近い適応障害と診断されて半年ほど、少し調子が良くなってきたので先日から鬱ぬけを記録している。
(私はもともと鬱が軽度だったことや、幸い仕事を辞められたこと、周りの、特に夫の理解や協力などの要素もたくさんあります。)
「頑張らないこと」を頑張る
メンタルの調子が悪くなる前から、家族や友人、職場の人からもよく言われたのが、「無理しちゃだめだよ」「もっと気楽にやりなよ」。
私には、この言葉たちの真意がよく分からなかった。
手を抜くと周りに迷惑がかかるじゃないか、と思っていた。
それに頑張ったほうがいい結果が出る可能性が高まるじゃないか、と。
仕事を辞めるとき、尊敬している人に言われた。
「あなたはもう頑張っちゃダメ。休みなさい。例えば数年のんびりしたとして、これからの人生のうちの数年なんてほんの一部よ。」
それからしばらくして、就活に失敗しぷっつり糸が切れてもうダメだとなったとき、はじめて、頑張るのをやめなければ、と思った。
結論から言うと、「頑張らないこと」は簡単ではなかった。
「頑張らないこと」を訓練しなければ、出来なかった。
頑張ったほうが良くなることが分かっていても、頑張らないこと。
どうせ後からやらなければならない洗濯、掃除、食器の片付けを後回しにすること。
冷蔵庫のしなびた野菜を放っておくこと。
そこにあるものを見ないふりをすることは可能だが、見えるものを見えなくするのは不可能である。
だから、シンクに溜まった食器は目についたら気になってしまう。溜まった洗濯物も。
でも、気になっても放っておく。気持ち的にはちょっと無理して、放っておく。
一番大事なことは、頑張っていない自分を責めないこと。
たとえ仕事に行っていなくても、今日一日寝るかスマホ触るかだけだったとしても、絶対に責めないこと。
仕事を辞めた直後、私は「無職だから」を何度も口にした。
収入がないなら家事をしなければ、仕事を探さなければ、と思っていた。
でも「無職だから」と口にすることは、自分に、あなたは頑張っていないと言っているようなものだった。
「頑張っていない」などと思わないこと。
今は元気になるために頑張ってる期間、と言い聞かせる。
ぐうたらと1日を過ごしたとしても「今日はよく休めたね」と自分に声をかける。
もしも何かできたことがあれば、「今日は洗濯した!偉い!」と自分を褒める。
心の底からそう思えなかったとしても、とりあえず褒める。
頑張るのをやめたら、自分がやりたいことを先にやる。
これも難しかった。
やるべきことはいくらでも浮かぶのに、やりたいことはよくわからない。
これも訓練がいると思う。
とにかく自分に問う。「今なにがしたい?」
〜したほうがいい、ではなくて、やりたい、で選ぶ。
最初のうちはこれが本当に出来なかった。
これまで無意識に「今はそんなことしてる場合じゃない」とやりたいことを押し込めて、見ないふりをしていた代償に、自分のやりたいことが見えてこない。
それでも「今なにがしたい?」を考えていくうちに、まず、①休みたい、②インプットしたい、③アウトプットしたい、くらいにざっくりと気持ちを分けられるようになった。
①休みたい、の時は、できるだけ1人になる。昼間でも自室にこもって寝る。家が落ち着かなければお気に入りのカフェに行ってぼーっとする。湯船にお湯をはってゆっくり浸かる。目覚ましをかけずに寝る。
②インプットなら、大好きな映画を見る。本棚のお気に入りの本を眺めてみる。もっと元気があれば、本屋に繰り出して立ち読みして、気に入れば買う。
③アウトプットなら、歌う、文章を書く、絵を描く、刺繍をする。私は絵があまりにも下手で、人前ではできれば描きたくないけど、アウトプットしたい時に落書きでもぐちゃぐちゃな線でも何でも描けるスケッチブックを100均で買った。
こうして少しずつ自分のやりたいことを実現してあげる。
思いつかなければ、子供の頃に好きだったことや好きだったものを思い出してみる。
やりたい、と思ったことをできるだけやっていく。
やりたいことをやっていい、と自分が分かるように。
さて、やりたいことをやった後に、先ほど放っておいた、洗濯やら掃除やらをやる。
この時も、できるだけ手を抜く。
急ぎでなければもう少し放っておく。
家電の力を借りれる時は借りる。誰かにやってもらえるならやってもらう。
誰かと一緒にやったほうが楽なら、一緒にやって、と声をかけてみる。(例え断られても、聞いてみるだけならタダなので)
こんなことを繰り返して、ちょっとずつ、ちょっとずつ、頑張らないができるようになった。
今思えば、以前は、頑張らないことへの罪悪感、がすごくあった。
今は、やりたいことをやればいいと思えるようになった。
そんなに頑張らなくても生活は続けられるということも分かった。
掃除をサボってるから、家は多少汚くなったかも。野菜をいくつかダメにして処分した。(ごめんなさい。)
でも気持ちはすごく楽になった。
私が楽に暮らしていければそれで良い。