カカオ(you)

過去になる私から未来の私のために。しがない30代表現者兼社会人。

カカオ(you)

過去になる私から未来の私のために。しがない30代表現者兼社会人。

マガジン

  • あとで読む

    あとで読む記事をマガジンに保存しておくことができます。不要であれば、マガジンの削除も可能です。

最近の記事

金木犀

私の辞書のこの言葉には、「引き金」という意味を持つ。 きもいから綴ることは控える。 ただ、これから毎年、思い出すんだと思う。 金木犀はもともととても深く愛している匂いだから、そこを上書きしたという真実は、なかなかに憎ましい。 他人の絵に筆を足すかのごとく 他人が作る料理に調味料を加えるかのごとく もとには戻らない。 けれど、そうして変化してゆくことを歓迎している自分もいる。

    • 恋愛という強烈な殺意の源泉

      在り来りな言葉でありながら個々人常に新鮮な内実を伴う言葉。 文字の面の割に人を殺してしまうほどの強い情動をもたらしたりするから恐ろしい。人は知らない訳では無いのにいつもそのことを忘れて甘美な側面に目がいっている。 まるで黒黒しい部分だけ濾過してしまうかのような機能が人間に備わっているのかと思ってしまう。 あるいは恋愛という生き物が人間に寄生し、排除されないために人を殺してしまうほどの情動を認知させないでいるかのようだ。 御託はいい。 今吐き出したい気持ちは、心底好き

      • 9月

        社会人としてはおよそ有り得ないくらい長い夏休みを終え、9月から通常勤務が再開した。 8月は休みと言っても予定がない日がなく、目まぐるしい日々を過ごしていた。だから9月に通常の勤務がある日々にはすぐに身体は馴染むだろうと思っていたが、中々そうもいかなかった。生活リズムを調節するのに苦労した。いい機会だと思い、夜早く寝るようにしたのは月の後半である。朝目覚めた時のスッキリ感がまるで違う。もう日付を超えて眠りにつくというのはできそうにない。 さて、9月をふりかえってみよう。勤務

        • はなすきかれる

          聴くということ そのことについてなまじ知識を有したことから、相手のききかたに引っかかってしまう自分がいる。 相手は一生懸命、自分のために聞いてくれているにもかかわらず、自分がこう聞いて欲しいが叶わず不満げになってしまう。そんな自分に嫌気がさす。 ひとつわかったことは、同じものを求めるのは違うということ。プロサッカー、プロ野球など、プロと名のつく水準でやっている人は同じことを素人に求めるかという話だ。 一生懸命さが大事ではないか。 プロが素人にプロのパフォーマンスを求

        マガジン

        • あとで読む
          0本

        記事

          パレイドリアな私たち

          雲も私たち人間も同じようなものかもしれない。 同じものを見ていても、 見る人によって変わり、 状態によって見える姿は違う。 私は誰かにとっては素敵でも また誰かにとっては醜悪で。 そして 誰かにとって素敵だったとしても その誰かにとってどこかで醜悪にもなる。 私がみるあなたの姿も段々移ろい行く。 実際にあなた自身も移ろい。 あなたがみる私の姿も移ろい、また 私も移ろいゆく。 いま、あなたには私はどう映っていますか。

          パレイドリアな私たち

          副収入

          が得られたらと思いながら今年になって具体的に計画をしてみた。 先月いきなり事は動きだし、3種の方法で合計数万円を稼ぐことができた。 ひとつは今後機会を得るのは難しいが他の2種は頑張れば継続してその機会を得ることが可能だ。 全然綴ってないけれど危ない宣伝の文章みたいだな。誰でも簡単楽に稼げる的な。 おれのやってることは んな訳ねーだろってことなので誰にも勧められません。 好きなこと、積み重ねてきたこと、こだわりがあること、だったりなのでね。あとは全てに通底する秘密があ

          最高の夏が終わり

          9月になった。 季節も見計らったかのようにその陽気を変えてきたものの、無理矢理さもあってか夏の名残が色濃く残ってはいる。 8月は、仕事の日の朝の支度をしている時くらいあっという間に時間が過ぎ去った。 したいことをとことんした。 演劇、観劇、撮影、レッスン、案件、旅行、温泉、映画館での映画鑑賞、宇多田ヒカルのライブ、友人たちとの飲みや食事、そして恋愛。 余命わずかなのかというくらい詰め込まれた1ヶ月であった。 もし本当にそうであれば、悔いは無いかもしれない。 とい

          最高の夏が終わり

          うつにならなかった理由

          人はどこでうつに転じるのだろう。 いま思えばだが、交通事故にあった後はそうなっていてもおかしくはなかったと思う。 なぜならなかったのか。 わかる範囲で言えば「夢」があったからだと思う。 役者になりたい。 という夢。 事故にあった直後は、身体が資本の役者にはこの身体ではもうなれないと絶望していた。 しかし、逆にこの身体で役者として大成したならば。と希望を見いだしそれに向かって日々を過ごし始めた境がある。 夢に、夢を持っている自分に救われたと、 早くから思い、口に

          うつにならなかった理由

          Spark2

          通じ合わないのならば、この感覚になんの意味があるのだろう。 なぜ私の内に生まれてきたの。 こんな問いに時間を溶かすためか? 孤独を教えるためか? 帰る場所を失った、迷い子よ。 そこはあなたの帰る場所ではないってさ。 ところでさ、君はなんなのさ。 一生わからないんだろうな。 人はわかろうとするんだよ。 だから正体不明は1番のズル。 さぁさぁ出ていけよ。

          過去一の夏

          8月ももうすぐ終わる。 仕事柄8月は丸々休みなので、悠々自適に過ごしている。 今年の夏は予定のない日がなく、自慢したいくらい充実したものとなった。 なのでその気持ちを綴り残してくことにしたい。 8月の初めは舞台本番に向けた稽古であり、10日に本番であった。 出自様々な出演者たちと知り合い、ひとつの企画に向けて稽古を重ねる日々がたのしかった。誰しもが本当に素敵で、そんな方々と繋がりができたことが本当に嬉しかった。 同時に同じ土俵でやり合いたいという気持ちが強くなり、今後

          舞台を終えて

          先日とある舞台を終えた。 演劇人生で最も大きい劇場での舞台だった。 ご来場下さった方々、演者の皆さん、スタッフの皆さん、そしてオファーを下さった演出の方に多大な感謝。 終わってから思うことは、もっと芝居がしたいということ。 やっぱり生きた心地がするのは舞台上だと再確認してしまった。 また、今回は色々な出自の人達と同じ板の上に立ったことから、今後どこかでまた同じ板の上で出会いたいと思ってしまった。 迷う。仕事をこのまま続けていたらおれは悶々とするだけだろう。 かと

          舞台を終えて

          不意に込み上げる

          舞台本番が1週間後と迫った2024年8月3日(土)。 そのセリフを言えること。 そのセリフをきき受けることができること。 それらがどれほど幸せなことかをふと思い感じ、不意に涙が込み上げる。 誰かが言いたかったセリフであり、誰かがきき受けたかったセリフでもある。 今回はシェイクスピア作品だからだが、そしてシェイクスピアが残したかったものがそこにある。 私の記事を読んでくださっている方々はわかるかもしれないが、あの時死んでいたら、と思うとなおのこと。 連想が働く。

          不意に込み上げる

          「ゆるーく自分を再発見したい人に100の質問」

          1.名前は? ※由来も教えてください カカオ(中学からのあだ名)。由来は割愛 2. 誕生日 / 年齢は? 8月22日/30代 3. 血液型は? A型(18歳までO型と思っていた) 4. 身長は? 164 5. 靴のサイズは? 26.0(陸上のスパイクは25.0) 6. 家族構成は? 6人(現在一人暮らしではある) 7. 飼ったことのある動物は? ※名前も教えてください 犬(名前はドン) 8. 愛してやまない好きな食べ物 / 飲み物は? カレー、うどん、夏野菜/麦

          「ゆるーく自分を再発見したい人に100の質問」

          「夜と霧」

          読了。感想を綴りたくなった。 名著と言われているこのV.E.フランクルの「夜と霧」。 アウシュビッツ収容所で生き延びた一人の精神科医の体験が記されている。 この中には人間の根源的な部分が描かれていた。 劣悪の極地に追いやられた時の人間がいかな様相をしめすか。 そして、そこで生きるものと死するものとの違いについての決定的な違いが示されていた。 終わりの方では、思わず涙が込み上げてきてしまった。 人間とはなんなのか。生きるとは何なのか。死とは何なのか。そして自身の生きる

          いずれもれなく

          人は死ぬ。 誰一人として例外なく。 皆知っているけれど誰も知らないこと。 なぜ死ぬのだろう。 なぜ恐れるのだろう。 死ぬ必要があるからきっと死ぬようにできている。死んだ方がなにかの都合がいいのだろう。 くらげの中には死なないものが2種類ほどいるらしい。 きっと死ぬ必要がないからなのだろう。 恐れるのは未知だからだ。 どうなるかわからないからだ。 この場合の「どうなるかわからない」は、 恐らく精神の行方を指すのだと思う。 肉体は朽ち、骨になるというのはわかってい

          いずれもれなく

          一年前との比較

          今年も長いようで短い夏休みに入った。 この歳になっても1ヶ月以上の休みがあるのはいい。 給料面で少々寂しくはなるが、それを引き換えにしてもこの時間はかなり重要な時間だ。 毎年演劇の公演があり舞台に立っている。だが去年は一昨年に色々やりすぎた反動でゆったり過ごしていた気がする。 Googleフォトを見て振り返ってみたところ、友人とBBQをしたり、結婚式への参列、旅行、大学院関係のこと、実家への帰省、11月公演の稽古、インプロWSへの参加etc… といった感じの夏だったよ

          一年前との比較