いずれもれなく
人は死ぬ。
誰一人として例外なく。
皆知っているけれど誰も知らないこと。
なぜ死ぬのだろう。
なぜ恐れるのだろう。
死ぬ必要があるからきっと死ぬようにできている。死んだ方がなにかの都合がいいのだろう。
くらげの中には死なないものが2種類ほどいるらしい。
きっと死ぬ必要がないからなのだろう。
恐れるのは未知だからだ。
どうなるかわからないからだ。
この場合の「どうなるかわからない」は、
恐らく精神の行方を指すのだと思う。
肉体は朽ち、骨になるというのはわかっているのだから。老いたくないは聞くが、骨になりたくないは聞かない。肉体が滅びることに我々は怯えていないようだ。
一方、精神の行方だけは判然としない。
いまなお。
精神の行方がわからないということが、私たちに恐れを抱かせる。
これいかに。
「私」「自分」と呼ぶものが一体なんだというのだろう。
最近ますます分からない。
私、自分という一人称も、みんなが使う。
私は私を私と言うが、あなたも自分を私と言う。私は私だけを指す言葉では無い。
言葉遊びだが。
何にでもなれる気がしてならない。
気がする、ではないんだとも思うけど。
誰かわかるだろうか。
心理学、哲学、演劇。
進むべくして進んできた道のような気がしてならない。
私はどこへ行き着くのだろう。
実はアカシックレコードの媒体でしかないのかもしれない。
そうであればむしろ大勢のところへ帰ることになるのかもしれない。
そこでようやく孤独が無縁のものとなるのかもしれない。
追記
太陽が避けられる存在になった。
適度な距離感を失ってきつつあることにより。
月はどうだろう。
嫌いな人がいるのだろうか。
毎夜出会う存在だが。