うつにならなかった理由
人はどこでうつに転じるのだろう。
いま思えばだが、交通事故にあった後はそうなっていてもおかしくはなかったと思う。
なぜならなかったのか。
わかる範囲で言えば「夢」があったからだと思う。
役者になりたい。
という夢。
事故にあった直後は、身体が資本の役者にはこの身体ではもうなれないと絶望していた。
しかし、逆にこの身体で役者として大成したならば。と希望を見いだしそれに向かって日々を過ごし始めた境がある。
夢に、夢を持っている自分に救われたと、
早くから思い、口にもしていた。
今でもそう思う。
フランクルの「夜と霧」でも本質は同じことが書かれていたのではないかと思う。
極限状態でもフランクルが生きれたのは「希望」を失わなかったからだ。
また妻に会いたいと。
私の役者になりたいという夢も「希望」だった。歩けるようになったら、舞台に立てるようになったら、セリフを掛けあえるようになったら、人から賞賛を受けたならと。
苦痛や苦悩の全てを糧にしてやると思い、日々を耐えた。
ブルーピリオドの佐伯先生の言葉を思い出す。
「頑張れない子は好きなものがない子でしたよ」という言葉。
恐らく「好き」は「希望」になる。
「愛」もまたきっと。
私は次の世代がそれでも生きれるよう、そして真実味を持って伝えられるよう、自分の夢や好きの気持ちを大切に生きていこうと思う。