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「夜と霧」
読了。感想を綴りたくなった。
名著と言われているこのV.E.フランクルの「夜と霧」。
アウシュビッツ収容所で生き延びた一人の精神科医の体験が記されている。
この中には人間の根源的な部分が描かれていた。
劣悪の極地に追いやられた時の人間がいかな様相をしめすか。
そして、そこで生きるものと死するものとの違いについての決定的な違いが示されていた。
終わりの方では、思わず涙が込み上げてきてしまった。
人間とはなんなのか。生きるとは何なのか。死とは何なのか。そして自身の生きる今とは何なのか。そんなことを感じ考えざるを得ない。
また、「生きることに何を期待するか、ではなく、生きることが自分たちに何を期待しているか」という、何とも印象深い言葉も残されている。
生きる上で決定的に必要なものの一つは「愛」であるという結論が私の中に生まれた。
愛とは何かということの一つに、私は「案じること」を答えに持っている。
心にかけて、どうなるだろう、どうだろう、と心配すること。
今回、本書を読んだことを受け、愛の意味にこの「案じる」に加え、
「再会への希望」
これを加えたい。
フランクルは、「いつまで続くかわからない」劣悪な環境下でも生き延びたものたちには、未来への希望があったという。
「いつまで続くかわからない」苦というのは人間に強い精神的苦痛をもたらすと記述されていた。この時に、未来への希望を持てるか持てないかがいのちの分かれ目だと。
未来への希望とは、一つに、妻や家族に再び会いたいという想いであったりだ。
私たちは、豊かに生きるためにもだが、一方で、根源的水準で生き延びるためにも愛を求めているのかも知れない。
愛された人は苦の境地でそのことに気づき、愛してくれた人を愛することで生きる。そういった姿が実際に本書で書かれていた。
わかると言っては語弊があるが、交通事故にあった高校生の頃の私がまさにそうだった。
いつまで続くかわからない入院生活。点滴も採血も手術も、あと何回、いつまで繰り返すのだろう。腐敗したような臭いが鼻腔を劈くこのグロテスクな足の処置を、そのためのただの生理食塩水に怯えなければならない日々を、あと何回、いつまで繰り返すのだろう。そう声にならないやり場のない苦しみや憤りをあと何回叫び、涙をあと何滴流せばいいのだろう、そう唱え続けた。処置が終わった直後から、明日が来るのが怖かった。1日が短かった。時間の無情さに精神を打ち砕かれた。
そんな日々に耐えられたのは、私が私と出会い、孤独の先の恐怖を知って消灯後の病棟で一人震えていた時である。同じような孤独の最中にいるなら救いたいと願い、出会ってきた人たちの名前を一人一人思い出していた時。私は今君を思い出した、君も思い出した。そう唱える一方、その人たちは自分のことなど今この瞬間コンマ何秒かも心に思い描きはしていないと感じ、孤独を深めていった。だが、最後に、
「私には家族がいる」
そう思えた。
家族は今この時も自分の身を案じてくれていると信じることができた。感謝という言葉の意味を知った。涙が止まらなかった。
それから、家族は元気だろうか。自分のことを気にしすぎて笑顔が失われていないだろうか。そんなことを思ったりするようになっていった。
自分の中にも家族の身を「案じる」気持ち、すなわち愛を持つに至った。愛してくれていた家族がいたから。
この心的過程があってから、かなり前向きにかつ、心に沈潜しつつ生きるようになった気がする。
神田橋條治先生の著書だったかに書かれていたことを思い出した。
人はケアされるだけでなく、時にケアをする側に立つことで生きる力を回復させることがあるといったことを。
つらつらと書いて論が逸れてきつつあるが、最後のこの話は、ケア(気にかけること)が相手に受け入れられてこそではあるかもしれない。
自分語りがまた多くなってしまった。
締めくくろうと思って浮かんできた言葉を残して終わる。
何事も「生きているからこそ」。
悪いことも起きるなら起きれ。
そう言えてしまうくらいには平和な世界の中で生きれている。
ありがたい。を噛み締めて。