「国体」って何?-山崎雅弘「5つの戦争から読みとく日本近現代史」
「国体」って何?-山崎雅弘「5つの戦争から読みとく日本近現代史」
日本史で習ったかたも多いと思うが、日本は、戦争末期から、日本国憲法ができるまでの過程において、「国体護持」にこだわったというのは、結構有名な話だ。
知らない人も多いかも?日本の教育では、近現代史までやらないところも多いからなぁ・・・。
ボクはこの話を、高校とかで学んだか、大学の憲法の講義で学んだか、忘れたけれど、なんか覚えているんだよね。
うーん、オレも、かろうじて「国体護持」までは覚えている感じだ。
でも、ここで言ってる「国体」っていったいなんなのかまでは、わからんでしょ?
わからんねー。キミはわかってたの?
本書を読むまでは、ほとんどわからなかったよ。
この本がはたして正しいのか?は置いておくとして、どう書いてあるの?
まず、ここを読んでほしい。
とりあえず、日本が「優れて尊い国である」という理念だということがわかる。
続けて、この箇所を読んでほしい。
この文章は、かなりいいまとめ方してると思うんだよね。
つまり、天皇機関説事件から終戦に至るまでの10年間で、一区切りということだね。
とてもわかりやすいでしょ?
そうだね。
ところで、天皇機関説事件って知ってる?
うーん、オレは知ってるけれど、知らない人もいそうだなー
わかりやすくいえば、天皇を国の機関とする説が天皇機関説、みたいなものだよ。そしてそれが否定されたのが、天皇機関説事件なんだ。
そして、「天皇主権説」が主流になったんだね。
実は、帝国憲法を実質的に作った、と言ってもいい伊藤博文も、解釈書の中で、天皇に主権がある、とはっきり書いているんだよ。
へー、でもその後、天皇機関説が主流になるんでしょ。
そうなんだよねー
なぜなんだろうね?
たぶん、天皇に主権があるとすると、何か失政が起こった時に、天皇が責任をとらなきゃならなくなるんじゃないか?という疑念もあっただろう。
そうだね。
あとは、西欧諸国が、憲法が国家権力を制限するものである、という、立憲主義をとっていたから、それに影響されたという見方もありうる。
なるほどー
でも、その天皇機関説が1935年に否定されてしまう。これが天皇機関説事件なんだけどさ。
で、また先祖がえりするように、天皇主権説に主流が戻るわけね。
そーだね。
でも、その後は、何か失政があったら、天皇の責任になったの?
うーん、ボクが勉強した限りでは、そういうことにはならなかったな。
でも、天皇主権説は、神権説とも言われるように、天皇を神格化する働きを持っていたんでしょ?
たぶん、そうだね。まあ、たぶん、天皇は、神の子孫ってことになってるから、そういう天皇に主権があるって、すげーんじゃね?みたいな、発想になって、国体の理念が強くなっていくという流れなのかなぁ・・・??
で、だいぶ脱線したけれど、国体の話に戻るわけだね。
もう一度おさらいすると、国体の理念とは、日本は「優れて尊い国である」という理念だった。
その思想が、1935~1945年の10年間、日本国民の心理を実質的に支配するようになったと、この本は言っているんだね。
正しい解釈なのかはボクにもよくわかんないんだけどね。
でも単に、「国体護持」って単語を知ってるだけよりも、「国体」について、考えるきっかけにもなったし、少しは理解できたわけじゃん。
だから、今回の対話にも意味があったと思いたいね。
そーだね!(笑)